私たちは「食」の行為を当然のようにしている。では、私たちの身体にとって「食」とは何を意味するのだろうか。本連載では、各回で「オリンポス12神」を登場させながら、食と身体の関わり合いを深く考え、探っていく。

(1)主神ジュピター篇「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」
(2)知恵の神ミネルヴァ・伝令の神マーキュリー篇「食欲とは何か? 脳との情報伝達が織りなす情動」
(3)美と愛の神ヴィーナス篇「匂いと味の経験に上書きされていく『おいしい』記憶」
(4)炉の神ヴェスタ篇「想像以上の働き者、胃の正しいメンテナンス方法」
(5)婚姻の神ジュノー篇「消化のプレイングマネジャー、膵臓・肝臓・十二指腸」

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 ミステリーの醍醐味の1つは、やはり密室トリックであろう。密室トリックでは「犯行時刻に被害者以外の出入りが困難」であることが前提にある。犯人はどうやって忍び込んだのか、あるいはどんな方法を使って犯行を可能にしたのか、そこに謎解きの面白さがある。

 細胞にも似たようなところがある。細胞膜は基本的に脂質(油)でできており、水に溶ける物質は通しにくい。一方で、消化で生じた糖やアミノ酸には水に溶けるものが多く、細胞膜をそのまま通過することはできない。にもかかわらず、現実には糖やアミノ酸は小腸から体内へ吸収されている。

 まさに密室トリックのように思えるのだが、糖やアミノ酸が供給されている限り、小腸での吸収は途切れることなく続いていく。

 となると、小腸は「特定の犯行時刻の密室トリック現場」というよりも「必要な獲物(栄養素)を常に狙っている狩人」のような存在と見た方が適切であろう。

デンプンやタンパク質を分解して、小腸に通し吸収

 ギリシャローマ神話で狩猟の神といえば「ディアナ」である。ディアナは処女神で純潔の象徴でもあり、純潔を犯すものは誰であっても容赦しない。つまり、狩りの獲物以外の汚らわしいもの(消化されてない異物)はいっさい受け付けないのである。同時に、狙った獲物は銀の弓矢で確実に仕留め、自分のものにする。

 さて、狙った獲物(栄養素)を仕留め、自分のものにする(吸収する)ために、小腸の上皮細胞はどんな戦略をとっているのだろうか。

 まず、アミノ酸や糖に細胞膜をそのまま通過させることはできないわけだから、特別な仕組みが必要となる。具体的には、特定の糖やアミノ酸だけを通す「トランスポーター」と呼ばれるタンパク質が、小腸上皮の細胞膜上には何種類も埋め込まれている。

 ただ、このトランスポーターを介して物質が体内へ入っていくには、タンパク質ならアミノ酸、デンプン(多糖)ならブドウ糖(単糖)などにまで小さくなっている必要がある。

 1匹なら仕留めることができても、群れを一気に狩るのは難しいのだ。やはり、大きな分子は身体にとってはまだ異物なのであり、体内に入ってきては困るのである。そのために膵液に含まれる消化酵素によって、タンパク質やデンプン(多糖)はかなりバラバラにしてきたわけだが、まだ完全ではない。

 そこで、それらをさらに細かくする消化酵素(銀の矢)が小腸の上皮細胞には存在する。その消化酵素は、上皮細胞から分泌されたり、上皮細胞の細胞膜上に配置されたりして、麦芽糖などの二糖類や、アミノ酸が3つ連なったトリペプチドなどを分解して、必要なアミノ酸や糖を無駄なく細胞内へ取り込むのである。

 以上が、デンプン(多糖)やタンパク質の吸収過程である。

 健康食品などでよく見かけるコラーゲンやナットウキナーゼは、さまざまな効果が喧伝されているが、どちらもタンパク質であるから、アミノ酸に近い段階まで分解されない限り小腸から吸収されることはない。そして、期待されるタンパク質の機能は、小腸に吸収される時点で完全に失われてしまっている。よって、当然のことながら、口から摂取したそれらのタンパク質の体内での効果は期待できない。

