夏の風物詩風鈴。チリンチリンという透き通った音色を聞くとどこか涼しい気持ちになれますよね。今回は、パワースポット研究の第一人者として雑誌、ラジオ、テレビなどにも出演していて、メルマガ『暁玲華の日本を占う』の著者である暁玲華さんが、風鈴の音色を楽しめる女性に人気のパワースポット、埼玉の「川越氷川神社」と日本橋の「福徳神社」を紹介しています。

川越氷川神社 公式サイト

主祭神:素戔嗚尊奇稲田姫命・大己貴命・脚摩乳命・手摩乳命

二組のご夫婦神が祀られていることから「夫婦円満・縁結び」、またこれらの神様方はご家族なので「家族円満」運をいただけ、家族を大事にすると福がくる今週にはぴったりの神社。この神社の特徴は、お祭りが華やかで、特に夏は女性に人気があり遠方からも崇敬者を集めているところです。

夏越の祓えのお祭りは旧暦に沿っているので、ほとんどの神社が6月30日に行うところを、7月31日の17時から行われます。宮司と神社裏の新河岸川に参列者全員で、人形(ひとがた)を流しにいくのが独特ですね。

川越氷川神社 公式サイト

七夕祭も旧暦に沿って行われ、8月7日18時から行われます。二回目の七夕ということで片思いの人には挽回のダブルチャンスになり、そこも人気の秘密なのではないでしょうか。この神社は七夕祭を中心に縁結びのイベントを行っており、その名も「縁結び風鈴」として7月7日から9月9日まで、「風鈴回廊」「恋はなび」「あかり」「光る川など昼も夜も素敵な演出で楽しめます。わくわくできる神社として、この時期の暑さを忘れさせてくれるような催しですね。

川越氷川神社 公式サイト
川越氷川神社 公式サイト

「光る川」は昔、入間川の底が光るのでたどっていくとこの神社にたどりついたという伝承があり、その光景をイメージして天の川のようだという演出をしているそうです。素敵ですね! 「恋あかりもその光る石をイメージしたもののようです。入間川の光る石とは何だろうと調べると、入間川下流に矢颪凝灰岩という岩があり、矢颪凝灰岩の中には白い粒の中にキラキラ光る黒い粒が入っていて、その角閃石や、輝石という鉱物が光るのだそう。

川は違うのですが、近くの多摩川の鳩ノ巣渓谷あたりの白丸鉱山からは、世界でも珍しいベニト石というサファイアのような石が発見されています。こちらの石も青く光っていたそうです。なので、もしかすると入間川にも同じ系統の石が昔はあったのかもしれませんね。

さて、川越氷川神社には時間がタイトで行けないけれど、風鈴は楽しみたいという人におすすめなのが日本橋の「福徳神社」横の「森の風鈴小径」です。7月6日から9月24日まで開催中。仕事の合間にリフレッシュできそう!!

まち日本橋公式サイト

鹿島神宮の跡宮

夏越の大祓には「鹿島神宮の跡宮(あとのみや)にも行ってきました。「跡宮」は鹿島神宮創建時から特別に重要な神社で、祭神は鹿島大神の荒魂を祀っています。

祭神名の伝承は大曲津命、または瀬織津姫といわれ、別名「荒祭の宮」ともいいます。

これは「内宮」の「荒祭宮」の祭神が天照坐皇大御神の荒御魂であり、「倭姫命世記」等では八十曲津日神または瀬織津姫といわれているのと似ていますね。瀬織津姫は大曲津命と同神といわれており、本居宣長はこれらの神と八十禍津日神は同神だとしているので、三神は同一存在であり、祓戸四神のうちの一柱が祀られているということでしょう。

