今回は、最初にイベントの告知を記したいと思います。

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 11月22日木曜日、ウイークデーの午後ですが、東京大学大学院情報学環伊東研究室・東日本大震災復興支援哲学会議主催のシンポジウムを開催します。

FINTECH協創圏シンポジウム

リーマン・ショック10年:グローバル金融の現在・過去・未来

キーノート 中曽宏(大和総研理事長、前・日本銀行副総裁)

ラウンドテーブル

中曽宏
ナム・ギョンピル(前・韓国京畿道知事)
桜内文城(公認会計士東京大学客員研究員)ほか調整中

主催 東京大学伊東研究室・東日本大震災復興支援哲学会議(哲学熟議15)

日時 2018年11月22日 13:00-17:00

場所 東京大学本郷校地 工学部2号館 92B教室

 電子メールでの事前申し込みで優先受付します。アドレスは新聞告知と同時に公開しますので、ご関心の方は手帳にメモしておいていただければ幸いです。

 2008年9月15日、投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、米国当局の対応のまずさも手伝って影響は全世界に波及しました。

 あれから10年、その間の推移、また今後の展望と私たちのなすべきアクションプランなどは、11月22日、中曽さんをはじめとするパネリストの皆さんとの議論を待ちたいと思います。

 以下では、このリーマン破綻を契機として誕生したフィンテック技術の可能性と未来について考えたいと思います。

ナカモトサトシが企図したこと

 2008年10月、米国議会のだらしない対応とともに、全世界から莫大な財貨が「蒸発」していた最中、こんな金融はまっぴらだと思ったSEがいたようです。

 どうやら住所は米国大陸のどこか、英語を母国語とする個人あるいはグループと思われるこのSE(集団?)は、なぜか「日本人」の偽名を語ります。

 その名を「ナカモトサトシ Satoshi Nakamoto

 どういう含意が込められたペンネームかは知りません。11月以降、この「ナカモトサトシ」は、ネットワーク上でユーザが相互承認する【コンセンサス形成】だけによる<デジタル通貨>のモデルを提案します。

 これが「ビットコイン」の原型にほかなりません。

 明けて2009年1月「ナカモトサトシ」は、このデジタル通貨をシステム実装して公開、動かし始めます。

 それ以降の「ビットコイン」など暗号通貨を巡る様々な出来事は、読者の皆さんもよくご存知だと思います。

 以下では、ビットコインのような「暗号通貨」は通貨足り得るか、という問題を考えてみましょう。

 「貨幣論」の著書もある、岩井克人先生にもご参加いただいてのプロジェクトでの議論で、私たちはビットコインなどの暗号通貨は通貨たり得ないことの証明を得ました。

 こうした内容はこれから公刊される「ブロックチェーンと国富」(東大出版会)上に細かく記しましたが、そのエッセンスのみ、JBpress上でもご紹介しましょう。

ビットコインはどうして通貨足り得ないのか?

 岩井克人流の反証は、それが投機の対象になっている現実の指摘から始まります。

 ビットコインなど暗号通貨そのものに米ドルや日本円で値がついている。ということは、その値動きを見て売ったり買ったりはするわけです。

 必然的に、これから値が上がるかもしれないコインを使って、カメラ店や電気店で買い物などをするわけがない。

 ある一定の価格X円でビットコインなどの暗号通貨を購入した人は、コインの価格が

 Y≧X円で推移している間は、相場に応じて適宜の売り買いを繰り返すでしょうし、元値のX円を割り込んで暴落の兆候が見られれば、さっさと売って損害を最小に食い止めようとするでしょう。

 それが大規模な仕手集団のトリックだったりすることもありますから、蛇の道は蛇ということになりますが・・・。

 ともあれ、こんな具合で、自身に値がついてしまい、売り買いされる対象となってしまったビットコインなどの暗号「通貨」は<お金>として流通する対象ではなくなってしまった。

 私たちは、ポケットの中に100円玉があるとき「これの値が上がって110円になってから使おう」とは思いません。

 貨幣そのものが価値の基準であって、値のついた投機の対象にはなっていないからです。

 これがFXのように「外貨」となれば話は変わります。1ドルも1ユーロも、日本円との為替相場が常に変動している。

 しかし、決済などはその時点でのレートで実行せねばなりませんし、海外に出れば、それが何円に換算されようと、1ドルのコーラ、5ドルのハンバーグ、10ドルのステーキは、各々その価格で贖うべき対象で、お金はお金以外の何物でもない。

 このように、モノと適切に紐づけられた実体経済と遊離した資産経済の膨張・・・バブルの破綻として、リーマンショックを位置づけることができるでしょう。

 「ナカモトサトシ」の批判は、ある意味徹底しており、見事と言ってよい対案を提出したと思います。

 その核心は「トラストレス」すなわち、銀行のような中心を持たず、貨幣の使用者全員が平等に関係づけられるネットワークによって価値承認し続けることで、情報としてコイン鋳造もできれば決済も可能であることを示すことができました。

 しかし、このナカモトサトシの原理的なアプローチは、その徹底によって、ある1つの大きな見落としをしていると、私たちは考えます。

 それは「フィンテック」の先端のように見えて、実はファイナンスが不在である、という点に尽きます。

いったいそれは何を意味するのか?

