「エロマンガを毎日読んでます!」と大きな声で触れ回る人はあまりいないだろう。もし自分の身の回りにいたら驚いてしまう。
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しかし驚きつつ、自分も家でこっそり読んでいる。
「エロ」って、そういうジャンルなのだと思う。隠しているけど、実は触れている。
一般誌を「オーバーグラウンド」と定義するなら、エロマンガは「アンダーグラウンド」の世界にある。一般大衆には秘匿される、こっそりした世界だ。
しかし近年、その位置づけが大きく変わってきているのをご存知だろうか?
エロマンガの世界には、いまや一般誌の作品に引けを取らない、美しい絵で重厚な物語を描く作品が数多くあり、それらを描きとるために、日々新たな表現が生まれている。ここにはオーバーグラウンドで活躍する作家・作品たちと同じようにドラマがあるのだ。
昨今、創作表現を取り巻く状況は日々変化している。SNSの普及以後、その速度は加速しており、新しい表現が生まれては消費されていく。なかでも、このサイクルが最も速く回っているのが「エロマンガ」というジャンルだ。そして、エロマンガから生まれた先進的な表現技法は、一般のマンガにも波及している。
今回は『エロマンガ表現史』の著者でもある美少女コミック研究家・稀見理都さんと、一般誌・成人誌のフィールドを越えて活動するマンガ家・智弘カイさんを迎え、インタビューを行った。移り変わる時代の中で進化し続けるエロマンガの表現・技術について、掘り下げていく。
取材・写真・文:白石倖介(コース) 編集:和田拓也
※※当記事は、性的な内容の表現を含みます。苦手な方は十分に注意してご覧ください
社会の形とともに変容し続ける、エロマンガの"最速"表現技法
──エロマンガでしか見たことのない擬音やアングルなどがたくさんありますが、こういう表現技法は日々増えていくものなのでしょうか。
稀見理都(以下、稀見) エロマンガの世界には常に最新の表現があります。表現技法というのは作家の皆さんでつくったものが、だんだんと定着していくものですが、比較的新しい「くぱぁ」や「らめぇ」(※1)みたいな、擬音や言語を崩すような表現が先鋭化して、共有されたのが2000年以降です。
細かく言えばたくさんありますよ。最近だと「種付けプレス」なども有名ですね。
智弘カイ(以下、智弘) 「種付けプレス」の命名は高津ケイタ先生だったと思います。高津先生がSNSに図説を掲載して、一気に広まりましたね。
──いろんな人が使っている表現に名前が付くとそれが記号化されて、急速に拡散するわけですね。
稀見 最近はSNSを通してこうした表現が広まることが多いですね。「記号が広まりやすい環境」ができている。
昔は「エロマンガで生まれた表現はあまりエロマンガ以外に広がらない」っていう壁があった。ガラパゴス化した表現というか。
それが最近は、エロマンガの表現が拡散して少年誌・女性向け・BLなど、ジャンルを超えた表現の共有が起こり始めています。後々具体的に言及しますが、これが現代の特徴のように思います。
※1:「くぱぁ」は女性器を指や器具で開く際に使われる擬音。「らめぇ」は「ダメ」の崩れた表現で、快感により正常な発音をできない状態を表している
──エロマンガの表現技法の基礎には、例えば「胸がどう考えてもデカい」など「誇張」の技術がありますよね。そういった誇張表現が、読者を興奮させるのだと思います。
智弘 たとえば「コマから絵がはみ出す」、みたいな表現ってエロマンガでは頻出するのですが、コマ枠を一部消してコマ枠から液体が滴っていく表現とかもエロマンガらしい誇張表現ですよね。メジャーな表現ではないですが、絵以外の部分で没入感を演出する表現として優秀だと思います。
稀見 アダルトビデオの「レンズに液体がかかった表現」のように、コマに液体が吹きかかるような表現もあります。「カメラの存在を意識させる」表現です。
智弘 壁に女の子を押し付けるシーンでは、壁自体をカメラとして捉えるような描写もありますが、これもエロマンガ独特の表現だと思います。押し付けている面全体がカメラになるような表現です。
稀見 ガラス面のように壁を透過させる技法で、読者に女の子を見せていくと。エロマンガって、なんでも透過させるんですよ。椅子とか机とかも透過させます。一般誌で男女の姿を描く場合、普通はどちらのキャラクターも均等に描くものですが、エロマンガでは女の子を大きく見せるために男性さえも透過させてしまいます。
