カンニング竹山9月16日、サンミュージックの大先輩であるお笑いコンビ・ブッチャーブラザーズと並ぶところをSNSに投稿した。サンミュージックの取締役でもあるリッキー9月8日に60歳の誕生日を迎えたので、サンミュージック芸人たちが還暦祝いを企画したのだ。

竹山はぶっちゃあ、リッキーとのスリーショットに「1番俺が禿げてはいるがのブッチャーブラザーズの子供達の一員である事は間違えないです!」(原文ママ)とツイートしたり、集合写真を公開すれば「リッキーさんによってカンニングは売れました。カンニングの師匠はリッキーさんとテレビ朝日の〇〇さんです」とつぶやいている。

福岡県福岡市出身の竹山は大学受験で浪人していた1990年、小学生の同級生であるケン坊田中(現、福岡吉本)とお笑いコンビ「代々木くんと河合くん」を結成、予備校のNGにより「ター坊ケン坊」と改名する。同年4月にTNCのオーディション番組『第1回激辛!? お笑いめんたい子』で優勝すると、5月にはコンビで福岡吉本の第1期生となった。

博多華丸・大吉も同期にいたが、竹山は1年で福岡吉本を辞めて上京し、小学校の同級生だった中島忠幸と再会する。1992年に中島とカンニングを結成して渡辺プロダクションに所属するも、その後は個人事務所を経てサンミュージックプロダクションに所属した。

竹山は2012年7月30日放送のラジオ番組『ニュース探究ラジオ Dig』(TBSラジオ)で、その頃について語っていた。

実はサンミュージックを一度辞めており、個人事務所を経て再びサンミュージックに所属したのだが、ネタもろくに作らずダラダラしていたという。竹山が28歳の頃、カンニングをクビにするかどうかを話し合う会議があった。

当時の社長とマネージャー全員、ブッチャーブラザーズが並ぶ会議室に呼ばれ、資料で業績を見ながら「あんまり伸びてないねえ」「ライブとかもあんまりウケてないらしいねえ」などとやりとりして採決をとり、誰も手を挙げずに「じゃあ明日からクビです」という流れになる。

するとブッチャーブラザーズリッキーが「ちょっと待てや」と社員たちに向かって切り出し、「なんも分かってへんな。クビにすんのこいつら?」「こいつら何かあるで! 説明できへんけど、もったいないわ、こいつらクビにしたら!」と訴え「サンミュージックが辞めさせるなら俺が預かる」と救ってくれた。

リッキーに預かられる形で「お前ら何かあるんや!」「好きなことやってみ!」「放送禁止用語でも何でもええわ、言いたいことやってみ!」とアドバイスしてくれ「怒られたら全部俺がケツ拭いたるわ」とまで言われて、カンニングのキレ芸に繋がるのだ。

人気バラエティ番組に出演しはじめ、2004年6月にはお笑い番組『エンタの神様』(日本テレビ系)へ初出演して際どい言動で注目を集める。その後も同番組をきっかけに知名度を上げ人気芸人となった矢先、同年12月に中島が白血病のため入院する。

竹山は中島が復帰した時に戻れるようピンで「カンニング」の活動を続けるが、2006年12月20日に療養中の中島が他界、彼はその後もカンニング竹山の芸名で活動を続けている。

先日、9月15日には「早いもので今日は奴の13回忌法要。急遽決まったのもあり3時間ばかりの故郷滞在」とつぶやき、中島と並ぶ「カンニング」の写真を投稿していた。相方も天国からリッキー師匠の還暦を祝福していることだろう。

画像は『カンニング竹山 2018年9月16日付Twitter「1番俺が禿げてはいるがのブッチャーブラザーズの子供達の一員である事は間違えないです!」「サンミュージック芸人によるブッチャーブラザーズリッキー師匠の還暦祝い!」、2018年9月15日付Twitter「早いもので今日は奴の13回忌法要。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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