昨年6月、ミャンマーの小学1年生用の教科書が一新された。改訂作業は順次進められ、2021年までに1年生から5年生まですべての学年に新しい教科書が導入される予定だ。

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 軍政時代の終焉を受け、自ら主体的に考え、学び、意見を伝えることができる人材を育てるべく、日本の強力な後押しを受けて進む教育改革。

 新しい国づくりの根幹と言うべき壮大なこの取り組みの思想を広く国民に伝えたのは、1本のドラマだった。

「学びのファシリテーター」としての教師像描く

 小学1年の算数の授業。教壇の上から「4本の直線と4つの角に囲まれているのが四角形、3本の直線と3つの角に囲まれているのが三角形、そして、角も直線もなく、曲線で囲まれているのが円です。分かりましたね?」と男性のベテラン教師が繰り返し叫ぶ。

 次第に大きくなる男性の声と裏腹に、つまらなそうに頬杖をつき手遊びを始める女の子や、後ろの席の友達と私語を始める男の子たち。

 他方、隣の教室では、女性教師が子供たちを数人ずつの班に分け、お菓子の箱や空き缶の形を紙にトレースさせている。

 自ら手を動かし、友達と話し合いながらそれぞれの図形の特徴や違いを発見し、グループ分けする彼らの表情は、皆、生き生きしていて、男性教師のクラスの子供たちとは対照的だ。

 ミャンマー語を教える時には生徒に新聞の文字を切り抜かせ、理科の授業では教室に土を持ち込んで落ち葉や虫を観察させる女性教師のやり方に、「遊ばせているだけではないか」と眉をひそめる男性教師と保護者たち。

 だが、目を輝かせながらクラスメートと意見を交わし、考え、意気揚々と発表する子供たちの姿を目の当たりにし、「新しい教え方は必ずや子供たちの将来の可能性を最大限に広げてくれるでしょう」と校長に諭される中で、次第に態度を改めていく――。

 知識を一方的に伝える伝道師から子供の学びのファシリテーターへと変わりゆく教師の姿を描いた約40分のドラマが、今年1月から国営を含む3つのテレビ局を通じてミャンマー全土のお茶の間に繰り返し流されている。

 多い時は、日に4回放送されているという。

脱暗記中心型教育で一人ひとりに配慮

 1988年から20年以上にわたって続いた軍政が2011年に民政に移管され、国際社会への復帰を果たしたミャンマー

 そんな同国を全面的に支援すべく、日本は長らく緊急人道支援に限定していた政府開発援助(ODA)の対象を大幅に拡大し、鉄道の改修やティラワ経済特区(SEZ)の開発、法整備支援など、経済発展や投資環境整備を通じて近代化を後押ししてきた。

 同時に、自ら考え、主体的に動いて新しい国づくりを担っていく次世代を育成するために壮大な取り組みも進んでいる。

 2014年には、国際協力機構(JICA)の下で現在の暗記中心型教育を抜本的に改革するための協力がスタート。

 軍政の下で編纂された初等教育のカリキュラムを一新し、国語(ミャンマー語)、算数、理科、社会、音楽など、全9教科10科目の教科書を改訂するため、各教科の専門家が検討を重ねている。

 2017年6月に1年生用の新しい教科書が全国の小学校で配布されたのを皮切りに、翌2018年6月には2年生の授業にも新しい教科書が導入された。

 現在は、3年生用の改訂が進んでおり、2021年6月までに小学校のすべての学年で新しいカリキュラムに基づいた授業が行われる予定だ。

 教師用指導書の作成や生徒の評価方法の改定、現職教員向け研修指導要領の作成と教員研修も実施されている。

 子供たちが進んで手を動かして実験や観察に取り組み、考え、意見交換するよう促す新カリキュラムを実践するには、教師自身も認識を改め、一人ひとりの様子にこれまで以上に気を配らなければならないためだ。

 実際、冒頭のドラマでは、理科の授業中に土を観察している子供たち一人ひとりに目配りしつつ教室をゆっくり歩き回る女性教師の姿をカメラが丁寧に追う。

 新旧の教育思想の違いや、現場で起こり得る混乱と誤解を丁寧に描いたこのドラマは、昨年、新学期の開始に先立ち制作されたCMとともに、新しい教育を保護者や現場の教師、広く国民に知らしめるという大きな役割を担っているのだ。

