まさかここまで完璧にハマるとは思っていなかった。Plastic Treeの有村竜太朗と、COALTAR OF THE DEEPERSのNARASAKI。竜太朗の2ndソロアルバム『個人作品集1992-2017「デも/demo#2」』は、バンドによる8曲と、op.(オーパス)シリーズと銘打ったアコースティックサウンドと、同じ曲の二つのアレンジを収めた作品だが、NARASAKIはop.シリーズの4曲でプロデュースを担当。楽曲の持つ儚さと美しさ、歌詞に込めた深い思いを掬い取った見事なアレンジで、有村竜太朗の世界を何倍にも広げることに成功している。ハードコアにルーツを持つ二人の関係性と、共同作業の楽しさについて、飾らない二人の本音を訊いてみよう。

――対談取材だとか、あらたまった感じではなくて。普段の感じでしゃべってもらえたらうれしいです。

有村はい。普段の感じだと、ハードに酔っぱらって幕を閉じるのが、近々の普段ですけど(笑)。

NARASAKI:あれは楽しかった。

有村レコーディングの時にたくさん話をしたんですけど、もっと話したかったなと思っていた時に、ナッキーさん(NARASAKI)にライブに誘ってもらって。そのあと飲んだんですけど、内容に行くまでに俺が酔っぱらってしまって(笑)。第二回があることを祈ってます。

NARASAKI:いやいや。本当に。

――そもそも、いつ頃からの付き合いでしたっけ。

有村:最初から話すと、20代の時にCOALTAR OF THE DEEPERSを好きになって、もうPlastic Treeをやってたんですけど、(長谷川)正くんと「DEEPERSヤバイね!」という話をよくしてて。でもナカちゃん(ナカヤマアキラ)は全然反応してくれなかったんですよ。で、しばらくしたらナカちゃんがDEEPERSのサポートでギターを弾くことになって、「ええー!!」って。あの時にはもう知ってたのか、未だによくわかんないですけど。

NARASAKI:二人の話を信用して、サポートに入ってくれたのかな。わかんないけど。

有村:当時は機材車がみんなのターミナルで、そこで流れるものが情報交換として、みんなの共通点になってたので。そんな感じでDEEPERSがすごく好きになったんだと思う。

NARASAKI俺の記憶だと、特撮とプラがどこかで対バンした時に紹介された気がする。2000年代に入った頃だったか。

有村:そこでご挨拶して、プロデュースもしていただいて。で、今回僕がソロをやっている中で、ずっと中心になっている釆原さんというエンジニアさんがいるんですけど、釆原さんもNARASAKIさんと仲が良くて、そういったいきさつですね。今回はアコースティックでお願いしたんですけど、いろんなことと同時進行していて、僕と釆原さんのほかにもう一人、アコースティックをプロデュースしてもらえる方はいないかな?って、なんとなく考え始めて。ある時、スタジオから帰る車の中で、ナッキーさんにやってもらえたらいいなと思って、次の日に釆原さんにそう言ったら、釆原さんも「僕もそう思ってたんです」って。もうバンドのレコーディングは始まってたから、時間がなくて、駄目元でお願いしたんですけど、快く引き受けていただいたというのが今回の経緯です。

NARASAKI:最初はアレンジャーで、という話だったと思う。

有村:それを釆原さんが録るということだったんですけど、結局ほぼナッキーさんにお任せすることになった。プロデュースですよね。

NARASAKIミックスまで自分でやるというのは、俺の提案だったんだけど。やりながらひらめくことがあると思ったし、短いスパンの中でそれをやるには、自分がミックスまでやったほうが効率がいいと思ったので。