智弘 これは個人的な印象なのですが、「見開きのページを等分して、タイムラプス的に時間経過を見せていく表現」を、最近よく見る気がします。俯瞰で部屋の全体を眺める、定点カメラのような構図を取って、コマで時間の経過を細かく刻んで、女の子の表情を見せていく。光源の変化やキャラの表情の変化で時間経過を表現していくような技法です。
──そういった技法は、昔はあまり見られなかったのでしょうか。
智弘 なかったわけじゃないと思いますが、00年代にはそこまで見なかった表現です。エロマンガって「女の子の体を見せてナンボ」、みたいなところもあるので、引きの画ばっかりだと興奮できないのでは? という考え方があったと思うんですが、最近はそういう表現も受容されている実感があります。
稀見 より表現が高度になってきている表れだと思いますよ。エロマンガにはもともと、「女の子を中心にしたショットが多くなりやすい」という傾向があるのですが、それが飽和し始めて、違う見せ方が発達していく。カメラを引いたり、時間経過を見せたりといった表現方法を探求する流れなのではないかと思います。
智弘 「抜ける」ことは大事ですが、単純な刺激だけでは読者も飽きてしまいますので。
──「女性の描き方」が進化するのと同時に、世界観を表現する方法の模索も続いているんですね。
智弘 エロマンガは近年、特にコマ割りが奇抜なものも増えていて、普通に読んでいたらどういう順番で読めばいいのか一見して分かりづらいものも多いです。それが問題なく受け入れられているというのは、マンガの読み方がわかっている人が読者に多いんだろうな、と感じています。実験的な表現を模索できるのは、そういった読者に支えられているからかもしれません。
一般/成人 同人/商業 作家/編集者…あらゆる壁は壊れる
──智弘先生もそうですが、成人誌で連載していた作家が一般誌に描くことも、近年増えていますよね。
稀見 昔は、業界全体として「一般誌が成人誌を下に見ていた」傾向が強かった。そういった見えないヒエラルキーを作家も読者も感じていたんですけれど、その垣根は最近なくなってきましたね。
その要因は大きく分けて3つあると思います。
1つ目はネットの時代になって、読者がいろいろなジャンルのマンガにアクセスしやすくなったこと。
2つ目は、作家自身がエロ・一般の区別を付けなくなったこと。昔は一般誌に行ったらエロマンガに「降りてこない」作家も多かったんですが、そういうこともなくなりました。
最後に、編集者も成人誌から一般誌の出版社へ移動することが増えたこと。成人誌の現場で知り合った作家を一般誌に連れて行くことで、民族大移動みたいな形で作家・編集者がいずれも移動する、ということが起きています。
智弘 成人誌・一般誌にかかわらずマンガを描く作家が急増して「普通」になったのはここ10年、00年代以降だと思います。その理由として、作家の技術向上はもちろん、読者の受け取り方にも違いが出てきたように思います。
以前にエロマンガを描いていたとしても、それはそれで柔軟に受け止めてくれる土壌ができたのかな、と。僕もそうですが、成人誌と一般紙でペンネームを変えない作家さんも増えました。
稀見 (過激すぎて)変えざるを得ないペンネームの人もいましたけど(笑)。相対的にエロマンガの地位向上がなされて、エロで培ったネームバリューを一般誌でも活かそう、という動きが出てきました。
──奥浩哉先生、うたたねひろゆき先生が生み出した「乳首残像(※2)」も、今ではエロマンガにとってスタンダードな表現ですよね。それももとをたどれば、それぞれ『AKIRA』の大友克洋先生、『攻殻機動隊』の士郎正宗先生、つまり一般マンガから影響を受けているということがとても印象的でした。エロマンガが一般誌から受けた影響があるように、エロマンガにおける表現の試行錯誤が、一般誌に与えた影響はあるのでしょうか。
稀見 あります。特に最近は強く感じますね。昔はエロマンガと一般誌って、女性の身体の描き方が全然違ったので絵柄ですぐ判別がついたんです。
でも今は、「どちらが一般誌、どちらがエロマンガの作家が描いた作品でしょう」と聞かれても、わからないことも多いかもしれません。最初に言ったように、女性の描き方はもちろん、エロマンガ家や編集者が一般誌に流れて、技術やノウハウが共有されたことも影響していると思います。
※2 乳首残像:稀見先生が名付けたエロマンガ特有の表現技法で、女性の乳房の動きを表すために乳首が動いた軌跡を描く残像描写。
──「作家の技術向上」についてですが、確かにこの20年でエロマンガの全体的な画力向上があったように思います。これはなぜ起きたのでしょうか?
