ピークが短いのがアイドルの宿命と言えるが、それにしても、あまりにも早いお別れであった。あの可憐な少女たちは今、どうしているのか。

 みうらじゅんが「青春ノイローゼ」と表現したのは名言である。それほど栗田ひろみ(61)のアイドル時代は愛らしく、映画「夏の妹」(72年、ATG)や森永チョコレート「小枝」のCMなどで人気が爆発した。

 それでも80年で引退してOL生活を経験し、翌年に会社経営者と結婚。

 都内の高級住宅地に住む栗田を直撃すると、当時と変わらぬ笑顔で答えた。

「引退から35年以上もお仕事していませんでしたが、一度だけ引き受けたのが『放課後』DVD(06年)のオーディオコメンタリーでした。共演の地井武男さんと楽しくお話しできましたが、それから何年後かに亡くなられたのは残念でしたね」

 ここ数年、猛烈な復刻ブームとなっているのが河合奈保子(55)だ。97年の第一子出産から一切、活動をしていないが、写真集やライブDVDなどはいずれも大ヒット。80年代アイドルきってのグラマラスボディは、時間を超越するようである。

 さらに「秀樹の妹オーディション」が出発点だった河合は、今年5月16日西城秀樹の訃報に、在住するオーストラリアから久々に公式コメントを寄せている。

「余りにもショック過ぎて、言葉が出ません。秀樹さんにただただ、感謝の気持ちをお伝えしたい想いで一杯です」(原文ママ

 河合より1年早く、79年にデビューした倉田まり子(57)は、激流に飲み込まれた。85年に起きた「投資ジャーナル事件」で、中江滋樹会長の愛人説が飛び出した。倉田は否定したものの、これを機に引退。

 その後、法律事務所の秘書や予備校の講師を経て、キャリア・カウンセラーとして独立。大学生の就職指導などで手腕を発揮している。

 芸能マスコミとは厳格な距離を置くが、一方で自身が出演したドラマの再放送やCD発売などには寛容な態度を見せている。

「普通の女の子に戻りたい!」

 芸能史に残る絶叫でキャンディーズが解散したのは、今から40年前の78年のこと。結果的に3人ともそれぞれ芸能界に復帰したが、ミキこと藤村美樹(62)は期間限定のカムバックだった。

 11年にスーこと田中好子が亡くなると、ランこと伊藤蘭とともに弔辞を読み、変わらぬ絆を見せたことも。藤村自身は復帰の意思はないが、娘の尾身美詞(34)は青年座所属の女優として、堅実に活動中である。

 同じ渡辺プロの後輩だった三木聖子(61)は、デビュー曲の「まちぶせ」を石川ひとみがカバーして大ヒット。

 自身のアイドル活動は2年だけと短命だったが、現在は仙台市内で「MuMu」というスナックを経営。同時に、3人の娘を持つ“美人ママ”である。

 さて、日本でアイドルという呼び名が定着したのは71年のこと。その第1号とされるのが、シンシアこと南沙織(64)だ。沖縄からやって来た妖精は、これまでの日本の芸能界にいなかったタイプとして人気が爆発する。

 引退後は篠山紀信夫人として3児の母となったが、今なお親交のある麻丘めぐみが意外な素顔を教えてくれた。

「集まって飲むと、シンシアの焼酎をあおるペースがすごいんです。それでいつも次の日に二日酔いを訴えてくるんですよ」

 いつまでも「17才」ではないのだ。南沙織、小柳ルミ子とともに三人娘と称された天地真理(66)は近年、その窮状がたびたび取り上げられる。かつて「白雪姫」と呼ばれたトップアイドルは現在、川崎市内のシニア専用有料ホームに入所している。ただし、自身の弁によれば、

「若い時の浪費癖がたたって、蓄えはないんです。ファンクラブの人がカンパしてくれて、感謝の言葉しかありません」

 最後は、15年にコカイン所持で逮捕された高部あい(30)である。このことで事務所を解雇され、ドラマ収録部分もカットされるなど、影響は大きかった。逮捕当時、高部は妊娠7カ月であることが報道されたが、その翌年に弁護士との同棲と妊娠7カ月であることが本人直撃で判明した。

 逮捕時の妊娠はどうなったのか。気になるところだが、いずれにせよ、高部に芸能界復帰の意思はないようだ。

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