東京電力福島第一原子力発電所事故の原因を究明し責任を問う業務上過失致死傷罪の強制起訴、勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3氏が起訴されており、被告人質問でのやり取りが議論を呼んでいます。

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 論点の中心は、あのような大きな津波の来襲を予測することができたかにあり、3氏は揃って「事故の予見や回避は不可能だった」と無罪を主張しています。

 ここで3氏のバックグラウンドを見てみると、勝俣氏は東京大学経済学部卒業後1963年に東電入社。

 内外に知られる切れ者で営業部、企画部畑を歩み、取締役企画部長以降経営陣入りというキャリア。

 武黒氏は技術系の背景で、1969年東京大学工学部舶用機械工学科卒業と同時に東電入社。

 原子力畑を歩んでいるようですが、エンジニアとして考えると学卒で、大学で学んだのは船舶工学。東電に入って以降、原子力イロハから学んだのだと思われ、3.11以降、現在も国際原子力開発(東京・千代田区)の代表取締役を務めているとのこと。

 武藤氏のみ、東京大学工学部原子力を学び、学卒で1974年東電入社。在職中にカリフォルニア大学バークレー校大学院に留学して81年に修士を修め、90年代には福島第一原子力発電所の技術部長も務めています・

 ここで指摘したいのは、東京電力の全責任を負う経営陣の中でも、とりわけ福島第一原発に関して責任を問われている3氏が

●文系出身の経営者
●学部卒のエンジニア
原子力の実質トップは修士

 という技術に対する見識で、物事を見、経営判断していたのか、という現実を新たに認識し、やや考え込まざるを得ません。

 読者の皆さんには、どうか「学部」とか「修士」といった学位を、紙の上の肩書と誤解しないでいただきたいのです。

 というのも、福島の事故が起きた直後、米国政府の総責任者として対策の最前線に立ったのがノーベル賞受賞者の実験物理学者だった事実があるからです。

未知の事態への自在な思考

 私自身、限られた期間ですが、2001~03年にかけて、東京大学工学部システム創成学科システム量子専攻、すなわち原子力工学科で量子力学を教えた経験があります。

 それに即して記しますが、自然科学や理工学においては、物事を自在に考え、実装したり評価したりする基本ライセンスは博士の学位、Ph.Dと考えて外れません。

 学部というのは、ある分野の常識的な内容を一通り教わりました、という段階で、学卒での人事採用は基本、文系職と考えて構わないように思います。

 実を言うと、私の一番の親友が学部卒で原子炉をいじりましたが、どこのバルブを開ける、閉める、以上のことは何も分からなかったと言っていました。

 彼は通産省に入り、技術政策畑のトップランナーになりましたが、エンジニアではありません。

 何であれ、理工学の分野で先端と言える内容を、仮に追体験であっても、きちんと理解しながら学ぶには、大学院修士課程程度の経験が必要です。

 つまり学部卒までのその分野の基本を一通り押さえたうえで、最前線の課題に実際にとり組んで、何らかの成果を出すには、最低限、大学院修士程度のレベルがないと、出発点に立つことができません。

 しかし、修士のテーマというのは大半が与えられたものです。

 研究室ですでに取り組んでいる課題の中で、マスターの学生でも手に負えるような、小課題の1つを選んであてがい、それに七転八倒して何かをまとめた褒美のようなものが修士号です。

 マスターで、その人のオリジナルのテーマであることなど、理工系全般では滅多にありません。

 ドクター以上のレベルでは、まず自分自身で未知の問題群を発見し、そこから可解なテーマを選び出し、きちんとまな板の上に乗せ(well-posed problemと言います)、それを実際に解決する、という、3拍子揃った実力が必要不可欠になります。

 分かりやすく整理するなら

1 潜在問題の発掘能力
2 可解な問題設定能力

そして

3 据えられた問題の解決能力

 の3つが揃って初めて博士号を持った専門人材=独立したエンジニアやサイエンティストの免許証、ライセンスを手にしたという段階になります。

 ある人が「修士を持っている」と聞くと、私たち大学人は、このうちの「3」の能力を一定持っているのだろう、と予想します。

 つまり、こちらから、食べやすい大きさに切り刻んだ、離乳食状の問題をあてがってやれば、解決できるかもしれない(多くの場合、ほっておくと解決できずに自滅する場合もある)。

 これが修士で、学部を出ました、という人には、この能力は期待しない方が無難です。

 逆に、大学や研究所でチームを率い、プロフェッサーシップをもって研究をリードしていくには、1と2の能力が必須不可欠です。

 毎年のノーベル賞解説でも、問題の所在を鋭く感知し、そこで絶妙に可解な問題を設定し、実際にそれを解決するプロセスを記すようにしていますが、この「問題設定能力」がとても重要、かつ中々身に着けられない場合が多い。

 学部学生や修士生は、自分で問題を見つけることができません。

 またノーベル賞級と言わずとも、大学で研究室を率いる教授陣は、毎年やって来る学部や修士博士の学生諸君にコンスタントに「3か月から1年程度で解決可能なテーマ」を発見し、切り分け、実際にそれを実行させ、確実に成果を出させてやる必要があります。

 それだけ大きな器量が必要だし、それに必須なのは、サイエンティストとして、あるいはエンジニアとしての、世界の理解の的確さ、深さ、鋭さです。

 3.11の事故が起きたとき、米バラク・オバマ政権のエネルギー長官はスティーヴン・チュー博士でした。

 チューさん1997年、レーザークーリングという業績でノーベル物理学賞を得た実験家です。

 原子一粒をレーザーの力でつまみあげるという離れ業を成し遂げました。その原型は今年ノーベル物理学賞を得たアーサー・アシュキンの「光ピンセット」にあります。

 チューさんノーベル物理学賞の選考にも一定以上関係がある人で、アシュキンへの授賞にあたっては、いろいろ裏で尽力したに違いありません。

 このチュー博士が、米国エネルギー長官のノーベル賞物理学者として最初に判断したのは、米軍のヘリコプターを被災地に飛ばし、遠隔で一帯の温度をくまなく走査的に測定する、というチェックでした。