稀見 僕の推論なのですが、まず、エロマンガが一番売れたのは95〜97年ごろなんです。『COMIC快楽天』をはじめとして、もっとも多くのエロマンガ誌が創刊された時期です。
この頃は出版バブルで、どんなクオリティのマンガでもある程度は売れたので、「作家を集めてどんどん出す」というような流れがあった。それが次第に落ち着いてくると、画力の高い作家さんが残りました。
これに加えて90年代後半に、美少女ゲームの原画家さんなど、CGイラストレーションに明るい方がエロマンガ業界に流入してきたんです。
稀見 そもそもエロマンガの業界はCGの導入がとても速かったんです。
稀見 Photoshopでトーン貼りのような技術やワークフローを独自に構築して、コンピューティングを自力で導入するギークな人たちがエロマンガには特に多くて、そういう人たちが独自の技法を発達させていきました。
美少女ゲーム特有の限られた色数で陰影を描く表現など、女性の身体の質感を高める新たな技法が持ち込まれたことも、全体的な画力向上につながっていったと思われます。
──90年代前半から始まった美少女ゲーム隆盛の歴史とCG黎明期の技法が、エロマンガの世界に影響を与えたわけですね。90〜00年代を代表する作家を具体的に挙げるならば、どなたでしょうか。
稀見 村田蓮爾先生、胃之上奇嘉郎先生、OKAMA先生、新貝田鉄也郎先生などはやはり革新的でした。その画づくりは、同世代の作家だけでなく、後年にも大きな影響を与えていると思います。そこから10年経つと、若い作家はおっぱいの作画で石恵先生に影響を受けているとよく聞きます。
智弘 鳴子ハナハル先生も、若い作家から名前が挙がるのをよく聞きます。時代を越えて支持されている先生たちだと思います。
──「一般誌と成人誌」と同様に、近年では「同人誌と商業誌」の垣根もなくなっているように感じます。
稀見 同人と商業は昔から密接に関係しているんですが、特に一般の編集さんには「同人の方が下」というような認識が強かったと思います。ただ、それがよりシームレスになってきたのはここ数年ですね。近年では、出版社の編集者が同人誌即売会で作家をスカウトしても、「同人誌での活動を優先したい」と断られるような事例もあるようです。
智弘 インターネットの普及に伴って、同人の販路が拡大したことも大きいですね。
稀見 かつては商業・同人の両方で活躍するのは難しかったんですが、今は両方やるのが当たり前、商業作家が同人に来るのも当たり前という時代になりました。
結果、今のエロマンガの世界では、アマチュアとプロの垣根すらフラットになってきました。昔から、「エロさえあれば何を描いてもいい」というところがあるので、描くジャンルや、CGの技術についても、あまり伝統に縛られず、革新を生みやすかった土壌があると思います。
──読者・作家の視点の変化や販路の拡大によって掲載誌の垣根がなくなってきました。これらの事象について、智弘先生はどのように意識されていますか?
