その犬は、ツイッターを見ていたぼくの視界に、唐突に飛び込んできた。黒目がちで、ちょっと人恋しそうな犬。ビーグルチワワ、ヨークシャーテリアの三匹。

ツイッターには可愛い犬や猫の画像がたびたび流れてくるが、それは写真ではなかった。絵だ。ペンキで描かれた看板の絵だ。新潟県長岡市と、その周辺地域に掲示された、とあるペットショップの宣伝看板。これを撮影し、コレクションしたのが『例の看板 フォトグラフ・コレクション』である。

今年の夏コミコミックマーケット94)は、2018年の8月10日から12日までの3日間で開催された。『例の看板〜』は、そこで頒布された自費出版物らしい。らしいというのは、コミケが終わってから、ツイッターのタイムラインに流れてきたリツイートで、その存在を知ったからだ。

迂闊だった。コミケに行く習慣がないので完全に見逃していたが、どう考えてもぼくの好物である。ぜひ手に入れて読んでみたい。あれこれ調べるうちに、作者である新稲づなさんのアカウント(@plus6et)を突き止めてコンタクトした。ご本人から通販を委託しているサイトを教えてもらい、無事に購入することができた。

長岡の田園風景を彩る松田三連星
地方の県道をドライブしていると、ロードサイドに掲示された看板に目を引かれることは多い。神は見ているでお馴染みの「キリスト看板」、由美かおるの美脚が悩ましい「アース渦巻き」、元気ハツラツ「オロナミンC」。「松田ペット」の看板も、そんな景色のひとつなのだろう。ぼくは長岡を旅したことがなかったので、松田ペットの存在はこれまで知らずにいた。

だが、この本の著者が心惹かれるのもよくわかる。それくらい、この看板に描かれた犬たちは魅力的なのだ。実際、著者である新稲さん以外にも、この看板に魅了されて、発見・蒐集・研究にいそしんでいる人たちは多いときく。

松田ペット。通のあいだでは「松ペ」と呼ばれているらしいので、ぼくもさっそく真似させてもらうが、松ペの看板の基本形は、前述したようにビーグルチワワ、ヨークシャーテリアの三匹を横に並べて描いたスタイルだ。これを通は「松田三連星」と呼ぶ。これが長岡市内を中心に、数100カ所も掲示されているのである。たった一軒の、個人経営のペットショップの看板が、だ。なんたる過剰。なんたる旅情。

そして、ここが重要なところなのだが、これらの看板は印刷ではなく“手描き”なのだ。1枚1枚すべて手描きペイントされている。だから、まったく同じ看板は1枚として存在しない。あえて言わせてもらうが、なんたる異常!

どうですか、そろそろエキレビ読者にも松ペの恐ろしさが伝わってきましたか?

長岡まで来ておれを見ろと犬が言う
松ペの看板を紹介した『例の看板 フォトグラフ・コレクション』とは、風景のコレクションである。

本書の中で、著者はこう言う。

〈例の看板は長岡に存在し、広告としての存在意義を持ちながら風景として溶け込み、いつの間にか変わっているからこそ真価を発揮するのだろう。ゆえに、その価値を損なわずに作品をアーカイブする最良の方法は、長岡を散策して看板を探し、その風景を写真に収めること、一人でも多くの人にその体験をしてもらうことではないかと思う。〉

いまはインターネットがあるおかげで、地方の珍スポットや珍物件にアクセスすることが容易になった。けれど、パソコンのモニタ越しにその存在を確認したところで、それを本当に“見た”と言えるだろうか。

珍物件というのは、そのものだけがそこに出現したわけではない。それを取り巻く地域性や風土と共にあるのだし、その土地でなければ生まれない理由もあったはずだ。

ぼくは仕事机に座ったまま、通販で『例の看板 フォトグラフ・コレクション』を簡単に手に入れることができたが、読んでいくうちに「長岡まで来い」そして「その目でおれを見ろ」と、黒目がちな犬に言われた気がした。
(とみさわ昭仁)