中国社会の一般的な感覚としては、オウム真理教の後継団体が現在も活動を続けていることが最大の「?」と語る、フェニックステレビ東京支局長の李氏
中国社会の一般的な感覚としては、オウム真理教の後継団体が現在も活動を続けていることが最大の「?」と語る、フェニックステレビ東京支局長の李氏

7月6日地下鉄サリン事件などで日本社会を震撼させたオウム真理教の教祖、麻原彰晃松本智津夫)と幹部たち計7人の死刑が執行された。

平成という時代と共に一連のオウム事件も終焉を迎えるのか。それとも、後継団体に新たな信者が増えていると言われる今、事件は現在進行形の問題なのか。「週プレ外国人記者クラブ」第121回は、中国「フェニックステレビ」東京支局長・李淼(リ・ミャオ)氏に話を聞いた──。

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──1995年地下鉄サリン事件は当時、中国ではどのように報道されましたか?

 私はまだ中国の大学に通う学生でしたが、中国でも大きく報道され、その衝撃は今でも生々しく記憶に残っています。当時、中国のメディアは「第2次大戦後、日本で起きた最大のテロ」という言い方でこの事件を伝えました。今振り返っても、地下鉄サリン事件1990年代の日本で最大の事件だったと思いますし、その後もこれを上回る衝撃を日本社会に与えた事件はないのではないでしょうか。

地下鉄サリン事件は都心を通る複数の路線で同時に起きたものですが、私の記憶には「日比谷線」という路線名、その響きが残っていて、97年に来日して初めて日比谷線に乗ったときは、真っ先にオウム真理教の起こしたテロが脳裡に浮かんだことを覚えています。

7月6日の死刑執行後に開かれた上川陽子法務大臣の会見はフェニックステレビも取材し、中国に伝えましたが、そもそも中国人にとってオウム真理教や彼らの起こした事件は理解するのが難しい問題だと思います。宗教団体が一般市民も巻き込む無差別テロを起こしたことは、中国社会にも大きな衝撃を与えましたが、中国では一般的に宗教に対する関心が希薄で、当局は少数民族問題によって起こる事件のほうを警戒しています。

麻原彰晃の死刑が確定したのは2006年で、刑の執行まで12年もの歳月が経過しています。この点も「なぜ、このタイミングだったのか?」ということを含めて疑問だし、7人の死刑を同日に執行したことは、オウム真理教という名前はなくなっても"残党"と言っていい組織が複数残っていることを考えれば危険な行為にも思えます。今も麻原の教えを実践する人たちにとっては「教祖の神格化」につながる可能性があるからです。

──第2次安倍政権下ではここ数年、特定秘密保護法共謀罪(改正組織犯罪処罰法)といったキナ臭い法案を立て続けに成立させて社会・有権者の強い反発を招いてきました。戦前の治安維持法を彷彿とさせるこれらの法律を政府は「テロ対策」として必要としてきたわけですから、95年に起きたテロの恐怖を思い出させることは有権者たちの理解・納得につながると考えても不思議はありません。

 どうでしょうか? 少なくとも上川大臣の会見では「なぜ、このタイミングだったのか?」という疑問は明らかにされませんでしたね。やはり、中国社会の一般的な感覚としては、オウム真理教の後継団体が現在も活動を続けていることが最大の「?」だと思います。

中国でも日本と同様、憲法で信教の自由が認められていますが、たとえ名称を変えても、オウム真理教のような事件を起こした組織と同じ信仰を続けることが許されることは、間違ってもあり得ません。そして、そういった後継組織に今も新たな入信者がいることは、疑問というよりも、ある種の戦慄を感じます。

──地下鉄サリン事件を起こしたことを知りながら、それでもオウム真理教の後継組織に入信する人が増えているのは、日本の社会や、そこで通用している価値観に絶望している人がいることを象徴しているのかもしれません。ここ2ヵ月、日本では20代前半の若者による凶暴で自暴自棄な犯行が続いています。

 富山での交番襲撃・拳銃強奪事件や、その少し前の新幹線内での殺人事件ですね。

──5月17日にも名古屋ネットカフェで35歳の男性が、それまでなんの接点もない男にナイフで滅多刺しにされて殺害されました。新幹線内でナタを振り回した男に3人が殺傷された事件が6月9日に、富山の事件が6月26日に起きました。犯人はいずれも21、22歳の男性で、名古屋の事件の犯人は「自分が死ねないから、ムカついて刺した」などと供述しています。