アミノ酸や糖は門脈を直行し肝臓へ

 吸収されたアミノ酸と糖のその後についても簡単に記しておこう。

 トランスポーターを介して上皮細胞を通過した糖やアミノ酸は毛細血管に入る。通常、動脈から枝分かれした毛細血管は、再集合して静脈となり心臓へ戻っていくのだが、小腸の毛細血管が再集合すると「門脈」という特別な血管となり、肝臓へ向かう。そして、門脈は肝臓内で再び枝分かれして、糖やアミノ酸のそれぞれの活用法が決まる。

 すなわち、狩りで得た獲物(アミノ酸や糖)は、門脈というバイパスを通って、食肉加工場(肝臓)へ直行するというわけである。

脂肪は遠回りに運ばれて肝臓へ

 ここで「脂肪はどうなっているのか」と気になっている方も多いだろう。脂肪は、胆汁に含まれる胆汁酸によって微小な小胞として小分けにされた後、膵液の消化酵素で分解されて小腸へやってくる。脂肪はもともと水に溶けないので、その分解産物も細胞膜とは相性がよく、吸収も容易であろうことは想像に難くない。

 実際、小胞に含まれる脂肪分解物の多くは、糖やアミノ酸で必要だったトランスポーターなしに、ほぼ上皮細胞内へ取り込まれる。まるで細胞膜という投網で群れ(脂肪の分解物)を一網打尽にするような感じである。

 上皮細胞に入った脂肪の分解産物は、再び脂肪へと合成される。しかし、全身に脂肪を供給するためには、再び「水の世界」へ戻らなければならない。そこで「水の世界」での脂肪の運搬を実現させるため、「カイロミクロン」という脂肪を含んだ巨大な輸送体が小腸の上皮細胞内で作られる。

 このカイロミクロンの表面は細胞膜と同じ成分、つまりリン脂質でコーティングされており、体液中を移動できる仕様になっているのだ。そして、カイロミクロンは毛細血管ではなく乳糜管(にゅうびかん)と呼ばれる毛細リンパ管へ送り出される。

 乳糜管に入ったカイロミクロンはその後、リンパ管 → 鎖骨下静脈 → 心臓 → 動脈、というルートを経由して、ようやく肝臓に到着する。

 つまり、糖やアミノ酸と異なり、脂肪は門脈経由の肝臓直行ルートではないのである(ただし、吸収の際に、脂肪の分解産物を取り囲んでいた胆汁酸は、門脈へ進む)。

小腸の技は巧みだが危険も

 脂肪の吸収において糖やアミノ酸と異なる点がもう1つある。肝臓に至る途中で、カイロミクロンが筋肉や心臓、脂肪組織へ脂肪を供給してしまうのである。つまりは、狩った獲物を、食肉加工場(肝臓)を通さずに、消費者(筋肉、心臓)や問屋(脂肪組織)に直接売りさばいているわけだ。そして、肝臓にたどり着いた売れ残り(カイロミクロン・レムナント)は、脂肪の新たな輸送小胞である超低密度リポタンパク質(VLDL)の材料として使われる。

 こうしてみると、獲物(栄養素)の特性に合わせて効率的に狩り(吸収)をするディアナの技法は、実に巧みというほかない。しかし、消化管は外部と内部の境界線にある。吸収器官である小腸においては、特に異物が侵入してくる危険性と常に隣り合わせである。密室トリックに不向きといっても、決して安全な場所ではないのだ。

 例えば、胃の強酸環境をくぐり抜けたバクテリアが、小腸内で大増殖したらどうするか。最悪、押し込み強盗事件(感染)に発展しないとも限らない。やはり、特別な警備組織、それも多様な侵入者にも柔軟に対応できる強力な部隊が必要である。

 次回は、そんな小腸の防御システムを紹介しよう。

第7回へ続く

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