有村:ぎりぎりまで、いろいろできますからね。

NARASAKI:1曲、マーチング・スネアを入れるというアイディアも、急に降りてきたものだったから。エンジニアと作業が別だったら、入れられなかったかもしれない。

――「19罪/jyukyusai」ですね。

有村:あのマーチング・スネアも、二人の関係性から出てきたものだと思うんですよ。「何で『19罪』なの?」「19の時に初めて作った曲なんです」という、レコーディング中にしていた会話を憶えててくれて、曲に込めた自分の真意を引っ張り出して、音楽的に消化してくれた。「この曲は、竜ちゃんにとってこういう意味合いの曲だと思うから、こういうアレンジはどう?」とか。

NARASAKI:19の時に作った曲を形にするということは、19歳の時の自分が曲の中に存在することだから。今の自分が、すごく前向きな19歳の自分を振り返るところで、行進曲的なアプローチができたら、“それでもまだ続いていく”みたいな意味が出てくると思ったので。歌詞にもそういう部分があるから、音もそういうふうにしたいと思いましたね。

有村:ぐうの音も出ない。ありがたいです。これはすごく神経質な立ち位置の曲で、良くも悪くも特別な、ずっとさわれなかった曲だったんですよ。Plastic Treeでも一回出そうとしたんですけど、誰かと一緒にやるところに出す曲ではないと思ったので。逆に言うと、これを作って“うーん”と思ったから、バンドを組むことに真剣になった、一つのきっかけになった曲でもあったんです。バンドアレンジのほうでは、違うメロディをつけて二部構成みたいになっていて、今の自分と19の自分とで対話ができたというか、それこそ一緒に行進できたんですけど、アコースティックのほうはナッキーさんに任せて。新しく付け加えたメロディのことも相談したんですけど、「ここで終わるのがいいと思う」って、作った当時のままを、ギターのストロークと歌で表現してます。関係値が高い人に見てもらいたかったので、すごく意味があることだったなと思うし、特にマーチング・スネアを出してもらった時はすごくうれしかったですね。

NARASAKI×有村竜太朗 撮影=西槇太一

NARASAKI×有村竜太朗 撮影=西槇太一

自分で作詞作曲したけど、ナッキーさんが新しく始めたプロジェクトのような感じに聴ける。でも確かに一緒にやった曲なんだよな、という不思議な感じ。

――人格にまで踏み込むアレンジといいますか。

NARASAKI:自分を起用してもらって関わっている間に、その人の曲への思いを知ったら、それはなるべく表現できたらいいなと思っているので。バンドアレンジのほうは聴いてないんですけど、アコースティックのほうは歌詞とメロディの本質的なところで表現していく場所だと思うので、歌が中心にあってから肉付けする感じでやってます。それを、短い時間でどれだけできるか。

有村:短かったですね……。

NARASAKI:でもその中でもいろいろなことを話せて良かった。十代の頃の話もいっぱいしたし。

有村:十代、二十代、三十代の話も全部しましたね。「僕、こういう感じでした」って。濃い時間でした。

NARASAKI:竜太朗が言ってた、フェスが爆発したというエピソードが最高で。

有村:あははは! 昔々、ハードコアが好きで、そのへんのシーンをうろちょろしてたんですけど。千葉LOOKでバイトしてた時か、そのちょっと前か、サイトウさんという店長が企画した野外フェスティバルを稲毛海岸でやってたんですよ。野外フェスティバルといっても、見てるお客さんのほとんどが出演者で、たまに海に行く家族連れとかが、距離をもって見守るみたいな(笑)。一組終わると必ずサイトウさんが出てきて、「いやー、盛り上がってますね!」みたいなことを言う。そこに緊張感のあるハードコアバンドが出てきて、爆発しちゃったんですよ。

――はい?

