2018年9月13日、東京。

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 自動運転の異端児・エヌビディア*1が主催する、AI開発者向けのイベント「GPUテクノロジ カンファレンス(GTC)ジャパン」。

 ジェンスン・ファンCEO(以下、ジェンスン・ファン)はその講演の席上、日本のヤマハ発動機(以下、ヤマハ)と「農業」などの分野で協業することを明らかにした。

 自動運転の世界では、インテルグーグル傘下のウェイモ、ライドシェアのウーバーなど、強力なライバルが激しいつば迫り合いを展開する中で、今なぜエヌビディアだけが「都市モビリティ」という主戦場ではない、「農業」の分野にコミットするのか。

【参考】自動運転とAIの到来が描く「製造業に不都合な真実
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49411

 その背景を丁寧に探っていくと、今回のヤマハとの協業は、自動運転のフロントランナーとして、今後も多大な投資資金を必要とする、企業エヌビディアの深謀遠慮が透けて見えてくる。

 ESG(環境・社会・ガバナンス)や2030年アジェンダSDGs(エスディージーズ:国連)など企業が果たすべき社会的責任について人々の関心が高まる中、「農業や物流、漁業などの分野で人手不足の解消に役立っていく」(日本経済新聞 朝刊9月14日)というジェンスン・ファンの発言を注意深く受け止めながら、しばし考えてみたい。

*1:エヌビディア(NVIDIA)はシリコンバレーサンタクララに本社を置くゲーム用の画像チップGPU)メーカー。ソニー任天堂など日本企業との繋がりも深い。十数年以上前に、画像技術の点で自動運転技術とゲームに共通点が多いことに気づいて研究開発を進めたという。自動車メーカーでも自動車関連のサプライヤーでも大手のIT企業でもないという点で、極めて異例の存在である。

AI半導体とソフトウエア導入で万能型AIプラットフォームを目指すヤマハ

 今回、エヌビディアとヤマハとの協業の対象になるのは、UGV(Unmanned Ground Vehicle)と呼ばれる、果樹栽培などの自動化を支援する無人農業用車両、産業用ドローン、産業用ロボット、そしてゴルフカートをベースとする電動ワンマイルビークル(PPM:Public Personal Mobility)である。

 ヤマハの先進技術本部研究開発統括部長の村松啓且氏へのインタビュー記事によれば、ヤマハがエヌビディアから導入するのはAI半導体「NVIDIA Jetson AGX Xavier」(以下エグゼヴィア)だけでなく、ソフトウエアである「NVIDIA ISAACロボティクスソフトウエア」(以下イザーク)もセットで含まれるという。

【参考】ヤマハ発動機、無人農業用車両をはじめとしたロボティクス事業でNVIDIAチップ、ソフトウエアを採用(@IT)
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1809/13/news089.html

 ヤマハが構想する具体的なロードマップとしては、まず、産業用ドローンや無人農業用車両にエグゼヴィアとイザークを搭載していく。

 2019年中には、数年以内の市場導入を目標に、自動運転の農業用車両の実証実験を開始する。

 近い将来、自動運転ドローンによる農薬の散布、自動運転の無人農業車両による果樹の収穫(おそらくAI画像認証技術を使って収穫すべき品種や果実の成熟度の選定を行うと思われる)、さらには収穫した農作物や作業人員・機材の運搬などを含め、農業現場の生産効率を高める統合型ソリューションがヤマハから提供されることになるであろう。

 そして、いささか深読みが許されるならば、自社製・他社製を問わず、ヤマハは農業の枠組みを超えて、彼らが保有する、あらゆるインテリジェントモビリティ製品群に適用可能な万能型の自動運転AIプラットフォームの開発へと地歩を固める思惑だろう。

 実は、今年1月のCES2018において、ヤマハは「ワンマイルモビリティ」を再定義するというコンセプトでゴルフカートをベースにした低速自動運転車のプロトタイプの展示を行っており、以下のようなコンセプトビデオを流していた。

【参考】Public Personal Mobility (PPM) #EnterpriseWith
https://www.youtube.com/watch?v=RXpasGcl7ao

 従来のゴルフカートのように道路に埋設された誘導線ではなく、道路表面の映像を極めて高精度に照合しながら走行する、というものだ。

 当然、この時にはエヌビディアとヤマハとの農業分野での協業の話は(少なくとも表面上は)微塵もなく、コンセプトカーは技術的には興味深いものの、過疎地に住むシニアの日常の移動手段のようなニッチなマーケット向けの製品提案くらいにしか感じられなかったのが正直なところである。

