本日は珍しく、私自身のコミットする最先端の話題を少しだけご紹介しましょう。

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 10月27日から、放送大学文京キャンパスで、一般学生向けに音楽実技の指導をします。

 大変珍しいケースで、従来私は、東京藝術大学など専門機関で、専門学生にのみ実技指導にあたり、一般の方には音楽をお教えすることは控えてきました。

 その代わり、1999年に大学に招聘されて以来、音楽実技で求められる超高巧緻性の身体実技原理を、ごくごく一般の学生にも活用できるよう「必修情報処理」のコマでスーパーラーニングを教えていました。

 具体的には、ウエブ上での速読、タッチタイプなど、情報機器を手足のように使うために必要な身体実技の反射訓練を系統だって行うもので、テキストとして「絶対情報学」(講談社)という本も2005年に書きました。

 干支が一回りするほど時間が経過しましたが、内容は全く古びていません。

 と言うよりブロードバンド化、ビッグデータ対応など、この13年の社会の変化で、よりこのようなノウハウを持っている人と、それがない人との間には開きが大きくなっているように思います。

 この連載の読者の中には、かつて東京大学教養学部で私に電子計算機の初歩を習った人もおられると思います。合計4000人近く指導したと思いますが、私に習ってタッチタイプができなかったという人がありますか?

 多分、いないと思います。習得率100%・・・。やくざの落とし前などで、指がないといった場合は別にして、所与の状況に応じて合理的な身体の使い方は工夫できるわけです。

 普通に10本、指が揃っていれば、脳梗塞など特段の疾病がないかぎり、タッチタイプは取得されていると思います。

 またちなみに、私の母親の脳梗塞は1週間~10日ほどのベッドサイドリハビリテーションで8割方の機能を回復させました。

 もちろん、重度の身体障害の多くには私たちのメソッドは無力で、神経性ジストニアなどには全く歯が立たないという経験もしています。

 しかし、普通の社会人がパーソナルコンピューターなどを操作するうえでは、そこそこ「劇的」と言っていい変化があるのも事実です。

 そういうものの切り売りをするつもりはなかったので「情報処理」を教えなくなった2006年以降、本来の音楽の仕事だけに、これらのノウハウを生かしてきました。

 ところが、昨年、日本学術会議の小委員会から「身心の健康寿命延伸科学」というものにコミットするよう依頼を受け、では久しぶりにスーパーラーニングをまたやってみるか、となったものでます。

 この連載、お気づきと思いますが、すべて私が書いています。毎週毎週、結構な分量です。ノーベル賞が出たりすると2~3時間でレビューしています。

 プロで気がついておられる方からは、いろいろ言っていただきますが、普通ではできない芸当です。

 普通でない方法を習得いるから、こういうことをやっているわけです。ゴーストライターなんか一切使ったことはありません。残念ながら私自身で処理する方が10倍程度は速いので・・・。

 こうしたことも、日常的に見慣れてしまうと、ご利益がピンと来ないことも少なくないものです。いくつか基本をご紹介しましょう。

考え方を逆にしろ!

 基本的なものの考え方は、非常に簡単です。ただ、実技はいろいろです。

 進んだ指導をご希望される方は、どうぞマネジメントにお問合せ下さい。高度な内容は有償での指導も行うようにしています。ここでは万人に役立つ入り口のみ、ご紹介したいと思います。

 例えば皆さんは、スマートフォンやコンピューター、電卓などを操作するとき「キーに触れる」わけですが、これを「ボタンを押す」ように考えておられないでしょうか?

 それだと、永遠にだめなんですね。

 実際に重要なのは「キーを感じる」ことにほかなりません。科学の言葉を使うなら「センソリ―=モーターのシステム」としてニューラルなシステムと身体を駆動することにポイントがあります。

 タイプライターで開発された「QWERTY配列」のキーボードで考えてみましょう。

 タイプライターは、物理的に距離のあるバーを押し込む必要がありましたから、実際に指でキーを「押す」という、運動の側面が強調されがちな気がします。

 しかし、もし、闇雲にパワーばかり発揮して、正確性の低いキータッチに終始したら、どうなるでしょう?

 タイプライターはすぐに壊れてしまうことでしょう。タッチタイプを「運動」ジムナスティックスとして考えることを、すべてやめましょう。問題は「感覚」にあります。

 自分が何か「する」という能動=アウトプットの部分を現行の100分の1にして、逆に、自分がそこから何かを感知するという受動=インプットの部分に、注意のすべてを集中するのです。

 タッチタイプ、あるいは「ブラインド・タッチ」とは、文字通り、手元のキーを見ないで打つ操作にほかなりません。

 キーを見てしまうと「3つ」よくないことがあります。

1 遅くなる
2 不正確になる
3 作業自体の品位が落ちる

 今この原稿も、私は、話すスピードより少し早い程度の調子で打っています。こんなこと、いちいちキーを見ていたらできません。

 また、よく分からないキーボードを目で見ながら打っていると、間違いやすくなります。

 さらに、打つべきキーを探すということは、その間、打っている内容と全く関係ないことに気を配るわけですから、仕事に集中していない。

 つまり気を散らしていることにほかなりません。不注意に経理の文書など作れば、ミスが混入して当然です。

 東京大学に入学してきたばかりの1年生諸君には、タッチタイプを習得しているかいないかで、4年間に可能な知的生産が少なく見積もって数十分の1、下手すれば正味で100~1000倍という違いになると、大げさでなく説明します。