 ビットコインは、それを使用するユーザ間の合意だけで運営される、理想的なコイン、言ってみればユートピアのお金、銀行のような調整の中心が存在しませんから「トラストレス」のシステムである、などとされます。

 リーマン・ブラザーズのような投資銀行は、リアルな物件、例えば新築の家を消費者が購入しやすいよう、ローン商品と紐づけします。

 このローン商品を様々な顧客、例えば、返済能力が定か分からないやや信用水準の低い借り手にも貸し付けます。

 いわゆる「サブプライム・ローン」つまり「プライム」第1水準の信用にもとる「(下位の=サブ)プライム」顧客への貸付ということになる。

 これは、家を買う人にとっては借金ですが、金融機関にとっては債権という資産になります。そこで、この「債権」と紐づけられた別の金融派生商品を作ることができる。

 実体経済としては、1件の家があり、それに住む人がいて、彼あるいは彼女が得る所得による借金の返済があるだけですが、これに付随して2倍、3倍、5倍、10倍・・・いくらでも関連商品で資産経済を膨らませることができてしまう。

 その結果、ローン顧客の1人が首が回らなくなり、不良債権が1枚できると、それに関連する金融商品はすべてマズいことになってしまう。

 米国史上最悪の形で、それが現実のものになったのがリーマンショック、と、ここでは以下の議論に必要な形に絞って簡略化したいと思います。

 「ナカモトサトシ」は、こういう金融の膨張、つまり、本来の海老は1匹しかいないのに、それに衣をつけて天ぷらにし、さらにそれに衣をつけて2度揚げし、さらに衣をつけて・・・と派生商品だらけでぶくぶくに太り、身動きができなくなった資産経済システムに、極めて原理的な、またアナーキーな疑義を突きつけたわけです。

「金融機関不在の決済システム」としてのデジタルコイン

 あれこれ「小細工」や「仕かけ」をする、金融機関などというものがなくても、<おかね>は原始社会での発生同様に、新たに創ることができる・・・。

 システム・エンジニア的に考えれば、比較的簡単に実装できるシステムに、もう1つ、賭博とやや類似した射幸心をくすぐるゲーミフィケーション、マイニングを導入したことで「ビットコイン」はブレークし、新たな分野を1つ作り出した。

 また、その過程で普及したブロックチェーンのネットワークシステムは、狭義のコインを超えて様々な応用が検討されるようになった。

 しかし、ビットコインは依然としてお金にはなっていないし、お金にはなり得ないことを、先ほどの岩井先生とはもう1つ別の形で示すことができます。

 それは、銀行が存在しないので預金ができないんですね。

 ビットコインなどの暗号通貨には「利子」という概念がありません。

 マイナーにはシニョリッジに相当するコインの「付与」がありますが、実はビットコインは決済に用いることができるだけで、融資することができない非常に特殊なコインであるという、もう1つの側面が、ここから明らかになります。

 これが証券なら、別に難しいことは何もない。A社の株を100株持っていたら、1年後に株式自体に「利子相当分」がついて101株に増えていた・・・なんてことはあり得ない。

 「ブロックチェーン」のテクノロジーは、決済に可能な証券として新たに位置づけることで、明確な新しい可能性を描くことができます。

 しかし、その技術の「暗号通貨」としての利用は、社会の経済成長に繋がらないんですね、利回りがないから。

 通貨が通貨であるために必要な条件として岩井克人先生は人が抱くモノとモノの交換への無限の欲望の担体であることを本質的に指摘するとともに、通貨は様々なリスクに直面しますから、適切にそれを調整していかないと、その貨幣は永続的な価値を持ち続けられない、と指摘されます。

 私はこの中で、特に利率に注目したいと思うのです。

 ビットコインは貸し付けても利子が増えないという特殊なおかね(未満)という、非常に面白い局面を、おそらく人類史上初めて示したものと言えるでしょう。

 しかし「利子がつかない」、あるいは、やや天下りに記してしまうなら、公会計で考えて資本調達勘定や調整勘定が立たない通貨であるならば、トマ・ピケティが言う意味での「資本」の成長を望むことができない「社会・経済を成長させないおかね」もっと言うなら「循環型=停滞型社会に適した交換符」ということになりかねない。

 マイナーのネットワークの間では、「何か」の数字が漸増するけれど、それは実体経済とほとんど関係づけられておらず、わずかにあるのは、マイニング競争による電力消費、発電にかかるコストと資源の消費、もっと言い切ってしまうなら、環境負荷の増大、程度の実体との関わりしかない、というのが、現状の過不足ないところであると、私は考えます。

 11月22日のシンポジウム前後を含め、こうした内容を適宜平易に解説するとともに、桜内文城さんを筆頭に公会計専門家など内外エキスパートの協力を得て準備しているテキストも早晩公刊の予定です。

 真摯なご興味の向きには、そちらもぜひご参照頂ければと思います。

(つづく)

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  渋谷の軽トラ転倒「祭」に見る終わりの始まり

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