有村:えっとね、火を噴く人がいて、それが何かに引火して。あわてて消そうとして、水と間違えてガソリンをかけちゃった。そしたらボン!ってすごい音がして、煙噴いて爆発して、まさに暗雲たれこめる感じの。

――うわあ。洒落にならない。

有村サイトウさんが呆然として、「もう帰ろう……」みたいな。

NARASAKI:その話を聞いて、すごくいいことを聞いたなと思って。これは作品に残すべきだなと。

有村:全然入ってないじゃないですか!(笑)

NARASAKI:いやいや。芸術は爆発だなという気持ちで取り組もうということですよ。そのぐらい目が覚めたというか、すごいやる気になったんですよね、その話を聞いて。

有村:ナッキーさんは、ハードコアの話の食いつきがすごいから。

NARASAKI:当時、千葉の人たちは本当にすごかったんで。

有村:憧れの先輩たちですね。バンドを始めたのはたぶん違う理由だけど、バンドマンに憧れたのは、千葉駅にいたハードコアの人たちがかっこいいと思ったから。ああいう人になりたいって、中2か中3ぐらいの時に思ったので。千葉駅の改札を出たら、モヒカン頭の10人ぐらい、座って酒飲んでて。たぶん絡まれたいか、注意されたいか、騒ぎを起こしたいんだろうなという雰囲気で、鋲ジャンモヒカンの人たちが溜まってて、みんな川の流れのように避けて通って行くわけです。というのを見てて、僕も友達も「めっちゃかっけー!」みたいな。

――あはは。いいなあ。

有村:家では普通にU2とかa-haとか聴いてて、まだパンクやハードコアの音楽シーンは知らなかったんですけど。だけどそういう人たちがいて、取り巻きの少年たちがいて、その中に知ってる奴がいて、ライブに誘ってもらって、生まれて初めてライブハウスに行って、すごい衝撃を受けた。デモテープを買ったりして、家にあったギターでパワーコードを弾いて、だから初めて弾いたのも狂人病というバンドの曲で。

――おおー。

有村:音楽はある程度、テレビやラジオで聴いてたから洋楽は好き、学校で流行ってる邦楽も好きだったけど、初めてライブハウスに行って、その衝撃はでかかった。僕はバンドはしてなかったけど、あの時の衝撃は未だに忘れられない。

――やっぱり根は近いんですね。この二人。

NARASAKI:同じ千葉コアですから。違うか、俺は多摩だった(笑)。

有村:一番初めにナッキーさんに会った時、最終的に酔っぱらってくると、ハードコア話になっていって。ナッキーさんのやってた臨終懺悔というバンドの、まず名前がハードコアすぎるんですけど(笑)。それが共通項になってた。そういう話ができる人はなかなかいなくて、うちのメンバーでも正くんぐらいだし。


竜太朗からフェスが爆発したというエピソードを聞いて、これは作品に残すべきだと。芸術は爆発だという気持ちで取り組もうと、そのぐらい目が覚めた。

――NARASAKIさんはPlastic Treeの音楽について、どんな印象を持っていたんですか。

NARASAKI:どの曲もいいなあと思って、特にDEEPERSっぽい曲はすごくいいなと思います(笑)。

有村:あははは! だから逆に、ナッキーさんにプロデュースしてもらおうということになったし。でもDEEPERSのサポートをやって、ナカちゃんはいい意味で変化してくれて、それがバンドに返ってきて、Plastic Treeは一回りも二回りも変化できたと思いますね。僕は勝手に直属の後輩だと思ってます。

NARASAKI:えー、もっと早く言ってよ。

有村:言ってましたよ! 「プラットホーム」をプロデュースしてもらった時に、5人で飲みに行って、俺は酔っぱらって途中憶えてないですけど、その日以降はみんな“NARASAKIの兄貴”と呼んでたんで。

NARASAKI:しょうがねえなあ、今度おごるか。兄貴だから。

有村あざーっす! アキラも一緒にやらせてもらってるし、俺もこういう個人の形で、何で今までお願いしなかったんだろう?と思うんですけど。でもプラじゃなくて、しかもアコースティックのop.シリーズだからこそ、ナッキーさんにお願いした意味があるなと思います。

――アルバムの話に戻ると。彼の声とアコースティックの組み合わせは、すぐにイメージが浮かびました?

