韓国で最悪の雇用情勢が続く中で、正社員の子供や妻、親戚などを優先的に採用する「雇用世襲」という造語が生まれ、世論の批判が沸騰している。

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 その実態を見ると、出口のない失業問題と、政府の「雇用拡大」政策に便乗する正社員や労組という悪循環が垣間見える。

 2018年10月、国会で始まった年1回の「国政監査」を機に、野党議員が入手した資料が発火点となって世論が沸騰した。

 ソウル市傘下で地下鉄8路線を管理・運行する「ソウル交通公社」での新規雇用実態調査だ。

8%が家族、親戚

 それによると、2018年3月に「無期契約職」という、非正規職から「正規職」に転換した1285人中、108人が正規職の社員の家族や親戚だったことが明らかになった。8.4%という比率だ。

 あちこちに家族や親戚が入ってきたという、この数字そのものも、他の民間企業や公企業に比べて突出して高い。

 さらに問題となったのが、もともと「無期契約職」を募集した際、「そのうち正規職に転換できる」という話がすでにあった疑惑が浮上している。

 この正規職への転換を、強硬派で知られる労組が強く推進していたことも分かった。

 つまり、「無期契約職」→「正規職」という、通常の採用方式とは異なるルートでの採用があったということだ。

 労働問題に詳しい弁護士によると、「一般的に、正規職の公募入社試験を受けるのに比べ、非正規職から正規職への転換の場合、事実上、無試験といって良いほど簡単な場合が多い」という。

 人数は少なく見えるかもしれないが、「採用」「雇用」問題になると、韓国の世論は過敏に反応する。

 何しろ、過去最悪とも言われる雇用情勢で、空前の就職難が続いているからだ。

最悪の雇用情勢で「採用」問題に敏感な社会

 韓国では、一部大企業の業績は好調だが、雇用は増えない。青年層の実質的な失業率は20%を超え、「大学は卒業したが職がない」ことが深刻な社会問題になっている。

 就職に成功しても、民間企業の場合、いつリストラに遭うか分からない。だから、若者間で、「公務員」や「公企業」への就職人気は日本では想像できないほど高い。

 ソウル交通公社も、そんな人気会社の1つだ。平均賃金は7000万ウォン(1円=10ウォン)近く。定年60歳が保証される。勤務先はソウルかその近郊だ。

 安定した公企業、ソウル志向が高い若者の人気の的だ。

 2018年の下期定期採用試験には、555人の募集に3万340人が応募した。

 それほどの「夢の職場」に人知れず「正規職」になれるルートがあり、よりによって家族や親戚を正規職にしていたとなれば、批判が沸騰するのも十分理解できる。

悲劇で始まった採用が…

 ソウル交通公社が運営する地下鉄では、2016年春にソウル市内の駅でホームからの転落事故を防止するスクリーンドアの保守・修理(メンテナンス)にあたっていた若い作業員が死亡する事故が起きた。

 この作業員が、厳しい労働環境で働く外注業者に所属していたこともあり、管理や労働実態を把握できていないことへの批判が相次いだ。

 そこで、保守作業など安全業務にかかわる部門を中心に、外注から「無期契約職」への転換を進めていた。

 「無期契約職」とは、事実上、定年まで仕事ができる。これをさらに「正規職」に転換したのだ。

 韓国メディアによると、無期契約職を採用した際、労組のナショナルセンターが「活動家」を送り込み、正規職への転換を強く求めていたという。

 人事の責任者の妻もこの制度を使って正規職になっていたことも明らかになった。

 これでは、労使ぐるみで「抜け穴採用」をしていたことになってしまう。

正規職への転換は重点政策

 非正規職を正規職に転換することは、文在寅ムン・ジェイン1953年生)政権が積極的に推進してきた政策だ。

 コスト負担増を嫌がる経営側を除けば、若者など国民の間にも、「正規職への転換」に対する反対はない。問題は、その採用方式が、きわめて不透明だある点だ。

 ソウル交通公社の場合、労組が介入し、正規社員の家族や親戚が優先的に採用になっていたのではないかという疑惑が強まり、強い批判が出ているのだ。

 「文在寅大統領は選挙期間中から、正規職の増加を重要政策に掲げてきた。その趣旨は、質の高い雇用を増やそうということで、これに反対する意見は少ない」

 「問題は、大統領の指示を何が何でも守れとばかり、正規職の数を増やすことにだけ必死な経営陣と、これに便乗した労組、さらに、家族や親戚を入社させようとした社員が出てしまったことだ」

 韓国紙デスクは、こう話す。

 苦労して難関を突破して正規職になった社員からの反発も強い。一部社員は、「不公正だ」として憲法裁判所に「訴願」を出した。

 人権が侵害された場合などに使う措置だが、それほど不公正な「迂回入社は許せない」だという意識があるのだ。

 難関を突破して正規職になった社員から見れば、大学在学中も就職活動に一生懸命取り組み、塾にまで通い、場合によっては浪人までした。誰かの口利きで迂回ルートで簡単に正規職になるなど許せないということか。

 それほど、「雇用」を巡っては、ぎくしゃくした雰囲気が強いのだ。

 問題は、この「雇用世襲」がソウル交通公社だけで起きたのではなさそうなことだ。

 韓国メディアは、政府や地方自治体の公企業でも、不透明な採用、正規職転換があったと報じている。

 文在寅大統領は2017年5月に就任すると、最初の外部訪問先として仁川国際空港を選んだ。

 下請けや非正規職の労働者と面談し、「公企業では非正規職をゼロにする」とぶち上げた。

 公企業の社長は、それまで「公企業だからといって放漫経営は許さない。税金を無駄遣いせず効率的な経営をしろ」という強い圧迫を受けてきた。

雇用政策、趣旨はわかるが、思いもよらない現実に直前

 ところが、政権が変わったとたんに「非正規職をなくせ」という指示が出た。

 あわてて、正規職の拡大に乗り出したが、いろいろな問題が出ている。

 「世襲雇用」もその大きな問題の1つだ。また、下請けの比率を下げるために下請け労働者を正規職の社員として採用しようと動きもある。

 だが、そうなると、下請け企業の経営者は、会社ごと失うことになり、「公企業に民業圧迫だ」という悲鳴も聞こえる。

 文在寅政権は、「雇用」を経済政策の最重要課題に掲げている。特に、「質の高い雇用の創出」を重視している。

 最低賃金の引き上げ、労働時間短縮もこの政策の一環だ。

 どれも、総論では国民の支持を得ているが、実際の運用となると様々な課題に直面している。

 最低賃金の大幅引き上げや、労働時間短縮で「質の高い雇用」を増やそうとしているが、中小、零細企業の経営者はコスト増加に耐えられず、従業員数を減らすなど期待とは逆の動きも目立つ。

 正規職への転換も、思いもよらない弊害が出てきた。

 「雇用問題を労働政策だけで解決するのは難しい。結局、新しい成長産業が育って自然と雇用が拡大しないと、問題は解決しない」

 「造船、自動車などこれまでの成長産業に勢いがない。今は市況が良い半導体や石油化学以外に、成長セクターがないことが最大の問題だ」

 韓国紙デスクは、短期間での雇用問題の改善に悲観的だ。

 「雇用世襲」。何とも耳障りな造語が、連日メディアで大きく報道されるところに問題の深刻さがある。

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