小室直樹という学者を知っているだろうか。

 1980年に『ソビエト帝国の崩壊』を刊行しソ連崩壊を予言した「天才」学者、角栄裁判では「検察官をぶっ殺せ!」とテレビ生放送で絶叫した「奇人」学者といえば思い出す方も多いのではないか。

奇人学者は練馬区の「スナックどん」で何をしていたのか

 この小室直樹、実は、私の命の恩人なのである。学問の道において挫折し死を決意したとき、ふと手にした小室の本が私の命を救ってくれた。

 それからは、小室の書いたものは全て読んだ。ただ、生前の小室に会う機会はついに訪れなかった。だから余計に小室のことを知りたかったし、評伝執筆の依頼があったときは取材名目で小室のことを聞けると嬉しかった。

 弁護士原発事故の紛争解決に携わる非常勤公務員の仕事をしながら、その合間に取材を始めた。最終的に取材した方は100名を超えた。評伝とは資料に依拠して書くだけではないことも身をもって知った。

 会津取材旅行の際、路傍で一人の老人に会った。「小室直樹さんをご存知ですか」と聞いたら「小さいとき一緒に遊びました」。彼から小室の同級生を紹介してもらい、国民学校時代を描くことができた。

皇国史家からノーベル経済学者までの「謎人脈」

 小室が長く住んだ練馬区の藤美荘周辺では近所の商店で聞き込み取材。閑散とした商店街の端にある「スナックどん」に辿り着いた。最初は警戒されたが、何度か通っているうちに、ママからプロポーズの秘話を明かされた。

 小室の人脈は広い。政治家の渡部恒三は中高の親友だった。皇国史観で名を残す平泉澄、ノーベル経済学賞を受賞したサムエルソン、戦後日本の社会科学界を牽引した丸山眞男、中根千枝、川島武宜、大塚久雄らの教えを受けた。小室の主宰する自主ゼミには、のちの社会学者橋爪大三郎、宮台真司、さらに小西克哉や副島隆彦までが参加していた。山本七平、立川談志、島地勝彦ら文化人、編集者らとの付き合いも多かった。

談志に尊敬された「立川流顧問」だった

 特に、立川談志とはよく飲んだ。他人の意見に納得することの少ない談志も小室の意見には素直になれた。「小室先生」と尊敬し立川流顧問に据えた。小室が出版社にカンヅメにされたときは、ホテルから拉致して湾岸ディスコVIPルームで飲みながら、小室の個人指導を受けた。

 日本の敗戦が許せず、大日本国の復興を期して社会科学の統合に邁進した学者でありながら、大の猫好きで、酒に酔ってやらかした話など愉快なエピソードは数知れず。加えて小室に縁のあった人々がまた魅力的だ。小室を育て支えた人々、小室ゼミ生ら、編集者らの奮闘等、サブストーリを多く盛り込んだ。結果、企画案では300頁であった総頁数が提出原稿では1500頁を超えた。

 編集者は困ったが、ほとんどそのまま採用してくれた。

 最終的には、社長が笑って「これで行こう」と言ってくれた。

 本書の刊行後、本屋を偵察した。嬉しいことに紳士が立ち読み中。30分後に戻ったら、まだ立ち読み中であった。しかし、立ち読みでは終わらない分量である。あの紳士は果たして、上下巻購入してくれたのだろうか。

(村上 篤直)

小室直樹 ©文藝春秋