この記事が公開される9月25日は、私の教える大学では冬学期の開始日に当たっています。そこで学生諸君も念頭に、経済政策にまつわる話題を記してみましょう。

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 ふだんあまりこのコラムに書かない種の話ですが、このところ学術会議の政策提言というものを書かされていいます。

 それに関連し、そこに書かないトピックスからご紹介してみます。

 1999年に大学に呼ばれてから、科学技術政策答申などの官僚作文をするようになって、かれこれ20年、いろいろなところにクレジットの入らない文章を書いてきました。

 大規模なものとしては経済産業省プロジェクト「動け!日本」(2002-03)や「第三次科学技術五か年計画」(2004-05)の部分部分のアンカーなど、とても勉強になりました。

 すでに時効と思うので記しますが、第一次の科学技術基本計画のゼロからの立ち上げにあたっては、1995年当時通産省に在籍していたT課長補佐の絶大な尽力がありました。

 大学学部時代からの親友T君は、現在は、名を挙げれば知る人は誰でも知るベンチャーの雄でCEO(最高経営責任者)を務めています。

 その彼T君であるとか、あるいはこちらは実名を挙げて問題ないでしょう、現在は早稲田大学で教鞭を執られている平田竹男さんとか、切れ味鋭い戦略マン諸氏のおかげで、政策答申という局所的な仕事だけですが、戦略文書の作成と実行完遂に関しては、いろいろ鍛えられました。

 ちなみに、余談というかぼやきですが、こういう文書作成は時間も労力もコストもかかるのに、東京大学の中では、これを勝手に盗用する高齢者が普通にあり、率直に司直に問う段階のものもあるように思っています。

 現在、論文については無断盗用は職位を問われる責任問題に発展しますが、こうした文書についても剽窃盗用した者の責任を問えるようにしてほしいと切望しています。

 外で原稿を書けば生活が成立する程度の仕事を普通に取っていく例を実際いくつも経験しており、喉まで名前が出かかっているのを我慢して本稿も書いています。

 閑話休題、現在私が手がけているのは、ゲノムに始まる生命のダイナミクスをメカトロジーに組み込むシナジーの問題で、こうした話題も20年来つき合ってきたものですが、およそ普段は言及しないものです。

官費の使い方は「変」が普通

 日本は公共事業立国などと言われたこともあるように、官のお金が国の経世済民を回してきました。その財政政策が完全におかしなことになっていますが、是正の機運は全く見えません。

 一例を挙げましょう。高等学校の授業料の軽減事業で、国はザックリ4000億円程度のお金を使っているようです。

 それで得られた成果として、高校中退者が1000人減ったなどと主張されている場合があるようですが、仮に4000億円かけて1000人中退が減った以外に成果がないとすれば、1人の高校中退を減らすのに4億円かけていることになる。

 もちろん、現実にはそんな簡単なことではないのもよく分かっていますが、国会は予算委員会をあれだけ紛糾させながら、決算委員会は儀式にもなっていません。

 要するに公共事業は行ったものはすべて正しい、やったもの勝ちになっている、という現状を押さえておく必要があるのは間違いありません。

 ついた官費は、形式的にはヒステリックなまでにルールに従ってチェックする。ルールにさえ合致していれば、その内容を問われることはない。

 高等学校中退者1人を減らすのに何億円かかったか、といった、内容面に立ち入るチェックは、形式的な会計検査の範囲を越えますから誰も文句をいうお役人はいない。

 唯一、クレームが入り得るのは主権者国民の代表が検討確認する国会決算委員会です。ところが、これはトンネルとなるのが通例となって明治以降のこの国の財政が恒常的に空洞化しているわけです。

 そんな中で、私がいまコミットしているのは

 「介護イノベーションは、要介護度が高くなる方が儲かり、寝たきりを量産する方向で動きかねない」

 ことへの警鐘を鳴らし、まっとうな政策へのかじ取りを切り直すよう、データに基づいて政策答申しているわけです。

寝たきりは作られる

 以下、個人的な経験で恐縮ですが、そうでもないと書けない内容なのでお許しください。

 2002年11月、私の母親が肺炎で入院し、「今日あたり危ないかも」と、救急車で運ばれたJR東京総合病院で言われたことがありました。

 「今日は付き添いの方のお戻りが遅くなるかもしれません」

 という日本語は「今日死ぬ可能性があるからいてね」という意味だと、後から教えてもらいました。

 「今日はお戻りいただいて結構です」と午前1時過ぎに言われ、車で帰宅しました。

 それは「今日は多分死なないから、ロビーでうろうろせず帰ってください」という意味だというのは、後輩の医師から「臨床しゃべり文例集」で習うものだと教えてもらいました。

