中国からの給水が金門島に必要なことは事実であり、蔡英文総統もそのことには口を出さないけれど、それを宣伝するような式典など派手な活動は控えるように要請しましたが、現地からは断られたようです。以下、報道を引用します。

中国側の宣伝に利用されることを警戒した蔡政権は今回、金門県政府に式典を見合わせるよう要請した。だが、無党派の地元首長は「庶民の暮らしが第一だ」と開催を決定。ただし、中台双方の当局者は招かない形式となった。

 

一方、中国側は5日、福建省で独自に式典を開催。報道によると、国務院台湾事務弁公室の劉結一主任が、蔡政権を念頭に「台湾の一部の人々が暗い政治目的で民衆の水問題の解決を妨げている」と批判した。

金門島に中国側から送水開始 台湾が実効支配する離島

中国と台湾は、すでにビジネスの面では政府も民間も切っても切れない関係となっています。かつては中台対立の象徴でもあった金門島が、給水問題でそれを象徴するような立場になっているのは、なんとも皮肉なものです。

そもそも福建省が中国に編入されたのは五代十国の時代であり、1,000年ほど前の宋、元の時代には『八閩(はちびん)』とも呼ばれ、南蛮人の地として極めて貧しい地域で、泉州、彰州に続いて金門からの台湾への移民が多くいました。今でもブルネイの華僑は、金門島出身者が多いと言われています。

国共内戦の最後の山場である金門戦争は、近現代史では有名です。私が小学4年生のときには228台湾人大虐殺が起こり、その後、大陳島撤退作戦があったことから、当時、難民と小学校で共同生活をした経験もありました。

国民党軍が国共内戦で唯一勝ったのは、金門島の防衛戦だけでした。その当時、金門島の参謀長を務めていたのは、蒋介石がわざわざお願いして来てもらった日本人将官の根本博でした。根本将軍の台湾での活躍は、日本人将校による『白団パイダン)』訓練の草分けとなりました。

私はかつて、台湾の新聞記者を連れて白団の将校たちにインタビューしたことがあり、歴史の真実が明らかになると台湾のマスメディアが大騒ぎしたものでした。

アモイからは金門島の人々の生活が、肉眼ではっきりと見えるほどの近距離にあるのに、戦後なぜ人民解放軍が攻撃しないのかについては、毛沢東中国は一つ」という戦略があるからとも言われています。

台湾では、金門と媽祖の離島はずっと政治的課題として議論されてきました。中国に返還すべき、いや「公民投票による住民自決」が重要であり住民の意思を無視すべきではない、など様々な主張があり、金門島と媽祖島の所属をめぐる問題は中台の間に横たわるややこしい問題です。