智弘 僕がデビューした2012年あたりはスマホが完全に普及する前だったので、ガラケー用のコマ送りマンガなどが普及していて、そういうサービスの利用者には紙媒体と比較して女性の割合が多いと聞いていました。
もしこの先、電子書籍の市場が広がってエロマンガを売る機会が増えるのであれば、読者を取り逃すのはもったいないので、デビュー時から「女性にも読んでもらえるものを描こう」という意識はありましたね。
──関連する話として、エロマンガの表現においては、昔は男性上位の表現が多かったのが、女性上位の表現も増えてきましたよね。
稀見 いろいろな要因があると思いますが、成人誌はもちろん、特に一般誌においても「女性が『痴女化』するシチュエーション」を描くことが増えてきました。
「女性を強く虐げるような描写」よりも、「女性がエッチなことに積極的な姿」を描くほうが、「読者が喜びやすい」表現である、という社会状況になってきたのかな、と思います。作家や編集者が、男性・女性いずれにも受け入れられるようなシチュエーションを考えた結果として、増えてきた表現だと思います。
モザイクは必要? 修正すらも表現に取り込むエロマンガ
──エロマンガの表現において、必ず付きまとうのが「局部修正」です。陰部の修正について、お二人はどのような所感をお持ちですか?
智弘 作家としては描いたものを消すのはイヤだけれど、エロマンガを楽しんでいる個人としては、完全になくしてほしくはない、という気持ちがあります。
たとえば官能小説には「言葉狩り」によって直接的な表現をできなかった時代があり、その時期にさまざまな語彙が生まれて、それは規制が緩和されてからも変わらず利用されて文化として定着していきました。
つまり、「禁止されているものだからこそ欲しくなる」というところがあると思います。フランスの哲学者、ジョルジュ・バタイユが定義した「エロティシズム」についてすごくざっくり言うと、「禁止されているものを一時的に、不安を抱えつつ侵犯する」というところにエロティシズムはあると。自分が描いた絵に黒ずみを入れるのはやはり嫌ですが、「これは禁止されているオブジェクトなんだぞ」というアイコンとして、修正が少しぐらいあった方がいいんじゃないかと思います。
稀見 局部修正はない方がいいと思っていますが、ただ、規制すらネタにしてしまうのが作家なんです。表現をするうえでは何か「縛り」があった方が、表現自体に粘りが出ると思っているので、そういう意味で一定の制限はあった方がいいとは思います。
僕が問題だと思うのは、日本の今の仕組みでは「規制を犯すと即逮捕、それを覆すには裁判をおこすしかない」ということ。この非常に厳しいハードルを乗り越えないと、勝ち取れない自由があるんです。
先ほど智弘先生が言われたように、小説は言葉狩りを起点としていろいろな比喩が生まれた。だからエロマンガでも、「修正の義務がなくてもモザイクを入れる自由」が勝ち取れたら面白いと思います。
過去、アメリカ人エロマンガ家の新堂エル先生(※3)にインタビューしたとき、「日本のエロマンガはどこがエロいですか?」と聞いたら「モザイクがエロい!」って言うんですよ。海外のエロコンテンツは無修正が当たり前だけれど、日本では隠す。その奥に何があるのか? という妄想がエロスを掻き立てると。モザイクも一種のエロ表現になっている。
ただ、規制によっていきなり不明確な理由でコンテンツが規制されるような流れは良くないですね。表現を萎縮させてしまいます。
※3:ニューヨーク出身のアメリカ人マンガ家で、純愛から獣姦、TS(TransSexual:肉体的異性化・性転換)まで幅広いジャンルの作品がある。著書に『TSF物語(ティーアイネット)』『晒し愛(ティーアイネット)』などがある
智弘 修正・規制の義務を逆手に取った表現の実例としては、「ハートマーク修正」ですね。ハートマークでクリトリスを隠しているのを見て、当時とても驚きました。同じ修正でも黒塗りとは画面の印象が全く違いますし、その奥に隠されたものに対して卑猥なニュアンスの想像を掻き立てますよね。
智弘 また、「内臓」には修正の必要がないので、「膣内から男の顔を見る」みたいな描写もあります。作家の立場からすると修正はない方が嬉しいことには変わりありませんが、「修正で遊ぼう!」というような心構えを同時に持つことも大事だと思います。
「いつだって、新しいことに最初に名乗りをあげてきた」
──エロマンガを電子書籍で読むユーザーも増えています。デジタルデバイスの普及に伴って生まれた表現技法などもあるのでしょうか?