NARASAKIはい。詞とメロディがいいので、全然できるなと。詞とメロが良くないと、いろいろ音を足さなきゃいけなくなるけど。

有村:ナッキーさんが最初に送ってくれたデモを、釆原さんのところで作業しながら聴いて、二人でキッズのように大はしゃぎしたのを憶えてます。「おおー、かっけー!」とか言って。それがop.11「くるおし花」なんですけど、この曲のアレンジは、僕とナッキーさんが共通して好きなアーティストがいて、その要素をうまく出してくれて。ナッキーさんにしかできないアレンジを「竜太朗に合うよ」って、それはすごくうれしかった。ナッキーさんにやってもらったop.シリーズの4曲(「くるおし花」「日没地区」「19罪」「色隷」)には、そういうものが詰まってますね。自分で作詞作曲した曲なんですけど、ナッキーさんが新しく始めたプロジェクトの曲のような感じに聴けるのがいいですね。でも確かに一緒にやった曲なんだよな、という不思議な感じ。

――なるほど。

有村:「色隷」は、プリプロでスタジオに入った時に、ナッキーさんがちょろっとギターを弾いてるのを聴いた瞬間、キッズみたいになっちゃって、「それ絶対入れてください!」みたいな。あのギターはすごいです。

NARASAKI:歌がよく聴こえるように、ということですね。

有村:思い出の作品になると同時に、またやってみたいと正直に思いました。

NARASAKI:俺も思ったんだけど、普通は曲って一つの形しか出せないじゃない? だけど二ついっぺんに出すことができるんだというのが新鮮だった。

有村:十代の頃、アコースティックもけっこう聴いてて。パッと浮かぶのがドッグス・ダムールというバンドが、ロックンロールなバンドなのに、なぜかアコースティック・アレンジも出してて、そっちの方が好きだったんですよ。

――ガンズ・アンド・ローゼズも、アコースティック・アルバムを出してましたね。

有村:そうそう。あれも好きだった。バンドの人がアコースティックをやるのがすごく自然というか。ただアコースティックで弾いてるだけだと微妙なんですけど、「この人たち、フォークとかカントリーとかも好きなんだな」という感じって、出るじゃないですか。それが僕の初期衝動にはあって、やる意味があるだろうと。

――はい。なるほど。

有村:バンドだと、誰が作詞作曲しても4人のものという意識があるんですけど、これは一個人だから、何をやってもいいのかなと。好きなように、自己中心的にやれるなと思ったので。

――タイトルが『デモ』なので、デモ音源が入ってるんじゃないかとか、バンドでボツになった曲なんじゃないかとか思う人がもしいたら、そんなこと全然ないですから。本当にいい曲ばかり。むしろ、なんでバンドでやらなかったのかわからないくらいの。

有村:まあ、ボツといえばボツなんですけどね(笑)。逆に言うと、Plastic Treeはデリケートなバンドで、僕に限らず、何でこの曲やめちゃったんだろうね?というものがたくさんあるんですよ。バンドとして潔癖というか、全員がやり切れるというビジョンが見えないとやめちゃうし、本当はこうなるはずという手前ぐらいで止まっちゃうこともある。とてもデリケートなんです、バンドという生き物は。だから長くやってると、形にならなかった曲がどんどんたまってくるのは当たり前のことなんですけど、ミュージシャンとしての自分の寿命を考えると、それを出さずに終わってしまうと、何もなかったことになってしまうので、それは嫌だなと。今だったら音源として残せるし、バンドではできないことができるのは、すごくいいことだなと思います。やる意味がないことをやるのは嫌なんですけど、意味が生まれて良かったですね。

――これをきっかけに、二人の交流が活発化することを願ってます。

有村:またライブを一緒にやりたいです。

NARASAKI:よし。ハードコアやるか。

有村:喉が1曲ももたないです(笑)。

取材・文=宮本英夫 撮影=西槇太一

NARASAKI×有村竜太朗 撮影=西槇太一

NARASAKI×有村竜太朗 撮影=西槇太一




 

NARASAKI×有村竜太朗 撮影=西槇太一