不遇の天才発明ニコラテスラ金星人だった! ――機密定が解除されたFBI文書が話題だ。


宇宙の人々「ニコラテスラ金星人」

 昨年末に開され話題を呼んだ“JFK暗殺”にまつわる非開機密文書など、FBIウェブサイトでは続々と過去の機密文書を開している。

 新たに開された極秘文書の中からは、1943年に逝去した発明ニコラテスラに関するかなりの分量の文書も発掘されて日のを見ることになった。

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 晩年をニューヨーク・マンハッタンのホテルで暮らし、その部屋で亡くなったテスラだが、死後に残された遺品や書簡はいったん米軍FBIに押収されたといわれている。FBIテスラに抱いていた関心の高さがうかがわれるのだが、こうして極秘のレポートの数々が存在していたことで、めてFBIの関心度の高さが裏づけられたことになる。

 いったいFBIニコラテスラの何に興味を持っていたのか。それはテスラが開発したとされる「惑星間通信技術」であるようだ。

 1957年6月14日の日付が記された文書は「惑星間交信ニュースレターInterplanetary Session Newsletter)」と題され、ストーム夫妻(ジョン&マーガレット)によって執筆されている。

 文書では同年6月13日ニューヨーク撃されたUFOの話や、6月20日に開催されるUFO研究エイリアンとの接触体験を持つジョージ・バン・タッセル氏とダニエル・フライ氏の講演会の情報、そして夫妻の妻、マーガレットストーム氏が当時執筆中であったニコラテスラの伝記『Return of the Dove』(1959年)など内容は多岐に及ぶものだ。

 その中に何度も出てくる言葉が“宇宙の人々(Space People)”という単である。レポートの内容からは、この宇宙の人々の存在はもう前提になっているというニュアンスであることが読みとれる。

 文書によれば、テスラ1938年に惑星コミュニケーションを可にするラジオの装置を開発しているという。1943年のテスラの死後は、彼の志を受け継ぐエンジニアたちがさらに研究開発を推し進めていたのだが、その過程で彼らは1950年宇宙の人々の宇宙船と緊密な連携をとる機会を得たということだ。

宇宙の人々はテスラの意思を受け継ぐエンジニアたちのもとを頻繁に訪れました。そして宇宙の人々は、故テスラ金星人であることを教えてくれました。テスラはまだ赤ちゃんの頃、1856年に地球に連れてこられ、ユーゴズラビアの山現在クロアチア)で生活していた両親のもとへ“養子”に出されました」(文書より)

 なんと宇宙の人々が言うには、故ニコラテスラ金星人であったのだ。


宇宙の人々が々人類に“覚醒”をめている

 ニコラテスラの驚くべき“秘密”が明かされた文書だが、ここにある記述のメインテーマ火星人を含む宇宙の人々が々人類に“覚醒”をめているという訴えである。そして人類にその意図を伝えるために、7月1日に全で大規模な“UFO航空ショー”を予定していたというからなお驚きだ。すべてのアメリカ人が撃できるように、全各地で正午の3回、4隻の宇宙船が“示威飛行”をするということだ。

 1957年7月1日に本当に全各地でUFO撃されていたのかどうかは定かではないが、6月14日の時点でストーム夫妻にはこの情報がもたらされていたことになる。こうした宇宙の人々からのメッセージは、霊的団体「アセリアス・ソサエティー」の設立者であるジョージキング氏や、“コンタクティー”であるカルバン・ガービン氏などから伝え聞いていることも記されている。

 はたして7月1日に何が起こっていたのか? 文書では宇宙の人々が彼らの宇宙船の姿をすべてのアメリカ人に見てもらうためのあらゆる準備をしていると記している。しかし軍用機のスクランブル発進などが相次ぐようなことがあれば宇宙船は姿を現さないという。むしろ市民のほうから政府や軍に対して“訪問者”にもっと実に接することを進言すべきであるとアドバイスしている。

 また々は核実験を直ちに中止、放棄してカルマの負債を償わなければならない時期に来ていることにも触れられている。しかしながら宇宙の人々は現在“疫病の時代”にある々を手助けするために、1957年7月21日深夜に4つの宇宙ステーションから“ヒーリング線”を放射して地球上のすべてを磁気化する予定であったという。この線は瞑想を通じて個々の人間も吸収することができるものだったということだ。

 火星人はとにかく々が地球を破壊し続けていることにとても気分をしており、宇宙の人々もまた地球人に対して慢の限界にきていることを忠告するかたちでこの文書は締めくくられている。冷戦時代の中にあって、つかの間の「どけ」ムードがもたらされたとされる1957年。もし核絶の方向へとが切られていたならば、宇宙の人々を友好的に迎え入れられていたのかもしれない。
(文=仲田しんじ


イメージ画像:「Thinkstock」より

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