 私も日本で生活するひとりとして、酷く暗い気分になります。地下鉄サリン事件につながった危険な教理を引き継ぐ組織と知りながらオウム真理教の後継団体に入信する若者たち、一方で自暴自棄な犯行に走る若者たち......共通しているのは「今の日本社会に希望を見出せずにいる」ということではないでしょうか。

中国でも自暴自棄になった若者が起こす事件はないわけではありません。6月には、上海市中心部で29歳の男が小学校近くで児童らを次々と切りつけ、ふたりが死亡しました。男は無職で、「社会に恨みがあった」と話しています。

中国の社会も様々な問題を抱えていますが、それでも経済成長が続いていることは日本との大きな違いなのかもしれません。高度成長期の日本がそうであったように「明日は、今日よりも良くなる」と無邪気に信じることができる。成長というのは、社会の問題点を覆い隠してくれるものだと言えるかもしれません。たまに中国に帰って、友人たちと話すと「ああ、これが希望というものか」と感じます。

──日本は社会の問題点を解決する前に、経済成長が止まってしまった。未解決の社会矛盾がさらに拡大し、希望などどこにも見当たらないと感じている若者も多いと思います。

 先日、今年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得した『万引き家族』を観ましたが、感動よりも、暗い気持ちのほうが強く湧きました。子供に万引きをさせなければならない現実が、日本の社会にあることを忘れるべきではないと思います。

──名古屋新幹線、富山で起きた事件の犯人は全員、男性です。生物学的な雌雄の違いを考えれば当たり前なのかもしれませんが、女性の通り魔的犯罪の例はあまり思い浮かばない。

 その点については、「日本の男性たちは、どれだけ大きなものを背負っているのか?」と考えさせられることがあります。以前に観たテレビドラマで、会社をリストラされた夫が妻にその事実を伝えられず、仕事を失った後も出勤するフリを続ける......というシーンが忘れられません。これが中国であれば、夫は妻に真実を伝えるのになんの躊躇もないと思います。リストラを家族の問題として捉え、ふたりで対処するしかないと考えるでしょう。

しかし日本の社会では、女性の就労が当たり前になっても、いまだに男性が経済面でより大きな責任を負っているという風潮が強い。日本では会社などの組織に属していることが大きな価値になっていると感じます。名古屋新幹線、富山の犯人たちの共通点として「孤立」が挙げられるはずです。そして、オウム真理教の後継団体に入信する若者たちも「絆」を求めているのではないでしょうか。

──日本社会の病が進行する状況で、その危機感の表れなのか、文部科学省は道徳の教科化を実施しました。小学校では今年度から、中学では来年度から、道徳の授業で児童・生徒たちに「評価」が与えられます。点数をつけたところで、道徳心が向上するかは疑問ですが。

 先日、子供が通う小学校の道徳の授業を参観しました。そこで教師が児童たちに考えさせたテーマは「学校の放課後、家に帰らず、そのまま公園へ遊びに行くのは是か非か?」というものでした。正直に言って、この命題が道徳心を計るものなのかどうか、理解できませんでした。中国では日本以上に個人主義の文化が根づいていますが、この命題は「放課後、児童の家には必ず親がいる」ということを前提に考えられていました。

高度成長期の日本では「一億総中流」という言葉があり、社会的定型に自分を当てはめることが幸福のモデルとなっていたはずです。しかし、高度成長期は終わり、その社会的定型に自分を当てはめられない人が増えても、定型に対する信仰が残っている。その結果、そこから溢れた人たちは「絶望」と「孤独」を味わうことになるのでしょう。

オウム真理教の後継団体にいまだに入信する人たちがいるという現実を認識しながら、日本の社会は改めて「幸せとは何か?」を考える時期に来ているのではないでしょうか。

●李淼(リ・ミャオ)
中国吉林省出身。1997年に来日し、慶應大学大学院に入学。故小島朋之教授のもとで国際関係論を学ぶ。07年にフェニックステレビの東京支局を立ち上げ支局長に就任。日本の情報、特に外交・安全保障の問題を中心に精力的な報道を続ける

中国社会の一般的な感覚としては、オウム真理教の後継団体が現在も活動を続けていることが最大の「?」と語る、フェニックステレビ東京支局長の李氏