一つの時代が終わった、とよく聞く。だが昭和は恐ろしく裂しており、一つの時代にくくれるのであろうか。戦前の二十年、戦後の四十余年をいっしょくたにしようというのが、土台、理な話に思える。だから昭和の終焉といっても実感はわかない(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1989年)。

しかし、これが明治の場合はどうであろうか。維新を経験して近代国家を形成し、二度の戦争を経た明治四十五年(一九一二)に、明治天皇がなくなった。この時の衝撃は、大将の殉死、夏目漱石の「こころ」等、様々な形であらわれた。

それはとりもなおさず、国家形成と時代精神とが明治天皇と結びつけられて、多くの人々に受けとめられていたからであろう。その付近を切り口にして、明治天皇の生涯を跡づけたのが飛鳥井の「明治大帝」である。

大帝」とはちょっぴり気になることば。著者は「近代史のなかで、いや日本史のなかで、この天皇以外に大帝はいないからである」とみなして、その大帝たる足跡を、明治国家形成史とともにみてゆく。攘夷にこりかたまった孝明天皇が「暗殺」されて、「幼(ようちゅう)の天子」として即位した明治天皇が、宗教的な天子から権・権威の両面を備えた「大帝」へといかに転進していったかを探る。

極めて読みやすく、幾つかのエピソードを上手に絡めて、小冊にもかかわらず、明治天皇の存在や性格を浮き彫りにしている。「天皇批判が本来のわたし標であったし、今もそれは変らない」と述べつつも、一方的明治天皇を裁断するのではなく、天皇の成長を見守り、それとつきあいながら分析しているので、明治天皇の個の性格がまことによく伝わってくる。

その反面、「大帝」としての側面となると今一つという感がしないでもない。著者の摘する天皇の権の側面、つまり明治憲法体制と天皇、欧アジアとの際関係における天皇、といった部分のつっこんだ言及がないためか、どうにも大帝ということばが宙に浮いてしまっているようだ。そのことと関係してであろう。興味深い摘は、大帝以前、「幼天子」の時期のものに多い。

たとえば維新王政復古は、朝廷の解体をともなったが、その理念神武天皇にまでさかのぼらせてめたので、中世・近世の慣習・制約から自由になり、摂政関白・大納言等も全する理論的根拠が提供されたとの摘。

あるいはまた置県の政治革に連動して、宮廷革がなされ、女官の総免職に及んだが、これは幕制秩序と結びついていた公家の特権の否定がそれまでになされていたからであり、ここに天皇周辺は士族の従に固められ、天皇は武化へのを進んだという。その他、卓抜な知見に富んでいる。

『明治大帝』(文藝春秋) 著者:飛鳥井 雅道

明治大帝」が明治天皇の個にそくして維新史をみたのに対し、石井寛治「開維新」は、政治経済の両側面から維新史をがっちり捉えようとする。なかでも最初の章のタイトルが「世界市場維新変革」とあることからもわかるように、経済焦点をあてる。

現代の日本人の多くが感ずるのは、何よりも政治の後進性と、経済の繁栄であろう。この二つの分裂を著者は維新変革においてもみつめる。

すなわち政治的には、維新変革の生んだ近代天皇国家民主権の原理を窮極的には否定する専制権でしかなかったのに対し、経済的には、維新変革はともかくも産業革命スタートを切るところまで近代化を推し進めたというに。

こうしたしっかりした視からみているので、維新史が大変わかりやすい。ことに経済視点からの列強の動向や、雄と幕府・朝廷の動きがきわめて鮮明に描かれている。 船のペリーの背景には、アメリカニューイングランドの商工業、造船業者がおり、イギリスの初代駐日使オールコックの背後には、マンチスターの産業ブルジョアジー等の利があったことなど、適確な摘も多い。

また幕府に接近するフランス使のロッシュと薩摩に肩入れをするイギリス使パークスらの、外交活動と日本の権益へのくいこみ、および外交への無知内の争いから、知らず知らずに不等条約を押しつけられ、利権を与えてゆく、諸や幕府の姿。そうした対外的危機にもかかわらず、混乱を続ける政治諸勢の動きが、具体的に描かれている。

従来の様々な維新史研究の論点を消化しながら、しかもそれを経済視点からもう一度捉え直しているので、一味違った新鮮な維新史となっている。

たとえば雄の財政革による地方の時代が維新期に訪れていたことを、明治七年の府県別工産物率で示してみたのはその一例であろう。さらに、やがて中央集権化によって地方の時代が終わりを告げてゆくのを、福井の明新館の動向で眺めてゆく。いろいろな素材がうまく生かされている。

だが、政治経済という組みだけだと、どうしても紋切りの解釈にならざるをえない。経済の「開」、政治の「維新」という、価値判断が働けば、そこに政治は遅れているとの評価以上のものは出てこないのではないか。

それもたぶん間違いないことではあろうが、そのために維新変革を貫く強政治の潮流がどうしても不鮮明とならざるをえない。題からいっても「大久保内務卿の独裁」「ブルジョアジーの誕生」の章はそれを補うものと期待したのだが、むしろそれは明治憲法体制と産業革命の前史として位置づけられており、やや肩すかしをくらう。

そこで思うに政治経済、そのうえに天皇というもう一つの項を意識的に立ててみたらどうであったろうか。もちろん本書も天皇には多く触れているが、それは近代天皇国家につながる、政治の延長上での天皇である。天皇政治との交わりとともに、天皇経済との絡みをも視野にいれる必要を感じた。後年に成長してくる天皇制の経済心理にまで踏みこんでいったなら、さらにもう一つ違った維新史が切り開かれてくるのではなかろうか。

実はこのことは二つの著書を読みながら考えた思いつきに過ぎない。だが単なる思いつきとはいえ、そうしたことをいろいろ考えさせ、知的刺を与えてくれたのが両書であった。

明治背景におけば、いまがよくみえてくる、というのが両書を読んでの実感である。

『大系 日本の歴史〈12〉開国と維新』(小学館) 著者:石井 寛治



【初出メディア
週刊朝日 1989年3月17日
明治を背景におけば、いまがよくみえてくる