伊勢神宮と似ているのはそれだけではなく、斎宮のような高位の巫女が神を祀るということでも似ています。

鹿島神宮には明治まで「物忌」という巫女がいました。この物忌の初代は神功皇后の娘の普雷女(あまくらめ)といわれており、明治までわずか27人のみ。中臣氏の当禰宜家の女性で6歳から13歳までの二人の候補者から、亀卜によって一人が選ばれ、百日の斎戒の後、亡くなるまで勤め上げるので90年にもわたって奉仕した方もいたそうです。

その「物忌」が住んでいた場所を物忌館といい、跡宮の敷地内にありました。

「物忌」は本社鹿島神宮御本殿の奥にある御内陣に奉仕するのが役目で、神の后のように大神に仕えるお役目です。物忌館から鹿島神宮への道程で顔を見られてもいけなかったそう。

また、「物忌」は6回の大祭のみ跡宮の敷地から輿に乗って出向きます。その6回の祭事が「本宮祭(御戸開き神事)」「奥宮祭」「流鏑馬祭」「大宮祭」「将軍祭」「大生宮祭」であり、大生神社(元鹿島)は鹿島神宮ができる前に鹿島大神を祀っていた場所として出輿していました。

跡宮は現在の鹿島神宮ができる前に、普雷女が鹿島のこの地に来た時に創建されたのでしょう。鹿島の大神が最初に天降り給いし所であるといわれ、本宮の祭りの前日にこの社を祭ることがしきたりでした。そのことを謡った読み人知らずの和歌に「天降る これや昔の 跡の宮 神代も遠く 思うひさしさ」があります。

荒祭には現れ祭り(あれまつり)、生れまつり(あれまつりの意味もあり、神の降臨を意味する説もあるので、最初に鹿島大神が降りた生誕地が跡宮ということになります。実にすごい神社なのです。

その跡宮ですが、もうひとつの伝承が。初代物忌が珠を持っていたそうです。その珠を跡宮に祀り鹿島大神が降りたとか。その珠に興味がありますが、今はどこにあるんでしょう。跡宮の気は敷地は狭いながらも異常なほどのご神気です。なので、宮の下に埋められているのかもしれません。剣でなく珠なんですね。

写真の跡宮の横に、もう一つ祀っていた跡のような土地があるのですが、ここは物忌館があった場所のようで、きっと神社の中に現人神のように座っていたのですね。伊勢神宮は遷宮の場所として空いた敷地が常に横にあり、また横並びの神社は瀧原宮などもあるので、意味があるように思います。伊勢の昔の巫女や大物忌も神社の中に座っていたような方がいたのかもしれません。

跡宮の奥の敷地には、物忌の後見役の家があり、中世末から後見家だった中臣氏の子孫で千葉氏流の東家が今も住まわれているようです。息栖神社で猿田家があったように、このあたりの神主家は歴史が生きていてわかりやすいです。

来年は大嘗祭が行われる関係で、その神田を決定する亀卜が行われることで絶滅種のアオウミガメ小笠原諸島から調達するなど話題になりました。参考に「物忌」を占う時の亀卜のことを少し紹介します。

亀甲を 2 ~ 3 枚(候補者の人数分)用意し、物忌の候補者の名前を書く。神前に鼎(かなえ=三本足の青銅器)を立て、その上に亀甲を置く。朝から晩まで亀甲を焼く。物忌に相応しい女子の名を書いた亀甲は焼け損じず、そうでない女子の名のものは焦げるという。(『御ものいみ由来略』)

16世紀には、亀甲を焼き、女子の名の正中の部分にひびが入った方を物忌にする、という書(『鹿島大神宮物忌代々社職之次第』)もあるので、変化はあったようです。今回の神田の占いは場所を決める亀卜なので複雑な占いのようですね。

さて、跡宮に戻りますが、跡宮の瀬織津姫と息栖神社の気吹戸主命で、祓戸四神のうちの二神が鹿島の摂社に祀られていました。あとの二神も近くに祀られていそうですね。

参考:川越氷川神社まち日本橋

image by: oasis2me / Shutterstock.com

TRiP EDiTOR