僕が前に営業の仕事をしていた時に、顧客の心理がどうしたら好意的に傾くのか、色々な心理学を通して学んだことがありました。
そしてそれを「対・女性」に応用して、もしかしてこうしたらモテるんじゃないのか、ということを検証してみたことがあります。
結果として非常に効果が高かったですし、異性としてみられ、人から好意を寄せてもらうための、自分の中での「王道パターン」的なものも出来上がりました。
ところで、僕は妻と出会って二年が経ちましたが(交際1年・夫婦生活1年)、この2年間でその出来上がったモテテクを妻に対して使った記憶があるのは、初めましてでお茶した時だけです。
それ以降はモテテクや心理学的な知識を使おうと思ったことすらないというか、そもそもパートナーとの幸せを築く過程で、それを登場させる必要のあるシーンがないんですよね。


モテテクとはつまりCMのようなもの

世の中にはいろんなモテテクや男ウケのための情報がたくさんあふれていますが、あれらの全ての目的は、「最大公約数的にたくさんの人から好かれやすくなること」であって、「特定の一人から愛されること」ではないんです。
そこをごっちゃにして、「将来は素敵な旦那さんと幸せな家庭を築くぞ」と思ってるのに、一生懸命「女磨きよ!」と息巻いている人のいかに多いことか。
モテテクとは言うなれば、あなたという商品のCMです。「わたしってこんな人ですよ」という商品のスペックを最大限に演出して「買ってみよう」と思わせること、それがモテテクの目的なんです。
でも実際に買ってみると、「なんだこれ」と思う商品もありますよね。過大広告というか、「全然効果ないじゃん、このサプリ!嘘つき、痩せるって言ったじゃん!」みたいな。
モテにも同じことが言えて、モテる人が実際に「幸せ」という結果を提供してくれるかどうかは全くの別問題。モテテクの延長に、幸せはないんですよね。
モテ山と幸せ山は、全然違う別の山なんです。幸せ山の頂にたどり着こうと思ったら、モテ山の頂を極めた人であっても、一から登り直さないといけないんです。


要するに、どうすると幸せになるの?

って、思いますよね。でも、人によって何を幸せと感じるのか、そこに答えがないので「こうすれば幸せになれるよ!」と一概に言えないことがなんとも歯がゆいところです。
ただ、幸福度が高い人の共通点はお伝えすることができます。その共通点とは「幸せを感じるハードルが極端に低いこと」です。
道端に咲いている花を綺麗だなと感じる心、好きな人と手をつなげることを当たり前だと思わず喜びを感じられる心、どんなに辛いことがあっても、最終的には「よかった」と思える心を、幸せな人はみんな持っています。
これはパートナーがいる人もいない人も同じ。独身だから、既婚だからというステータスは関係ありません。
独身者なら一人でいることに幸せを感じればいいし、パートナーがいるなら二人でいることに幸せを感じればいい。全ては自分の気持ち次第です。
極端なことを言えば、彼氏に二股かけられていても、「わたしの人生は最悪だわ」と思うひとが不幸になり、「おかげで彩りのある人生になるわ」と思う人が幸せになる、ということなんです。
幸せのハードルを下げるということは、言い換えれば「周囲の状況がどうであれ、自分は積極的に幸せであること選択する」ということでもあるんです。


モテは一対多の関係性の中に、幸せは一対一の関係性の中にある

かと言って、モテテクを学ぶ必要がない、というわけではありません。
恋愛市場においては否応無しに「あの子よりも可愛いこと」を求められます。そこには他者との比較があり、競争があり、選ばれるための努力が欠かせません。
CMをしてアピールしていかなければ人の目に止まることすらないので、お付き合いが始まるまでには、モテテクを磨くことが有効であることは間違いがありません。
しかし、一度お付き合いが始まればそれ以上CMをする意味はありません。そのあとは、ひたすら「選んでくれた」人との対話が続いていきます。
独身なら自分のとの対話、パートナーがいるなら相手との対話をこなしていくこと、それが幸せの山を登るということです。
じゃぁその対話って?という話はまた別の機会に。今回の記事の目的は、モテと幸せが全然違うものだということ、まずはそれを理解してくれれば大成功です。(川口美樹/ライター)
(ハウコレ編集部)

「モテること」と「幸せになること」、その違いとは一体?