1999年に高校生でデビューを果たして以降、広島一筋を貫いた男が現役引退を決意
20歳の松本泰志の嬉しそうな面持ちが眩しい。
「カズさんと一緒にプレーできて、最高でした」
広島でいう「カズさん」とは“キング”三浦知良(横浜FC)のことではない。10月29日に引退会見を行った森﨑和幸を指す。1999年、広島で初めて高校生デビューを果たして以来、広島では「カズ=森﨑カズ」だった。だが、その歴史はあと4試合で幕を閉じる。来年、背番号8が縫い付けられた紫のユニフォームに「KAZU」と縫い付けられることはない。
しかし、U-21日本代表としてアジア大会準優勝の原動力となった松本が、どうして歓喜の表情を浮かべたのか。森﨑の引退が彼にとって「嬉しい」わけがない。最も森﨑和幸を尊敬し、「カズさんのようなプレーヤーになりたい」と言っていた彼にとっては、偉大なる8番の引退はショッキングな出来事だった。
「カズさんがいる間にたくさんのことを吸収したいし、盗みたい。時間がないので焦っています」
20歳の若者が喜んだのは、10月27日の松江シティ(中国リーグ)との練習試合で森﨑と一緒にボランチのコンビを組んでプレーできたことだ。
「カズさんがいると落ち着かせてくれるところと行くべきところがはっきりするし、パスの一つ一つに意図がある。4点取って、良い内容で勝てたのも、カズさんがいてくれたおかげです。ゲームコントロール能力、危機察知能力、球際の力強さ。全てを学んで自分のものにしたい。それができれば、試合にも出られるようになるし、代表だって見えてくる」
ただ、松本が当初から森﨑のプレーに憧れたわけではない。今のような“カズ・フォロワー”となったのは、昨年5月3日、ルヴァンカップのセレッソ大阪戦で初めて二人でコンビを組んでからだ。
広島に加入した大半の選手が証言「カズさんのすごさは一緒にやってみないと分からない」
「カズさんのプレーのすごさは、一緒にやってみないと分からない」
それは広島に加入したほとんどの選手が言葉にする。
例えば、柏木陽介(浦和レッズ)はこう語った。
「カズさんほど基礎技術の高い人を見たことがない。それは浦和に移籍してからもそう感じている。頭もいいし、ポジションどりも巧い。予測も凄いし、駆け引きにも長けている。どうして日本代表に選出されないのか、それが不思議です」
李忠成(浦和)は広島時代に得点を量産して日本代表に選出されている頃、こんな言葉を発している。
「広島は森﨑兄弟でもっている。あの二人は本当に凄い。特にカズさんは、ボールを失わないし、明神智和さんのようなボールの奪い方もできる。カズさんや(森﨑)浩司さんがボールを持てば、信頼して走ることもできる。日本代表でも全く不思議じゃない。正直、広島に移籍してくるまで、あんなにサッカーが巧い人だなんて思ってもいなかった」
「カズが欧州でプレーしていたなら、多額の移籍金でビッグクラブに移籍できる。それほどのクオリティーを持っている。日本代表にもベストイレブンもとっていないけれど、カズは歴代のレジェンドたちと同格に並び称される選手なんだ」
2016年、広島で得点王を獲ったピーター・ウタカ(徳島ヴォルティス)の言葉にも耳を傾けよう。
「ボールを奪えるしミスもない。スピードアップとスローダウンなどペース配分の舵をとれる。私は深い尊敬を込めて、“広島のスティーブン・ジェラード”と呼んでいるんだ」
「カズさんは“気が利く”んです。あんな人は、代表にもなかなかいない」(塩谷司)
今は中東で奮闘している元日本代表の塩谷司(アル・アイン)は、「カズさんのことを語れば、1時間でも足りない」と言いながら言葉を紡いだ。
「一言で言えば、カズさんは“気が利く”んです。パスを受けて初めて、それが分かる。よほどサッカーが分かってなければ、カズさんの素晴らしさは外からでは分からない。技術も高いし、ポジションどりも“どうしてそこにいることができるの”って場所にいてくれる。あんな人は、代表にもなかなかいない」
浅野拓磨(ハノーファー)はかつて「プロになって最も驚いたこと」という質問に対し、「カズさんのすごさです」と言い切った。
「トレーニングの時、自分がボールを受けるまでは(周りに)誰もいなかったのに、ターンしたその瞬間にカズさんがいて、ボールを奪われる。うわっ、ここにカズさんがいるんかって感覚。それは試合を見ている人には分かりづらい」
誰もが、カズのことになると能弁になる。彼の良さを分かってほしいと言葉を紡ぐ。一方で「僕は分かっている」という意識も働いているようにも思える。「一緒にやらないと分からない」という言葉のなかに、「自分は分かっている」というプライドも見える。
いったい、森﨑和幸とは何者なのか。どうして、周りの選手たちは嬉々として彼の素晴らしさを語るのか。
