『植治の庭―小川治兵衛の世界』(淡交社) 著者:田畑 みなお


ここに造園界の国木田独歩がいる

もう十数年前になるが、熱の旧岩崎別邸の西洋館を見に行った時、建物の前に広がる庭が、作りは日本式なのにイギリスの西洋館ととても合っていて感心した。日本の伝統的な庭にありがちなわざとらしい自然ぶりがなく、日本でもイギリスでも自然はこんなだろうと思わせるようなごく素直な日本庭園だから西洋館とも合ったのだろう。

管理人の作かときくと、

"ウエジ"

とのこと。 やはりウエジか。明治中期以後昭和はじめまでに建てられた顕(きけん)紳士の邸宅を探訪すると、たとえば京都なら旧山別邸()で、東京なら旧古河邸で、しばしばウエジの三文字を聞くことになる。

何の名前だか分かりづらいが、京都木屋の小川兵衛のことだ。といっても、おそらくたいていの人は初にちがいないし、なんで植木屋のおやじのことをわざわざ問題にするのか見当もつかないかもしれない。

も初めてウエジの名を聞いた時はそうだった。大工五郎ダイトラで彫物師の五郎ホリタツで、およそ職業の一字と名前の一字を合わせて呼ばれているような人物は講談や落語ネタにはなっても文化の上に上ったためしはないのである。

しかし、植治のことを少し知り始めてみると、京都のお庭を見歩くのが好きな人や日本庭園の伝統に魅せられている人はもちろん、日本の文化と近代化の問題に関心のある人なら植木屋治兵衛の名と仕事は知っといた方がいいと思うようになった。

現在、われわれは館や邸宅だけでなく共的な場でも日本庭園を見るし、海外にもいくつも作られているから、なんとなく当たり前でめて考えもしないが、実は、江戸時代までの日本庭園と明治中期以後今日までの日本庭園はちがっている。別物になったとまでは言わないにしても、作庭の立脚点は大きくズレた。そのズレをたった一人で引き起こしたのが植治にほかならない。

植治こそ近代日本庭園の発明者で、今日われわれが親しんでいる日本庭園はたいてい彼の作庭の流れに属するにもかかわらず、なぜかこれまでその作庭の実際と意味をまとめた本が一冊もなかった。明らかに後世の落ち度にちがいないが、さいわいこのたび京都の研究者と出版社(淡交社)の手で長年の落ち度がされ、でも植治が切り開いた明るい庭の世界をまとめて眺めることが可になった。没後六十年にしての慶事である。

植治は万延元年に生まれ、明治十年に植木職の小川に養子に入り、三十代の半ばまで、伝統を誇る京都植木職人の一人として過ごす。転機が訪れたのは明治三十五年のこと。山から京都の別邸の作庭の仕事が舞い込んだのである。つづいて、府知事から「山さんへ行っている植木屋を呼べ」のがかかり平安神宮(しんえん)もまかされることになる。

以後、京都大阪神戸だけでなく岡山山口静岡東京と、明治大正昭和を通して走り回り、昭和八年に没するまで件をす庭を残した。

の別邸・の時からそうだったが、植治は伝統的な日本の庭が気に入らず、なんとか変えようと思った。どこが気に入らなかったかというと、その不自然さがいやだった。

離宮や安寺の石庭はむろん、江戸期を代表する大名庭園においてはことさら、物性と物語性が庭には付きもので、たとえばこの石はどこどこの産で、このは何でといった銘石、銘木趣味があり、石を組むには釈迦三尊になぞらえた三尊石の組み方があり、石、石の蓬莱山の考えがあり、あるいは歌に寄せた池の作りや築山の作法があり、これでもかと見よがせに落ちるや巨大な石籠があった。

すべてはいちじるしく作為的で、作為のバックには江戸期に定形化した和宗教や絵画や文学といった文化が隠されていた。

植治はそうしたものから自由になりたいと願った。しかしそこは作庭の苦しさで、素材は同じ石と木としかない。で、彼はどうしたかというと、京都の町を出て山に分け入り、の様子、地のの流れ、岩の露頭をじっと見つめた。そして、町に下り、頭の中にしだいに浮かんでくるイメージを庭に定着させ、迷うとまた山に入った。

定形化した文化を一度離れ、野生の自然に還ることで新しい庭の文化を生み出したのだった。

出来上がった植治の庭を具体的に眺めると、まず石籠が姿を隠し、それまで立っていた石が寝姿になり、庭木はかくべつ立つものはなくなり、芝地が広くとられ、そうした中を流れるも池も"入瀬の渓流"といった情。

一介の植木屋のオヤジがどうして国木田独歩のような意識と方法を得たのか分からないが、一見、江戸時代からズルズルと今日まで続いていると思われている日本庭園の世界にも、近代的なリアリズムの影は深く落ちているのである。

【初出メディア
週刊朝日 1991年1月4/11日号

【書誌情報

植治の庭―小川治兵衛の世界

著者:田畑 みなお
出版社:淡交社
装丁:大本(237ページ
ISBN4473011585
植治の庭―小川治兵衛の世界 / 田畑 みなお
江戸時代までの日本庭園と明治中期以後今日までの日本庭園とのズレをたった一人で引き起こした「植治」とは