稀見 スマートフォンで読む読者が増えたので、ページあたりの画面密度が薄くなる傾向にあると思います。画面が小さいので、密度の高いページをつくると、読みにくくなってしまうんです。
智弘 僕のデビュー当時(2012年)は、エロマンガの描き込み量が増えていく時期でした。掲載誌の『COMIC快楽天BEAST』が、密度の高い描き込みを要求される雑誌だったということもあり、「密度は上げるものだ」と思って描いていました。
稀見 また、スマートフォンで読みやすいように、コマ数を減らしてはっきり・すっきりしたラインをつくることがトレンドになっていると思います。
──1コマあたりの大きさも変わっているのでしょうか?
智弘 コマは大きくなっています。昔は4段組みまでは平気でしたが、今は3段組みが限界です。あえて4段にする演出の意図がない限りは増やさないですね。
──まさにデジタル時代の表現ですね。
智弘 あとは、ジャンルでいうと「ネット配信もの」がすごく増えてきました。エッチな生配信というシチュエーションが、読者にとって身近に感じられるものになって、「人のプライバシー(無防備な人間の姿)を第3者視点で見る」ことが違和感のないことになったから出てきた描写なのかな、と。読者のリテラシーが変化してきた部分だと思います。
稀見 まだあまり一般化していませんが、「デジタルコミックでキャラクターに読者の名前を設定できる」という、ゲーム的な試みもあります。自分視点でマンガのシチュエーションを体験できるので、没入感が生まれます。
そういう意味では、まだまだ電子媒体の可能性はありますし、いろんな表現が生まれると思っています。「VR(仮想現実)」もそうですが、エロはいつだって、新しい技術に一番最初に名乗りをあげるジャンルなんです。
エロマンガ業界が示す、違法アップロード問題への回答
──デジタル時代に付きまとう問題として、「違法アップロード」があります。一般誌の世界でも「漫画村」のブロッキングが話題になりましたが、こういった「違法アップロードとの攻防」のような構図は、エロマンガの世界にもあるのでしょうか?
稀見 ありますね。たとえば、ワニマガジン社が提携している米国のポータルサイト「FAKKU」は、もともと海賊版エロマンガの配布サイトでしたが、現在はワニマガジン社の出版物をオフィシャルで翻訳・配信しています(※4)。
※4:「FAKKU」は2006年の立ち上げ当初、作品をネット上に無許可でアップロードする海賊版サイトであった。2014年に日本の出版社からの警告を受け、その後話し合いによって正式なビジネスパートナーとなる。現在はライセンス契約のもと出版事業をおこなっている。
これによって他の海賊版を締め出すことに一定の成果がありました。「手順を減らして実利を取る」という点で、僕はこの方法が一番いいと思うんです。しかも「FAKKU」の人材はとても優秀で、日本のエロマンガが大好きだということも後押ししましたね。
海外には日本のエロマンガファンがたくさんいますが、彼らが増えたのは、海賊版のおかげでもあるんです。海外のファンたちには、そもそも正規版にアクセスする手段がなかったわけで、彼らに対して正規のサービスを提供すれば、ちゃんとお金を払って読んでくれるんです。
現在、日本の多くの出版社はブロッキングなどによって海賊版を排除する方向に注視しています。もちろん海賊版サイト自体は多くの問題をはらんでいますが、それをうまく利用して次の段階に進むほうがスマートだと思います。
──いち早いCG技術の導入や海賊版サイトへの対応など、先鋭的な取り組みが多数あるのは、柔軟な対応を求められ続けてきた業界ならではですね。
智弘 本当に、フットワークの軽さが大事な業界なんです。成人向けコンテンツは規制のライン自体が日々更新されていくので、そのつど対処するしかない。
稀見 規制を含めたいろいろなものと戦ってきた歴史があるから、トラブル対応にも慣れている(笑)。
智弘 だから編集者も常にアンテナを張っているし、他社との関わりの中でも良くも悪くも足並みをそろえて業界全体で動いている印象です。潰し合いなんてしてる場合じゃないですからね。
「常に過渡期」変容を迫られ続けるエロマンガ業界
──今のエロマンガ業界は、時流としてどのような地点にあると思いますか?