それは、森﨑が本物のチームプレーヤーであるからだ。そして、こういうスタイルを持つ選手が、日本にはほとんどいないからだ。
城福浩監督も改めて感嘆「ピッチ上で正解を導く能力は今もチームナンバーワン」
「僕には特別な能力は何もない」
森﨑の口癖である。技術にしても「自分よりボール扱いが巧い選手はたくさんいる」とも。確かに、彼はトリッキーなプレーはほとんど見せない。キックはほとんどインサイドキック。プレーぶりもシンプルで基本に忠実だ。だが、本当の天才とはどんな世界でも、難しいことをシンプルに見せつける。
多くの選手が指摘する「ボールを失わない」というスキルにしても、決してフィジカルで相手を圧倒するわけではない。ボールを受ける前から常に周りの状況を把握し、選手たちの技術レベルやスキルを十分に把握した上で最善手を打ち続ける。パスを出した後も決して止まらず、一歩や二歩、動く。そのことで自身がフリーになり、またパスを受ける。ダイレクトや2タッチでボールを動かすことで相手を揺さぶり、味方を気持ちよくさせる。
パス成功率は2016年の95%をはじめとして多くの年で90%台を維持。パス数もチームでナンバーワン、リーグでもトップを争うほどの数字を残し続けたのも、彼がずっとチームにとっての「最善手」を打ち続けたからだ。
「サッカーの専門家としては、彼の良さを(チームの外にいる時でも)分からないといけない。広島の選手たちの能力をカズが引き出しているんだと理解していたつもりだった。ただ、実際に広島で一緒にやってみて、私自身も改めて思いました。本当に凄い。選手たちがやりやすいわけだ、と」
分析能力に定評のある広島の城福浩監督も、こう語る。
「ボールを持っている選手が困った状況になる時、カズが必ず助けてあげるんです。カズがサポートするのは、自分がプレーするためでなく、仲間を助けようと思うから。だからカズは自分でボールを受け、その選手が楽になったらボールを返してあげる。足の速い選手を活かすために裏へのパスを出し、一方のサイドが詰まったら、さりげなくサイドを変える。全てのプレーがチームを楽にするためであり、その判断を瞬時にできる。カズこそ、技術の塊。技術とはこういうものだと、カズのプレーが示してくれる。ピッチ上で正解を導く能力は今もチームナンバーワンです」
常にリスペクトの対象となった「森﨑和幸=最高のチームプレーヤー」の方程式
かつて森﨑の恩師の一人であるミハイロ・ペトロヴィッチ(北海道コンサドーレ札幌監督)は「技術は衰えない。ディエゴ・マラドーナは走れなくなったから引退したのであって、技術はずっと世界一だ」と語ったことがある。慢性疲労症候群という病との闘いさえなければ、今季もずっと彼はレギュラーであっただろう。
「心身ともに、疲れました」という会見での言葉は、サッカーに対してではなく2003年から15年間、長期離脱を5度も繰り返さざるを得なかった難病との闘いに対してであり、松本泰志が瞳を輝かせたようにサッカーに対しては今も周りの憧憬の対象。ミハイロ・ペトロヴィッチが「ドクトル・カズ」と呼び、森保一(日本代表監督)が「ピッチ上の監督」と敬意を示したように、戦術面で広島を牽引し、広島や浦和でJリーグを席巻した可変システムを生み出し、指揮官や選手たちの絶大なる信頼を得て広島を3度の優勝に導いた。病気との闘いさえなれれば、もっと違う局面が彼を待っていたはずである。
2012年、森保一は彼がベストイレブンに選出されなかったことに激怒し、選出された髙萩洋次郎(FC東京)は「カズさんが選ばれるものだとばかり」と戸惑った。2013年、優秀選手にすら選ばれなかった現実に佐藤寿人(名古屋グランパス)は怒り、「選出方法を見直すべきだ」とまで言い切った。「ずっとカズさんに憧れていたし、カズさんに認めてもらいたい一心で、頑張ってきた」とは青山敏弘の言葉である。
たとえ日本代表に選ばれなくても、Jリーグベストイレブンに選出されなくても、森﨑和幸は最高級のマエストロ。そのマエストロが正しい評価を自然と受けるような時代になった時、日本サッカーは違うステージに立てるのかもしれない。2015年12月13日、クラブ・ワールドカップでアフリカ代表のTPマゼンベを相手に3-0と完勝した時、FIFAの評価チームは得点を決めた塩谷司や千葉和彦、浅野拓磨でもなく、2点に絡んだ茶島雄介でもなく、得点に絡んでいない森﨑和幸をマン・オブ・ザ・マッチに選出した。その時、彼はこんな言葉を残している。
「自分は何もしていない。ただ、今日はチームとして良い闘いができた。そこが評価されたと思っています」
どんな時も森﨑和幸は最高のチームプレーヤー。だからこそ、彼はリスペクトの対象となる。
(中野和也 / Kazuya Nakano)
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