「南無八幡大菩薩!」

戦場で最後に生死を分かつのは、人智の及ばぬ神の領域

多く人を殺すが故に「武士は神をも恐れない」なんて、とんでもない誤解です。むしろ武士ほど神仏を畏れ、験(ゲン)を担ぐ商売もそうないのではないでしょうか。

神仏に見離されたら、死ぬからです。

鎌倉時代蒙古襲来絵詞』より、竹崎季長。運を天に任せて突撃あるのみ。

その一方で、神仏は「ケガレ」を嫌います。

「ケガレ(穢れ・汚れ)」とは、死や流血など、そうした忌まわしいもろもろを指す概念ですが、武士はその「死」や「血」といったケガレにまみれて生きています。

その理屈で言えば、武士はこうした戦いから遠ざからねばならない筈ですが、戦わねば生きて行けぬ彼らは、この矛盾や葛藤と、どのように向き合っていたのでしょうか。

その一つのヒントが、武士道のバイブル『葉隠』に記されています。

(葉隠に関してはこちらの記事もぜひ!)

神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども……

『葉隠』第二巻に、こんな一節があります。

「八一 神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども、一分の見立てこれありて、日拜怠り申さず候。
その仔細は軍中にて血を切りかぶり、死人乗り越えゝゝゝゝ働き候時分、運命を祈り申す爲にこそ、兼々は信心仕る事に候。
その時、穢あるとて後向き候神ならば詮無き事としかと存じ極め、穢の構ひなく拜み仕り候由」

【大意】神仏はケガレをお嫌いなさるそうですが、思うところあって、毎日の参拝は欠かした事がありません。
敵を斬り殺した血しぶきを浴び、誰ともつかぬ累々たる死屍(しかばね)を蹴散らし踏み越えしている時、ここ一番で御加護を賜れるよう、かねがね信心しているのです。
しかしその時、全身に血を浴びていたり、敵を殺していたり、その首を提げていたりなど、武士はケガレにまみれているから、と神仏がそっぽを向いてしまうかも知れません。
しかしまぁ、その時は「そんなもんだ」と覚悟を決めて、とにかくケガレていようといまいと、悔いのないよう参拝を続けるのです。

【ざっくり言うと】
武士ゆえに戦い、生き残れるよう、神仏の御加護を祈る。でも、神仏は戦いによるケガレを嫌う。
だからもしかして、ここ一番で御加護を下さらないかも知れない。それでも「そんなもんだ」と覚悟して、神仏に祈り続ける。

こう説明したところ、ある方が訊かれました。「守ってくれるかどうか判らない神様なんて、最初から拝まなければいいのでは?」と。

しかし、そういう事ではないのです。

武士の神仏の関係

武士たちの昇殿参拝。鎌倉坂ノ下・御霊神社にて。

そもそも武士は、基本的に自分以外の何者をもアテにすべきではありません。

もちろん、つね日ごろ助け合うことも多々ありますが、誰かに助けてもらうことを前提とした行動や思考を持たない、という意味です。

神様の御加護とて同じこと。

天地神明も御照覧あれ(天よ地よ、どうか私をお見守り下さい)」

ここ一番で武士がよく使うフレーズですが、武士は神仏に対して「見ていてくれ」とは言っても「助けてくれ」とは言いません。

自分が正々堂々と振舞うさまを見届けて欲しい。そうすれば、自分の生死に構わず、悔いなく戦える。

ふとした油断や心のスキから「あぁ、日ごろから神仏をきちんと拝んでおけばよかった!」などと浅ましい未練が残らないよう、悔いなく生き切るためにこそ、日々怠りなく神仏を拝むのです。

武士は生きるために戦い、戦うために生きています。常に死を我がものと覚悟し、その一日を悔いなく生きる決意と、とにもかくにも生き切れた感謝の気持ちで、武士たちは朝に夕に神仏を拝むのです。

まとめ「お天道様が見てござる」

武士と神仏の関係は、現代の私たちにも言えること。神様に何かしてもらうのではなく、私たちのすることを見届けて頂くのです。

「お天道様が見てござる

昔からよく言われるフレーズですが、お天道様が見ているからこそ悪いことはできないと同時に、心強く全力で生きることができるのです。

古来、日本人は神羅万象に「神」を見出し、海を渡って来た「仏」の教えを取り入れながら自然を敬い、生命を慈しみながら生きてきました。

ことに戦という自然の摂理からかけ離れた「殺し合い」により、ケガレにまみれて生きる武士なればこそ、人一倍信心深く、神仏に寄り添おうと努めたのかも知れません。

参考文献和辻哲郎・古川哲史 校訂『葉隠 上』岩波文庫

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