 これはウソでも何でもなく、いま一般の大学を卒業する学生さんは、5枚、10枚というリポートを書くことがなかなかできません。

 修士論文は理系では50枚程度で書いてもらう場合が多いかと思いますが、能力が低いと、STAP細胞詐欺のように、レビューをコピーペーストしてきたりする人もいる。

 50枚というのは清書した仕上げの枚数で、ちなみに私は詰めて仕事すると日産100枚以上のペースで仕上げますので、修士論文程度のものは清書だけなら半日の仕事量になります。

 それ以前に、効率の悪い七転八倒、四苦八苦のゼロからの創成の日常があるわけで、ただ打ち上げるだけなら何でもないことです。

 卒業論文や修士、博士で2万枚程度書いた学生を普通に知っておりますし、私自身もそれなりの質と量で学位の仕事をしましたので、タッチタイプを身につけるか否かで100~1000倍は、卒業や学位取得時の提出物の分量比だけでも本当の差になります。

 それが毎日の細かなことすべてに反映しますから、はっきり言って、人材の質が違ってきます。人事や待遇面にも明らかな違いが出ることが少なくありません。

 そういう基礎の1の1として、例えばタッチタイプを身につけてごらん。きちんとやれば3時間で身につき、一生が変わるから、と教えるわけです。何の誇張もありません。

余計なタスクを背負い込まない

 そこで、タッチタイプの実際ですが、要するに「見ない」んですね。

 各指が担当するキーは決まっていますから、それを見ずに打つのですが、見えないものを打つというのは「分からない」「僕にはできない」とかになる。

 それが大いに間違っている。と言うより、そんな考え方に陥っている。何も感じないで正しく打てるわけがありません。

 感じる場所を変えるのです、目で見るのではなく、指先できちんと感じながら打つ。

 こういうトレーニングをちょっとするだけで、全然変わってくるわけです。実際には教室でご一緒しないと教えられませんが、ピアノで考えてみましょう。

 キーボードの記載をそのまま転用するならば、ピアノ演奏中に鍵盤を見てしまうと「3つ」よくないことがあります。

1 基本的に遅くしか弾けません
2 タッチが不正確になりやすい
3 演奏全体の品位が明確に落ちます

 ピアノを弾くときは、実際に演奏して音を出すスピードより少し早く、先、先と譜面を読んでいきます。

 譜面を見て、覚えて、それで指を見て、それに合わせて・・・なんてやってたら、まともなスピードで弾けなくなります。

 また、指先の感覚、タッチが不足したまま、いちいち鍵盤を見て打鍵などすると、演奏はミスだらけになります。

 さらに、触るべき鍵盤を探すということは、その間、音楽の内容とは関係ないことに気を配るわけですから、演奏に集中していない。つまり気を散らしていることになります。

 それが傍目にも分かるような演奏では、お金を頂戴してお客さんにお聞かせするに足る品位を維持できないのは明らかです。

 2000~2005年にかけて私たちは、解剖、生理から脳機能可視化まで、当時可能だった方法は一通り尽くして、背景のメカニズムからノウハウとしての確立まで、すべてを完了させました。

 上記「絶対情報学」も上梓、専門指導は東京藝大などの生徒を選んで行い、2007年以降はバイロイト祝祭劇場との演奏評価プロジェクトなど、別の仕事に取り組んできました。

 それから12年を経て、私たちとしては「十八番」であるスーパーラーニングに再び取り組むにあたっては、2つの点で、この間に進んだサイエンステクノロジーを併用して、新たな先端課題を定義、解決に着手しました。

 第1は機械学習など人工知能のアルゴリズムの進展と、ベイズ推計などそれらを支える数理メカニズムの精緻化。

 第2はセンサーとネットワークの高度化。端的に言えば米国風にはIoT、欧州風にはスマート化。

 両者の合流地点として「自働運転」のテクノロジーを考えると、大きく漏らすところがないと思われます。

 ポイントは何かと言えば「センシング」なんですね。

 従来の車は、要するに走るものだった。出力一辺倒で、周囲の環境をセンシティブに感じるといったことが、基本的にはなかった。

 スーパーラーニングも結果的に全く同じことを、すでに20~30年前から前提にしています。

 ただ単に、早く読める、打てる、作れる、といった一面的なアウトプットで物事を考えても、しゃかりきなだけで、実際には頭打ちにしかなりません。

 「キーボードを早く打てればいいんだ!」というのは、旧来型の自動車と同様、出力ベースで物事を考えるアプローチと言えるでしょう。

 実際には、そういう考え方だと、大した効果は望めません。

 重要なのは、自働運転車やIoT同様、センシティブであることです。ピアニストの指先はキーを「押す」以上に「接触して感じる」つまり「触知」することに多くの注意資源を用います。

 私がスマートフォンを明確に「ダメなI/O」と規定するのは、この種の本質に照らして救いようのない「目で見て押す」デバイスだからにほかなりません。

 ユーザは時間効率の悪い形で<能動的にデータ入力>するのが大半、あとは購買ターゲットとして営業情報の被曝を受けるとともに、データ的には徹底的に受け身で、関係各社の営業戦略にデータが吸い取られていくだけ、ということになる。

 スティーブ・ジョブズが自分の子供たちにスマホに決して触らせなかったのはよく知られた事実と思います。

 というのも、それは、IT革命キャンペーンが一段落した後、顧客を囲い込む「カモ」のためのデバイスでしかなく、知的創造など能動的な用途には、ほぼ全く役に立たないからです。

 積極的にビジネスを展開するのではなく、顧客としてもっぱら吸い取られること=受け身でサービスを享受されたい方には、スーパーラーニングなど、一切お勧め致しません。

 勝負に出よう、という人には、必須のアイテムです。今回は紙幅が尽きましたが、また折を見て、私たちの仕事にも言及していければと思います。

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