稀見 10年後振り返ったらよくわかる思うんですけど(笑)、エロマンガ業界は常に過渡期なので、10年後には業界の姿はまったく変わっていると思います。加えて今は出版業界にも過渡期がきている。2重の過渡期を迎えていると思います。
智弘 いち読者として感じるのは、2010年以降に見られた「絵柄も可愛く、エロも濃く、豪華に描く」というような表現はピークを過ぎていて、最近はリリカルな作風が復権しつつあるのかなと思います。それに付随して、描く女の子も「美少女じゃなくてもOK」になってきたというか。それだけ言うと誤解を招きそうな表現ですが……。
というのも、少し前は「女の子は持てる全ての力を出し切ってマックスに可愛く描く」ことを求められていたんですが、最近はマンガ的なデフォルメを効かせつつ地味な娘・垢抜けない娘を描いてもOKになってきました。
作家の表現技術が向上したことや、読者にも多様な表現を受け入れる土壌が培われたこと、もともと需要のあったものが媒体の多様化に伴って可視化されたことなど、さまざまな理由からそういった描写が受け入れられてきているように感じます。
稀見 「右に習え」で同じ絵柄の美少女を目指す必要はなくて、多様な美少女像・女性像を描くことが作家にも読者にも受け入れられてきているんだと思います。
智弘 今、「流行りの絵柄」ってあんまりないんですよね。一昔前なら「この人風」みたいな捉え方もあったんですけど、最近はなかなか「トレンドの絵柄はこの人!」っていう作家名が出てこない状態なんです。作家にも読者にも、多様化が一層進んできたのかな、と思います。
──たしかに一昔前なら「みつみ風(※4)」や「ブリキ風(※5)」などの絵柄の流行をよく耳にしましたが、近頃はそういった特定の作風の流行もあまり起きていないように感じます。
稀見 「いま一番流行っているジャンルはなんですか?」とよく聞かれるんですが、正直ないんですよ。エロマンガは新陳代謝が速いので、5年後を見るというよりは、1年後を見て動いていくんです。元気がいいというのであれば「男の娘」ですかね。
2重の過渡期を迎えながら、それでもなお変化し続けなければいけない業界で、時流はもちろん、絵柄・流行・なおかつ目まぐるしく変わる規制や最新技術に、今後も対応し続ける必要があります。
※4 みつみ:原画家・みつみ美里のこと。その絵柄は90年代から人気を集め時の美少女イラストレーションに多大な影響を与えた。原画家として携わった作品には『こみっくパーティ』『ToHeart2』などがある
※5 ブリキ:イラストレーター。2000年代後半からライトノベルの表紙・挿絵などを担当しており、手がけた作品にはヒット作が多数存在する。代表的なものに『僕は友達が少ない』(MF文庫J)などがある。また、成人向けノベルスの表紙も担当している
革新を生み続ける最速の風
表現論から修正まで、さまざまな見解の飛び交う盛りだくさんのインタビューとなった。
かつてのエロマンガには粗悪な作品も多数あり、またそれを嗜好する読者の「変態性」が過度に誇張され、日陰に追いやられてきた時代もあった。
しかし、振り返れば常にエロマンガは「革新」とともにあったのだ。日々変化する局部修正の基準や、時流とともに変質を余儀なくされた作品のあり方は、捉え方を変えれば「常に時代の最先端をリードしてきた表現」だったとも言えるだろう。今回のインタビューではそんなエロマンガの持つ力を立体的に捉えることができたと思う。
90年代以降、その画力向上に伴って拡大を続けたエロマンガというジャンルは、その力を一般誌の世界にも波及し、人々はその壁を自ら取り払ってマンガ業界に革新をもたらした。違法アップロードへのアプローチなどは特に先進的で、見習うべき部分も多いだろう。願わくばこの力が、業界にさらなる革新を生む風として吹き続けて欲しい。
このインタビューに感銘を受けた方はぜひエロマンガを買ってみてほしい。それだけで、革新は続いていく。
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