このコラムでもすでにお伝えしてきた通り、2018年はスウェーデンアカデミーのセクハラ問題でノーベル文学賞が出せなくなってしまいました。

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 そのため、スウェーデン文学界と善意の読者による「ニューアカデミー」が「1回限りのノーベル代替賞」を作りました。

 このノーベル代替賞、本物ではないという意味で、以下「偽ノーベル賞」と記しますが、他意はありません。

 ところが、ノーベル賞とは縁もゆかりもない、ノミネートした「1回限りのノーベル代替賞」にノミネートされていた日本人作家が、あろうことかノミネートを辞退するという、前代未聞の挙に出ました。

 欧州知識層からは面白いことをする人だと見られています。

 賞を授与されたけれど辞退するケースは、いくらでもあるでしょう。例えばノーベル文学賞の受賞を辞退というより拒否した、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルのケースがすぐに思い浮かびます。

 あるいは、そのノーベル文学賞を得た大江健三郎さんが、日本政府から授与を打診された文化勲章を辞退したことも、ご記憶の方が多いかと思います。

 これは、文化庁から「文化勲章を授与が決定しました」と打診されて、それに対して断りを入れたものであって

 「文化勲章にノミネートしたいと思うのですが・・・」

 「要りません」

 というような珍妙な話ではありません。どうして「ノミネート辞退」などという前代未聞の行動を取ったのか?

 何一つ、定まったことはありませんが、大方の見通しでは、2018年にこの「偽ノーベル賞」を貰ってしまうと、少なくとも2019年に公開される、2018、2019年度分のノーベル文学賞を授与されることはないだろう、という観測が支配的です。

 というのも、現時点でもスウェーデンアカデミーは半崩壊状態で、立て直しの目途がまだ立っていません。

 2018、19年度のノーベル文学賞は、かねてのダーティーなイメージを払拭する、よほど清新なものでなければ、スウェーデン国内を含め国際世論が納得しないだろう、という見方がなされています。

 そこで前年の「偽ノーベル賞の後追い」などは絶対にしないだろうというわけです。

 この「ノミネート辞退」という前代未聞の日本人作家は、いわずとしれた村上春樹氏で、「そこまでしてノーベル賞が欲しいか?」と、賞に恋々たる姿勢そのものが、「ノーベル賞の授与に相応しくないのでは?」という声も聞かれました。

 それ以前に、村上春樹氏はノーベル文学賞に全く相応しくない、まるで逆の傾向の作家であるという見方が、すでに一部では定着しているのも事実です。

 日本では、本の売り上げが大事なのか、日本人が活躍というと何でも喜ぶという話なのか、ともかく「ノーベル文学賞村上春樹」という脊椎反射が見られます。

 しかし、アカデミーが刷新して 頭がおかしくなってしまわない限り、この作家がノーベル文学賞を受けることはないと認識しています。

 別段、罵詈雑言でもなければ批判ですらありません。

 大衆小説作家が芥川賞にノミネートされないというのと同じくらい、根拠のはっきりした「お門違い」だからです。

 文学賞の選考に関わるまともな人で、村上氏を候補と考えている人はいないと思います。

 今回の「偽ノーベル賞」も、ノーベル賞本体とは縁もゆかりもない「勝手連」が村上氏の名を挙げているだけで、本来のアカデミーから事前に情報が出たことは本質的にあってはならないし、実際にないことです。

 では、どうして、村上氏はノーベル文学賞と縁がないのか?

アルフレッド・ノーベルが遺言したこと

 数週間前のこの連載にも記しましたが、アルフレッド・ノーベルが莫大な遺産の運用に関連して遺言した「ノーベル賞」の中で、文学賞とは

 「(先立つ年度に)出版に関わって人類の進むべき理想の方向を指し示すのに寄与した人物」に授与されるのを大原則としています。

 必然的に、これは「作家」に与えられる賞ではなく、ノンフィクション・ライターや政治家、あるいはベルグソンやサルトルのような哲学者も対象になります。

 もっとも哲学者に授与するとサルトルみたいに辞退するケースもあるわけですが・・・。

 さらには、一昨年に受賞したボブ・ディランのように、かつてベトナム戦争の時代、反戦を謳い上げたシンガー・ソング・ライターにまで授与される賞であって、別段狭義の「文学」や「小説」に限られるものではありません。

 ただ、徹底しているのはノーベルが遺言で示した方向性です。

 「人類が進むべき理想の方向性を指し示す仕事」

 ベルグソンも、サルトルも、またボブ・ディランも、一切ぶれることなく、私たち人間がどのように生き、どのような方向に向かって生きるべきかを示す仕事をしてきました。

 あるいは現在世の中に流布している誤謬を正し、権力の腐敗を告発し、虐げられた弱い人を庇い、新たな光をもたらすような仕事に、あくまで「旧西側」的な観点からですが、ストックホルムは光を当て続けてきました。

