「今日から全国で、ものすごい大戦(おおいくさ)が始まる」

12日、党首である橋下徹大阪市長のこの言葉でスタートを切った、新党「日本維新の会」。民主党自民党といった既成政党に対抗する第三極として、今度の衆院選で台風の目になることが確実視されている。

国民の高まる政治不信のなか、大阪を舞台にさまざまな改革を打ち出し、実行してきた橋下市長。国政でも“維新”の風を吹かせてほしいとの声が高まるのは、当然の流れともいえるだろう。

だが、テレビ朝日コメンテーターの川村晃司氏は、今度の衆院選における「日本維新の会」に対する、過剰な期待感への不安を口にする。

「今度の衆院選で当選する維新議員の多くは国政未経験者で、チルドレンどころかベイビーばかり。いくら維新に勢いがあるといっても、その賞味期限はせいぜい2年くらいでしょう。なのに、維新のマニフェストは憲法改正や一院制、道州制の導入など、実現までに長い時間のかかるものばかり。そのうちにメッキがはがれるのではと危惧(きぐ)しています」

ブームに乗って議席を獲得しても、当選した政治家に資質がなければ無意味なことは、先の民主党で証明済み。いくら橋下市長が有能とはいえ、「日本維新の会」の候補者すべてがそうであるとは思えない。

また、「改革の方向性を『維新』という言葉で見えづらくしている」と警告するのは、立命館大学の村上弘教授だ。

「多彩に見える維新の八策ですが、政治的右派の特徴である『小さな政府』と『権力集中』というカテゴリーから眺めると、すっきり理解できます。首相公選制は首相が国会から自律して権力を振るえるようにするものだし、参院の廃止と衆院の定数半減は国会での少数意見の排除につながる。道州制は府県の廃止で地方都市や農村が切り捨てにされ、解雇規制の緩和も国による勤労者保護の縮小を招きます。これらが本当に国民の望む改革なのか? 既存の政治家を抹殺しようとした二・二六事件スローガンが『昭和維新』だったことは覚えておいてよいでしょう」

二・二六事件との共通点とはどういうことか。前出の川村氏が続ける。

「二・二六だけではない。維新の会が台頭する現状は1930年代初頭ともよく似ています。当時も今と同じように内閣が毎年のようにクルクルと変わり、政治が不安定でした。最後は民政党の若槻礼次郎が大連立を目指したものの失敗、その反動で軍部が力を持って満州事変へとなだれ込んでしまった。維新の会は確かに国民受けのする魅力的な政策を打ち出していますが、その一方で、意外と古めかしい国家観、昭和初期の古い政治へと先祖返りしかねないキナくさい面も持っているという点は知っておくべきですね」

橋下徹が突き進める平成の“維新”で、日本はどこへ向かうのか。