日本の伝承や昔話によく出てくる「雨乞い」。干ばつに困ったときなどに雨が降るよう祈る儀式ですが、調べてみると意外と豪快で激しい様子が伝わってきました…。日本各地で儀式の様式はさまざま。ここでは一部を紹介します。

山間部に多い雨乞い

村の代表として猟師が選ばれ、山の頂で儀式を行います。とりわけ強力な霊力が備わっているとされる信仰の厚い山で行われます。

明治以前の日本では、山は信仰の対象であり、スポーツや楽しみのために登山する風習はなかったため、山へは獣を捕る猟師か、神仏を奉る神官やお坊さんしか入りませんでした。また、名だたる霊峰は女人禁制でした。

そのため、一般民衆が用もなく奥深く分け入ることはなく、雨乞いは山に詳しい猟師が選ばれることが多かったのです。

猟師は天狗などその山で崇められている神仏の祠へ行き、挨拶をしてから登頂します。そこで這松の枝でかがり火をたき、祈願の目的である暴風雨の真似をします。体全体で真似るのですから、一種のトランス状態のように見えたことでしょう。

そして日本酒を飲み身を清め、鉄砲を空に向けて撃ち、高い尾根の上から岩を転がし落とします。
その理由は、わざと大きな音を立てて神仏に気づかせるためだそうです。その後大声で願い事を唱えて終了です。

徳島県の雨乞いの滝

私の雨乞いの記憶と言えば日本昔話の[河童の雨乞い]なので、雨乞いは平地で行うものだと思い込んでいました。岩を落とす…登山客の多い現在では、危険な行為ですね。

願いが叶わなかったら…あえて禁断の行いを!

それでも雨が降らなかったらどうするのでしょう。人々は泣き寝入りするわけではありません。

なんと祠を壊してご神体を台座から落とし、田んぼに投げ込んだりして「太陽に二、三日あぶられみたら、私たちの気持ちがわかるだろう」などと罵ります。

辛かったら雨を降らせてみろ、ということですね。石の地蔵を縛り上げたり、水を掛けて、雨を降らせるよう責め苦を与えることもありました。

また、竜神に対しては、河原で獣を生け贄にすることもありました。生き血が岩に飛び散ると「この汚れを清めるために雨を降らせろ」と龍神に頼むといいます。半分脅しですね。用意する獣は、雨雲に似た黒々とした色でなければ、効き目がないとされていました。

山伏や修験者の雨乞い

呪術をもって雨乞いします。神水を振り撒くことで雨を、火を焚いて煙を出すことで雲を、太鼓で雷鳴を真似て雨を呼び寄せます。

琵琶湖周辺

村野代表が琵琶湖の水を竹筒にくみ、全速力で村に戻ります。雨はその使い走りが止まったところに降るとされているため、村に戻るまで休むことは出来ません。使いは村近くの山に登って太鼓を叩き、神に願い事を知らせます。

近畿地方

近畿地方では芸能を奉納するスタイルが多いそうです。願いを聞いてもらうために、神に喜んでもらうため踊るという意図があります。

近畿には日本神話の元となる伝承が多くあり、天岩戸に隠れた天照大神を踊りで引き出したアメノウズメは芸能の神ですし、その夫の猿田彦は天狗のモデルとなった神で山に住むとされているので、山とは関係性が深いですね。

男性が女装して踊る!?

昔から水不足に悩まされてきた香川県。県内にはたくさんの雨乞い踊りが伝承されていますが、なかでも「綾子踊」は現在のまんのう町(旧仲南町佐文)に伝わる踊りで、男子が女装して踊ります。

伝説では「綾」という女性が、旅の僧に干ばつの苦しみを話したことから始まります。僧は龍王に願いをこめて雨乞い踊りをすれば雨が降ると教え、綾がその通りに雅楽器や太鼓の音に合わせて踊ったところ、滝のような雨が降ったといわれています。それ以来、水不足の時期に綾が踊ると雨が降ったことから、誰ともなく「綾子踊」と呼ばれるようになったということです。

なぜ男子が女装するのか、はっきりとした理由がわかりませんが、まんのう町の説明では「これは踊りの縁起主である綾子(巫女)を美しく象徴したものであると考えられる」とあります。

また、綾子踊りは歌舞伎踊りの原型に似ているそうです。

女性から始まった出雲の阿国の「かぶき踊り」も、いつしか「若衆歌舞伎」といって少年らが踊るものに変化したので、形式美としての「女装」が定着したものなのかもしれません。

稲作に欠かせない雨、そして当時の人たちの切迫した願い…。一見罰当たりのような行為もあって驚きましたが、理由を知ると納得します。多種多様な雨乞いのスタイル。調べれば、まだまだたくさんの秘儀がありそうですね。

参考文献:『日本アルプスの登山と探検』ウェストン著 岩波文庫
参考サイト:まんのう町

関連画像