自ら学べる子を育てる教室

 構想から脚本、演技指導、編集、放映まで、一連のプロセスの陣頭指揮を執ったのは、日本の国際開発コンサルティング企業の一つ、パデコの川島加奈惠さんだ。

 「新しいカリキュラムに賛同し、柔軟に適応して授業に取り入れる若手教師と、従来の教え方に固執し反発するベテラン教師の2人を軸に、周囲の変化を描こう」――。

 設定はすぐに思いついたが、新しい教育の思想を正確に分かりやすく伝えるプロットに落とし込むべく、試行錯誤が続いた。

 川島さんが最初に考えたのは、ベテラン教師のクラスの方がテストの点が高いことを知って、「今のやり方は子供たちを遊ばせているだけではないか」「成績が下がらないか心配だ。これまでのように真面目に教えてほしい」と訴える若手教師のクラスの保護者たちを、校長が「次の試験を見ていてください」と説得。

 最終的には若手教師のクラスの点がベテラン教師のクラスを上回り、新カリキュラムの効果に皆が納得する、という内容だった。

 テストの結果によって進学や将来の職業が左右されるこの国では、点数に訴えるのが最も説得的だと考えたのだ。

 だが、違和感が消えなかった。新しい教育では、「テストの点が取れる子」ではなく、「自ら学べる子」を育てようとしているはずなのに、このままでは誤ったメッセージを伝えることになる――。

 そう気づいた川島さんは、「テストの呪縛から抜け出そう」と決意。

 推敲を重ね、最初は新しい教え方に懐疑的だった保護者たちも、観察や実験に積極的に取り組み、友達と議論し堂々と発表するわが子の姿に驚き、成長を実感する、という冒頭のストーリーが完成した。

 「シナリオの完成まで数か月かかりましたが、結果的に最初よりメッセージがクリアになったと思います」と川島さんは振り返る。

 撮影に入ってからも、苦労は続いた。何より、主役の若手教師を演じる女優に新しい授業の中身を理解させるのが大変だった。

 彼女自身、従来の教え方しか知らないことを考慮すれば致し方ないとはいえ、子供たちに考えさせるシーンでも、沈黙を恐れて「分からないの?」「こうでしょう?」と台本にない言葉を口にしてしまうことが続いた。

 黙っているよう注意すると、「それでは子供たちが作業している間、私はどこにいて何をすればいいのですか?」と聞かれることもあったという。

 川島さんはそんな彼女に自ら教室を歩いて机間巡視をやってみせるなど、粘り強く演技を指導。しかし、そうやって撮り直しを重ねていると生徒役の子供たちが飽きてしまうため、演技に集中でさせるのにも苦労した。

 ミャンマー語の長さも盲点だった。子供たちが自由闊達に発言する姿を通して新カリキュラムの特徴を伝えよう、という狙いとは裏腹に、授業の冒頭で教師がその日の作業を指示する単純な台詞すら、日本語や英語に比べると長くなりがちだった。

 教師の発言シーンを少しでも短くすべく、コンマ1秒単位で編集を繰り返したという。

 さらに、授業シーンにリアリティーを出すべく、各教科の専門家の協力も仰ぎ、班作業の時の机の配置から板書の仕方、図形をトレースさせる時のジュースの缶に至るまで細部の演出にもこだわった。

日本のコンテンツ普及の先駆けにも

 対外開放が一気に進み、今後、否応なく国際社会で競争にさらされていくミャンマーでは、自ら考え、意見を表明し、時には議論しながら新しい国づくりを担っていける人材の育成があらゆる分野において喫緊の課題になっている。

 今回の教育改革が刺戟剤となって、今後、ミャンマー社会に主体性と創造性を持った人材が輩出されるようになってほしい――。

 一連の教科書改訂と指導要領の開発作業には、そんな関係者の切なる願いと期待が込められている。

 しかし、初等教育は、人の価値観や基盤を形成するうえで特に重要な教育段階であると同時に、その内容や思想は国民性の形成にも直結する。

 その意味で、今回の改革において新しいカリキュラムが策定されたのみならず、趣旨を広く伝えるCMやドラマが日本の支援で制作され、全国放送された意義は大きい。

 おりしも、現地では今年6月、NHKグループや官民ファンドが出資し、ミャンマーと共同経営するメディア会社「ドリームビジョン」が発足した。

 2011年の民政移管や2013年の検閲制度廃止を受けて新しいテレビ局の設立が相次ぐ一方、資金や人材の不足が原因で魅力的なコンテンツが少なく、韓国やインドなどからの調達が多い同国において、ドラマや音楽などこれまで遅れを取っていた日本のコンテンツ普及を促進する狙いだ。

 その意味では、日本の知見と技術を生かして日本人の下で現地制作され、全国に届けられた冒頭のドラマは、期せずしてその先陣を切る形になったばかりでなく、現地発のコンテンツの共同制作という観点からも、時流を先取りした取り組みだったと言えよう。

 表現の自由が実現し、コンテンツ産業が盛り上がりを見せる同国では、今後、日本の協力を現地に伝える広報にもますます新たな発想が求められることになりそうだ。

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