私たちは「食」の行為を当然のようにしている。では、私たちの身体にとって「食」とは何を意味するのだろうか。本連載では、各回で「オリンポス12神」を登場させながら、食と身体の関わり合いを深く考え、探っていく。

(1)主神ジュピター篇「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」
(2)知恵の神ミネルヴァ・伝令の神マーキュリー篇「食欲とは何か? 脳との情報伝達が織りなす情動」
(3)美と愛の神ヴィーナス篇「匂いと味の経験に上書きされていく『おいしい』記憶」
(4)炉の神ヴェスタ篇「想像以上の働き者、胃の正しいメンテナンス方法」

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 表と裏、外側と内側を、常に正しく判別するのは案外と難しいものである。それは靴下を裏返しに履いたり、軍手の外側と内側が曖昧になったりした経験のある人であれば、なんとなく同意できるのではないか。

 人体の外側と内側もそうである。「さすがにそれは間違えない」と思った人は、胃や腸が「外側」なのか「内側」なのか、自信をもって答えられるだろうか。

「部外者」の食べ物を消化で「身内」にする

 飲み込まれて胃や腸に入ったものは体内にあるような気もするが、単に外から見えないだけである。胃や腸は口腔から空間的に外部とつながっており、実はまだ体内ではない。体内に入っていないが故に吐き出すこともできるし、緊急時には胃洗浄もできる。そして、ブドウの種など消化されないものは肛門からそのまま出てくる。

 ほとんどの食べ物は身体にとっては「部外者」なのであり、特に三大栄養素のタンパク質、炭水化物、脂肪を「身内」として体内で活躍させるには、「消化」という過程が不可欠なのである。

 第1回「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」でも書いたように、「消化」とは「消化酵素(アダマスの剣)によって食物を分解し、細胞膜を透過できる状態にする」ことである。消化酵素は、胃や小腸でも分泌されているが、消化の全体像から見て重要な役割を持つのが、膵臓と肝臓および十二指腸だ。

 ここで、膵臓と肝臓および十二指腸の象徴として、婚姻の神「ジュノー」を登場させることにしよう。

 ジュノーは神々の女王であると同時に、ジュピターの妻でもあるから、当然「アダマスの剣」(消化酵素)を使えるだろう。ジュノーはまた、多数の怪物を使役するし、情報収集能力にも秀でている。そして、嫉妬深さも激しく、ジュピターの浮気などに対して過激な実力行使に出ることもある。

膵臓の消化酵素と肝臓の胆汁が消化を担う

 膵臓からは膵液が、肝臓からは胆汁が分泌され、それぞれの液は膵管で合流して十二指腸へ放出される。消化酵素が含まれているのは膵液のほうである。膵液に含まれる消化酵素には、デンプン(多糖類)を分解する「アミラーゼ」、胃である程度細かくなったタンパク質(ポリペプチド)を分解する「プロテアーゼ」(トリプシン、キモトリプシン、エラスターゼなど)、脂肪を分解する「リパーゼ」などがある。

 消化酵素のうち、プロテアーゼはタンパク質である消化酵素自身あるいは膵臓自体を分解しないのか、という心配が出てくると思うが、「不活性な形で膵臓から分泌されるから大丈夫」というのが答えだ。十二指腸に放出されるときに初めて活性化して、胃から来るタンパク質を本格的に分解する(胃のペプシンも胃液中で酸性状態になることで活性化する)。

 また、脂肪が消化されるには、胆汁が必須である。というのも、脂肪は水に溶けないのでそのままでは大きな油滴状態になっていて消化酵素が働きにくいのだ。そこで、胆汁に含まれている胆汁酸という物質が洗剤の界面活性剤のような働きをして脂肪を細かく分散させ、リパーゼがうまく働くようになる。なお、胆汁酸は肝臓でコレステロールから合成される。

 さらに、膵液や胆汁はアルカリ性であり、胃で強酸性になった消化物を中和し、その後の消化吸収の安全性を担保する。これもまた膵液や胆汁の重要な役割である。

十二指腸は消化吸収の管理センター

 しかし、食べたものを消化によって「身内」にするだけなら、膵臓、肝臓、十二指腸は単なる仲人のようなものである。それでは、神々の女王ジュノーというより、近所の世話好きのおばさんという感じだ。