 工学部では「材料」の性質を学びます。例えば燃料棒という形に整形されたものを扱います。

 しかし、メルトダウンして原形をとどめなくなってしまうと、材料として扱ってきた人には手に負えなくなってしまいます。

 このような状態、つまり、工学材料の限界を超え、危険な「放射性物質」の無定形な塊に変化してしまったとき、最初に調べるべきは、それら物質の状態や性質、つまり「物性」です。

 物性実験物理学者のチューさんは、被災地の基本的な情報として、まず、遠隔でも安全に測れるパラメタ―として「温度」を選んだ。そしてそれをくまなく調べた。そして検討した。

 物理学に照らして妥当な判断と思いますし、こうした処方箋は(博士の)学位を取ったのち、自身の研究グループを率いて創意工夫を凝らしたチームリーダーだからこそ可能なものと言わざるを得ません。

 もちろん若くしてこうしたことに適性のある俊才もいるでしょう。というかチューさんなどはその典型と思います。

 それでも、ノーベル賞を得て10余年、還暦もとうに過ぎた彼だからこそ可能な、落ち着いた判断と行動だったと思います。

 重ねて誤解のないように、修士とか博士という学位を、何か学歴かキャリアのように誤解しないでください。

 一方で、現場に密着した知恵も必須不可欠です。

 分かったような素人の生兵法は通用しない。原子力発電所のような巨大システムは、とりわけ、そうした長年の知恵によって支えられている面がある。

 しかし、それは、システムが一定以上まともに稼働している範囲のことです。

 相次ぐ水素爆発など、すでに従来の方法で対処し切れなくなってしまった状況では、より自然現象を広範に見る視点が必須不可欠になるという事実のみとご理解ください。

 延々書いてきましたが、ポイントは何かというと、経済学部学卒のトップ、工学部の船舶学卒、1人だけ原子力出身も学卒です。

 米国で修士、つまりバークレーの指導教官からあてがわれたテーマを追体験実習したところで高等学術とは縁が切れた水準といった、このメンバーでいったい何を判断できたか、という本質的な疑問です。

 例外的に 現場判断の天才がいれば話は違うでしょう。

 そういう人、います、確かに。

 オリヴァー・へヴィサイドニコラテスラトーマス・エジソン、みな教育の埒外からやってきた。

 そういう人でないかぎり、還暦も過ぎ、変に経験だけでとぐろを巻くことを覚えてしまった、学部や修士で未知の状況と学術的に向き合うことをやめてしまった集団に、今後来襲するかもしれない津波のリスク、つまり未知の危機に対して、科学的に正しい経営判断など下せるわけがない。

 これが、一般常識的に考えて、ごく普通の結論になると思います。

 勝俣氏ら3氏がエジソンやテスラの天才をお持ちであったかどうかは知りません。また天才的なエンジニアたちも、生涯に多くの手痛い失敗を経験しています。

 しかし何にしろ、東電の関連案件の経営判断は間違っていた。この事実はどうにも動かしようがありません。

 一般論として、今後も、同レベルの人材が経営の舵取りを続けるなら、同じようなリスクがつきまとい続けると考えるのが無難でしょう。

 素人がトップに立つのが増えている日本ですが、そうでない、しっかりした大手も厳然と存在します。

 国家を含む経営の専門倫理が問われている、本質的な局面ではないかと思います。

東電経営陣に技術リテラシーはあったか?

 司法の場では今後

 「事前に大型津波の来襲が考えられた、それを巡って経営判断があった、なかった・・・」というような論点を巡って、あれこれの意見の対立があるのだと思います。裁判は何らかの判決を出すことでしょう。

 そこでは責任を問われるかもしれないし、問われないかもしれない。分かりません。また、それを論じることに、あまり意味を見出しません。

 重要なのは、経営陣に一人として、生え抜きのプロのPh.D プロのエンジニア・サイエンティストの開業免許である博士取得の経験すらない人たちだけで、何を合議しようと、結局は経営の数字など、露骨に分かるパラメータが圧倒して終わるだけではないのか、ということです。

 2011年の事故はあり得べからざることでした。でも「御前会議があった/なかった」といった話に白黒がついても、再発防止の役にたつことは一切ないでしょう。

 未知の状況、起こり得るか分からないような天災来週の可能性判断はその典型ですが、それに向き合うとき、そこで十分合理的な検討を尽くすだけの頭脳を、日本の中核となる基幹動力源企業は、きちんと有していたのか?

 そうした有為の人材によって、正確な指摘が可能な状況、つまり社風であり、人事でありであったのか?

 状況は3.11以降本質的に改善したのか?

 こうしたことを問わなければ、そして、抜本的な更改がなされなければ、同様のリスクを免れることはできないのではないか?

 日本には「カタシロ流し」の土着信仰があります。

 何か問題があったときは、誰かが悪いことにして、人柱を捧げたり、吊し上げを食らわせたり、精霊流しで穢れ清め祓い給へ~ とやる。

 残念ながら、地鎮祭のような儀式で、原子力発電所の事故再発は防止できません。

 冷静で合理的な、ファクトに基づいて妥当な判断ができる頭脳が、今後の基幹動力源をめぐるリスク低減には必須不可欠だと言わざるを得ないと思います。

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