 うちの大学の系列病院に入れて、舞台裏を全部教えてもらったことで学んだ人生の教訓と思っています。

 ここで、主治医の若いドクター君から「一度は寝たきりになると思うので、そのように覚悟してください」と言われました。

 大学の同僚からは「寝たきりにすると寝たきりになって早く死ぬから、寝たきりにさせないのが早期退院のポイントだよ」とのアドバイス

 このときほど、大学に勤めてよかったと思ったことはありません。危篤を脱した直後から、院内のベッドサイドリハビリテーションで歩行訓練を開始し、全く寝たきりにせずにさっさと退院させました。

 ここで、この観点から介護ビジネスを見ると、実に効果的に重度を作り出してそろばんの珠が動くように作られているのがありありと見えてしまい、げんなりとしたものです。

 「そろそろ1人で生活させておくと心配だから、お婆さんには介護施設に入ってもらいましょう」

 こういうことは普通にあると思いますが、入所されると、勝手なことを年寄りにやられて事故などあった日には責任を問われますから、ともかく何もやらせない。

 そして効果的にボケさせていく。結果的にではあっても、それは2018年時点での日本国の冷徹な現実にほかなりません。

 病院に入れると、ともかく何もさせない、寝たきりにする。そして、寝たきりになる。以後の残った人生のQOLは、凄まじい低空飛行を余儀なくされる場合もある。

 こういう方向で物事が回るような官費執行になっていても、誰も、どこも、ストップさせる機能が働いていない。

 こんな狂った社会でいいわけがありません。

 そこに、学術の観点から、確固たる証拠、プルーフを突きつけながら「こんなことしていると、国が亡ぶからやめなさい」という指導していくのが、日本学術会議の政策提言や諮問答申の、一面の真実にほかなりません。

 しかし、こうしたバカバカしいことを、比較的短期間に、えいやっと克服する方法があります。

 AIの利用です。

おかしな政策はAIで矛盾を指摘せよ!

 大学で経営学を教えても会社の経営など絶対にできない、という議論があります。

 実際、その通りだと思います。マネジメントというのは創造的な仕事で、4年とか6年とか、ちょろちょろとコースを修めても、MBA程度のスキルが身につくのがせいぜいで、日本ではそれもおぼつかない。

 芸大音大で作曲を学んでも決して作曲家になれないのと同じで、また大学の文芸コース出身で作家になった人がいまだかつて日本にほとんどいないのと同様に、学校でゼロから会社経営を教えることなどできないでしょう。

 しかし、いったん実施された経営の中身を、後からチェックすることは、学校でも可能です。監査法人のスタッフスクールで量産可能です。

 ということはAI実装も全く普通にでき、自動化によって職が減る分野と言ってもいいでしょう。

 衆参両院の「予算委員会」とは、陣笠の狐タヌキムジナももんがぁの類が、各々の利権を背景に綱引きというよりは地引網をあちこちで割いて穴を作り出し合っているようなものだと思います。

 現状では開店休業の「決算委員会」は、AIとデータ駆動科学のフル投入で、現状と全く違う、生き生きとした修羅場になる可能性があります。

 日本復活の兆しはこのあたりからではないかと個人的には思っています。こうした場を活用できる人が与野党を問わず活躍してほしいものです。

 企業であれば一番責任を問われる部分がまるでトンネルなわけです。それだから3代目“社長”でも務まるという、いまの総阿波踊り状況でも国内だけならなんとかごまかしがついているというのが現状でしょう。

 社会統計はいくらでも嘘をつくことができる「小説」のような面もありますが、さすがにどうにも動かせない、不動の事実、ファクトというものもあります。

 現状の、国富を食いつぶす専門みたいになっている、与野党揃って大半が与太郎国会はいい加減卒業して、エビデンスに基づく「発狂していない政策」を推進していただきたい。

 より踏み込んだ具体的な内容は、続稿に記したいと思います。

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