 実は、十二指腸からはさまざまなホルモンが分泌されており、状況に応じた消化活動全体の調節が行われているのだ。

 たとえば、胃に食べ物が入ると、胃の出口の幽門から十二指腸にかけて「ガストリン」というホルモンが分泌され、胃液の分泌を促進する。これで胃での消化が本格的に始まる。

 そして、消化物が胃から十二指腸へ移ったとき、その刺激によって「セクレチン」というホルモンが分泌され、胃酸分泌を抑制する一方で膵液分泌を促進する。つまりは、胃の消化活動を一旦落ち着かせるわけだ。

 また、脂肪など消化に時間のかかるものが入ってきた場合、「コレシストキニン」というホルモンが分泌され、胃の蠕動(ぜんどう)運動を緩やかにし、胆汁の分泌を促進させる。脂肪の消化が効率的に進むよう調節されるのだ。

 前回の第4回「想像以上の働き者、胃の正しいメンテナンス方法」で述べた空腹時の胃の蠕動運動も、十二指腸や小腸から分泌される「モチリン」というホルモンによって調節されている。このホルモンは、酸性の胃からの消化物が途絶え、十二指腸がアルカリ性に傾くと分泌される。

 これらのホルモンは、消化吸収の状況に合わせて、脳の食欲中枢とも連携しており、食欲調節の一部に組み込まれている。

 上記のほかにもさまざまなホルモンが相互に作用しあうことで、最も効率的な消化活動を実現させるように調節されている。やはり十二指腸は単なる仲人でなく、膵臓と肝臓を従えて消化吸収のフロー全体(ジュピターの素行)に目を光らせている管理センター(鬼嫁)なのである。

許容範囲を超えると病気に。内と外がつながると危険

 しかしながら、こうした巧妙なシステムは、なんらかの原因で調節の許容範囲を超えると深刻な事態になることが多い。

 例えば、ピロリ菌アスピリンなどの消炎鎮痛薬、ストレス、暴飲暴食などが原因で「十二指腸潰瘍」になることがある。特にピロリ菌の影響は、胃潰瘍に比べて十二指腸潰瘍の方が大きいことが分かっている。そして、生じた潰瘍を放置すると腸壁に穴が開く「十二指腸突孔」になることもある。これは、体内と体外が無防備につながって部外者の体内への乱入を招く非常に危険な状態であり、すぐに手術が必要となる。この部外者乱入状態をそのままにすれば、腹膜炎などを引き起こして命を落とすこともある。

 また、胆汁から生じた胆石(コレステロールなどが主成分)が膵管に詰まったり、習慣的に過度の飲酒を続けたりしていると、膵管中のプロテアーゼが活性化し、膵管や膵臓を傷つけて「急性膵炎」になることもある。この状態でうっかり何かを食べてしまうと、自動的に消化酵素が分泌されるため炎症はさらに悪化してしまう。まずは、病院で栄養分の輸液(点滴)をし、胆石があれば取り除く必要がある。

「身内」化には膨大なエネルギーが必要

 十二指腸潰瘍や急性膵炎は、どちらも激しい痛みに苦しむ疾病である。羽目をはずしたことによって、婚姻の神であるジュノーの逆鱗に触れた結果として生じる場合もあるだろう。手間暇かけて構築したシステムを壊されれば、それを修復するためにジュノーも強硬手段をとるほかない。それがさらに状況の悪化をもたらすのだ。

 では、なぜそうなるのか。実は、部外者(食べたもの)を体内で使える「身内」にするには多大なコストが必要なのである。消化吸収に使われるエネルギー(食事誘発性熱産生)は、標準的な1日の消費カロリーの1~2割程度にもなる。これは裏を返せば、システムが破綻した場合、本来は消化を維持するための膨大なエネルギーの一部が組織の破壊に使われてしまうということであり、身体へのダメージもより大きくなるのだ。

 ともあれ、ジュノーの逆鱗に触れて身体の内側と外側が融合するような事態にならないためには、万全の対策とはいえないものの、暴飲暴食を控え、できるだけストレスの少ない生活を送ることが肝要となる。

 さて、次はいよいよ消化されたものが体内へ入ってゆく。「体内に入る」とは具体的にどういうことなのだろうか。

第6回へ続く

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消化のシステムで調節の許容範囲を超えてしまうと、ときに十二指腸潰瘍などの深刻な病気になることも。アイコンは婚姻の神ジュノー。