 このため、1973年ベトナム和平交渉の当事者として、米国のヘンリー・キッシンジャーとベトナムのレ・ドゥクトが受賞しますが、レ・ドゥクトは「いまだ平和は訪れていない」としてこの受賞を拒否しています。

 これに先立つサルトルの文学賞辞退のケースでも、ノミネートを知った時点でサルトルは「受賞したとしても受けることはない」との手紙をストックホルムに送っていたと伝えられています。

 しかし、「ノミネートから辞退」などという珍妙なことをする人は、かつて前例がありません。

再発防止に有害な作文は二度とやめてほしい

 今年の7月6日と26日、オウム真理教事犯で最高刑が確定していた13人の収監者に対して絞首刑が執行されました。

 この種のタイミングで、必ずと言っていいほどピントのボケた文を発表する村上春樹氏は、今回も毎日新聞に作文を投じ、辺見庸氏などから徹底的に批判されています。

 村上氏の話が素っ頓狂なのは、「オウム真理教事件」の全体像を見ず、すべてを「地下鉄サリン事件」だけに矮小化しているからだけではありません。

 事件後にデータマンやスタッフがおんぶにだっこで作ったインタビュー集を既成事実のごとく前提として、一般読者がなるほど、と思うような、本質と無関係なファンタジーを書き連ねる点にとどめを刺します。

 今回は、特にノーベル賞に関しては受賞者に相応しくない、との烙印を自ら決定づけるような作文になっていました。

 ここで村上氏は、海外向け、国際社会向けには

 『一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている』

 とし、英語やスウェーデン語で国際社会の歓心を買いそうなヒューマニズムの
ポーズを取る際には、トレンドどおり「死刑制度そのものに反対」と宣伝してみせ、返す刃で、こちらは必ず日本語だけですが、死刑存置の世論が高い国内読者向けには、

 『「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる』

 と、時と場所によって見解を使い分けていることを自ら露骨に記してしまいました。これは、流行作家としては当然の配慮で、日本国内の顧客を念頭においたマーケティング的には全く納得のいく話です。

 同時に、国際世論、とりわけノーベル賞に関わるような水準の議論では、最も軽蔑される両面宿儺の状態にほかなりません。

 8月、欧州で、日本語だけで公刊されたこの作文をドイツオランダフランスの、関連の問題解決に長年尽力してきた友人たちに示して意見を求めてみました。

 「すべてのケースでなんだこれは?」

 と呆れられて、「相手にする水準ではない、国内向けの大衆作家の自己PRだろう」で終わりとなりました。

 ノーベル賞がどうこう、という水準の議論ではないのです。

 私は、身近に事件の犠牲者があり、オウム真理教事件とその裁判、判決後に20余年関わってきました。

 データマン丸投げの村上氏の本の事実誤記の悪質さは許容範囲を超えており、スタッフが取ってきた傍聴券で聴いた法廷の感想など、多くの日本人が現状を追認する方向に寄り添う、事実とほとんど無関係なストーリーだらけで、二度とこの人の作文は読むまいと怖気をふるったものでした。

 河出書房新社からの依頼で、毎日新聞に掲載された作文を読みましたが、第1文から問題だらけで、お話しになりません。

 実は、この連載向けにも村上氏の作文「詳解」を記そうと思いました。

 しかし、本当に冒頭の2センテンスだけで1回分の紙幅をオーバーしてしまい、そもそも、元の文章があまりに不潔に感じられ、出稿をペンディングしている状態というのが実のところでもあります。

 今回の稿のリアクションを見て、爾後どのようにするか、考えるつもりですが、ともかくこの作家の「TPOによる内容の書き分け」と、それと対照的に一貫した「現状追認による販売促進」の姿勢は、ノーベル賞が求める「理想を指し示す傾向」と対極にあります。

 これは私のみならず、様々な関係者とここ10年、幾度も確認する機会があったことで、およそノーベル文学賞受賞など考えられるものではありません。

 四半世紀以上にわたってオウムの問題に悩まされてきた一個人として、この作家さんには、地下鉄サリンだけに矮小化して、再発防止の観点からはおよそ有害無益としか言いようのない作文を、二度と公刊しないでもらいたいと思っています。

 現状を追認し、およそ理想的な方向に国内外世論を導かないのみならず、こうした現実を自己PRに利用する姿勢そののものに、倫理の観点から強い疑問を抱かざるを得ません。

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