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 プロ野球の世界は厳しい生存競争だ。毎年チームを去る選手がいれば、毎年70人以上がドラフトで指名されて入団する。1位指名の選手は12人しかいない。名誉なことで注目度も高いが、希望球団がある選手は意中でない球団に指名されて入団拒否するケースも。過去のドラフトで1位指名されたが入団拒否した選手たちを振り返ってみる。

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江川卓
作新学院で怪物として名を轟かせたが阪急の1位指名を拒否して法大へ。法大4年時にクラウンに1位指名されたが再び拒否して米国へ留学。翌年のドラフト会議の前日に巨人と電撃契約を結ぶが、セリーグ事務局が契約は無効として江川の選手登録を却下した。翌日の78年ドラフトで阪神に1位指名されると、入団後すぐに小林繁との交換トレードで希望球団の巨人に入団。一連の騒動は「江川事件」「空白の一日」と呼ばれ、大きな波紋を呼んだ。

元木大介
上宮で右のスラッガーとして甲子園に3回出場し、高校通算24本塁打。端正な顔立ちで甲子園のスターになった。89年のドラフトで巨人入りを熱望するが、巨人は大森剛を1位指名。ダイエーから野茂英雄の外れ1位で指名されたが入団を拒否し、1年間ハワイに野球留学。翌90年に巨人からドラフト1位で指名されて入団する。

・小池秀郎
亜大で大学No.1投手として90年ドラフトの目玉に。西武、ヤクルト、阪神、ロッテ、中日、広島、日本ハム、近鉄の8球団が小池を1位で指名した。89年の野茂英雄と並ぶ8球団競合指名となり、抽選でロッテが交渉権を得たが入団拒否。希望球団は西武、ヤクルト、巨人だった。松下電器(現パナソニック) 野球部でプレーし、2年後の92年ドラフトで近鉄が1位指名して入団した。

福留孝介
PL学園で左の強打者としてプロの注目を集める。95年ドラフトでは「巨人、中日以外は社会人野球にいく」と公言していた。近鉄、巨人、中日、ヤクルト日本ハムロッテオリックスが1位指名。高校生の選手に7球団が1位指名で重複したのは初で高校の先輩・清原和博の6球団競合を上回った。抽選で近鉄が交渉権を獲得したが、入団拒否して日本生命へ。アトランタ五輪に出場して銀メダル獲得に貢献し、98年ドラフトで中日を逆指名して入団した。

新垣渚
沖縄水産で当時高校生最速の151キロを計測。98年ドラフトでは「ホークス以外は進学」を表明していた。オリックスダイエーが1位指名で競合し、抽選でオリックスが交渉権を獲得したが、入団拒否して九州共立大に進学。02年ドラフトダイエーに自由獲得枠指名を受けて入団した。

内海哲也
敦賀気比で左腕エースとして活躍。00年ドラフトでは複数球団の1位指名が予想されたが、祖父の内海五十雄が巨人の野手でプレーしていた影響で、ドラフト直前に巨人以外からの指名は拒否することを表明。オリックスが1位指名したが入団拒否し、東京ガスへ入社。03年ドラフトで巨人に自由獲得枠で入団した。

菅野智之
東海大で首都リーグ通算37勝をマーク。11年ドラフトでは伯父の原辰徳が監督を務める巨人の単独指名が濃厚と噂されていたが、日本ハムも1位指名。巨人と競合の末に抽選で日本ハムが交渉権を獲得したが入団拒否した。東海大で野球浪人の道を選択し、翌12年ドラフトで巨人の単独1位指名を受けて入団した。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

ドラフト1位指名で入団拒否した選手たち