 しかし、この秋、エヌビディアの最先端技術を得ることにより、ヤマハのワンマイルビークルのプラットフォームは自動運転の無人農業用車両や、収穫した農作物、作業人員、機材を運搬する農業用自動運転車に大化けするだろうと推察される。

ソーシャルの重要課題である「農業」のイノベーション

 本題に立ち返ろう。今なぜ、エヌビディアが「農業」なのか。

 日本の場合、2015年、農業人口(農家世帯員数)は488万人と、10年前より41.7%、5年前より25.0%と減少が続いている。さらに深刻なことに、農業を主ななりわいとする基幹的農業従事者に占める65歳以上の割合が64.6%と、30年前の3倍以上の高比率になっている*2

 日本国内の食料自給率が、カロリーベースでわずか38%にすぎない*3ことを考えると、農業人口の増加と若返りは喫緊のソーシャル課題なのだ。

 エヌビディアの足下の米国にしても、そもそも農業人口比率が約2%と相対的に低いことに加え、基幹的農業従事者の高齢化や農村の過疎化は日本と同様で、かろうじて移民が労働力の不足を補っているというのが現状だ。決して健全な事態とは言えない。

 エヌビディアが得意とする自動運転技術を、都市モビリティの枠組みの中に閉じ込めず、農業のように問題山積の産業分野に適用範囲を広めることで、企業収益の向上のみならず、ソーシャルの課題解決に貢献できる。

 農業の現場に自動運転の無人農業車両が投入される日のことを想像してみよう。

 高齢化により生産性が低下した現場を再び活性化させることが可能になるだけでなく、農業に従事したいと考えるセカンドライフ世代のシニアや脱サラの若者に対して、行政や企業が無人農業車両の「自動運転オペレーター」として参画を促すことで、心理的・経済的なハードルを下げることにもつながるのではないだろうか。

*2:農林業センサス(http://www.maff.go.jp/j/tokei/census/afc/index.html
*3:農林水産省http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/011.html

マーケットから改めて問われるIT企業の「品格」や「矜持」

 自動運転は「技術の確立」という観点では、徐々にではあるが、幾多の課題を克服しつつあるように見える。

 しかし、その先にある「法律や運用環境の整備」では、まだまだ端緒についたばかりである。

 当然、エヌビディアを始めとする多くの企業は、これからも投資家から研究開発を進めるために多大な資金を集め続ける必要がある。

 2017年5月、日本のソフトバンクグループがビジョンファンドを通じて40億ドル(約4500億円)を出資、第4位の株主となったことは記憶に新しい。

 そのためにジェンスン・ファンのような野心あふれるリーダーが、タイムリーかつインパクトの高い情報を発信し、より多くの、投資家を中心とするステークホルダーを魅了し続けることが生き残りの条件になるといえよう。

 しかし、昨今、残念なことに自動運転を推進するIT企業のリーダーの不祥事のニュースが相次いでいる。

 ウーバーのトラビス・カラニックCEOによるセクハラ発言(2014年〜)やドライバー罵倒など一連の事件(2017年3月)。

 最近では、インテルブライアン・クリザニッチCEOの女性社員との不適切な交際問題の発覚(2018年6月)、それから最近のテスラ社のイーロン・マスクCEOによる株式の非上場化をめぐるツイート事件(2018年8月)など、投資家の期待を失墜させるような事案など・・・。

 投資家から多額の資金を集め、研究開発に集中投資する。

 その果実は、当然、直接的な利益の創出(=投資家への株式の配当)だが、利益至上主義だけでは、これからの世の中、合格点はもらえないだろう。

 ソーシャルの山積する諸課題に向き合い、社会やコミュニティとの共創を前提に、より良い世界の実現を目指すという「社会的な大義」が(伝統的で成熟したグローバル企業だけでなく)AIやIoTで最先端を行く「元ベンチャーのIT企業」にも求められるはずだ。

「農業や物流、漁業などの分野で人手不足の解消に役立っていく」

 おそらく、ジェンスン・ファンはトレードマークの黒い革ジャンパーの下で、時代の「空気」の変わり目を敏感に読み取っているに違いない。

 エヌビディアがヤマハとの協業を通じて表明したメッセージには、これからのIT企業に求められる「品格」や「矜持」というスパイスが、どうも意図的にまぶされているように思えてならないのだ。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  企業トップが「なりわい」革新を唱えたCES 2018

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CES2018で講演するエヌビディアのジェンスン・ファンCEO(2018年1月撮影)。 Photo by entertainment technology center, under CC BY 2.0.