花火の原料は火薬であるから、その歴史は火薬の歴史ともいえる。硝石と硫黄と木炭で組成される黒色火薬がいつ発明されたのかは諸説あるが、誕生の地は中国だ。しかも一説には、とある“失敗”から生まれたとも言われている――。知っていると自慢できる、花火にまつわるエピソードを紹介しよう。

【写真を見る】『真元妙道要略』には錬丹の試みの中で生じた火薬燃焼の失敗例が記されている(写真はイメージ)

■ 花火の歴史は火薬の歴史

火薬の燃焼性が初めて記された文献とされているのが、唐の時代(850年頃といわれる)の『真元妙道要略』という書物。しかも、それは火薬の開発のための記録ではなく、古代中国で行われていた錬丹術の過程で生じたハプニングについての記述だった。

錬丹術というのは、飲めば不老不死になると信じられていた霊薬を人の手で製造しようとする術のことで、その歴史は紀元前まで遡るという。『真元妙道要略』には錬丹の試みの中で生じた失敗例として「硫黄、鶏冠石(砒素)、硝石に蜂蜜を混ぜた結果、煙と炎が出て顔と手に火傷を負い、家も全焼した」と記されているのだ。

この混合は危ないからやってはいけない、と示す錬丹術師の体験の記述が、まさか千年以上先の時代に生きる私たちに火薬燃焼の歴史を伝える資料になるとは夢にも思わなかっただろう。不老不死の身体を得る霊薬作りには(おそらく)失敗したのだろうが、図らずも歴史的に貴重な瞬間をはるか後世へと伝えることになるとは……。

また、11世紀に編纂された宋朝官修の軍事書『武経総要』には火薬の製法や使用法についての記事が認められる。竹筒に火薬を詰めて矢を飛ばす簡単な火矢(ロケット花火のようなもので爆発力は弱い)などから、次第に爆発力が増し、12~13世紀には本格的な火薬兵器として戦争で広く使われるようになったと考えられている。

中国で発明された火薬はイスラム諸国を経由してヨーロッパに伝わり、後のルネサンスによって発展を遂げた。ヨーロッパでは火薬を軍事使用するだけでなく、王侯貴族の抱える職人たちが観賞用の華やかな花火を開発し、ついに「見て楽しむ」ための平和的な火薬使用の技術が生まれたのだ。

今では夏の風物詩となった花火も、生まれるまでには長い歴史があった。花火を眺めながら、その歴史に思いをはせるのもいいだろう。(東京ウォーカー(全国版)・ウォーカープラス編集部)

秦の始皇帝の時代、万里の長城では硝石を使って狼煙(のろし)をあげていたとも言われる