10月24、25日と二夜に渡り都内で、芸能生活30周年を記念したライブを開催し、13年ぶりにファンの前で歌声を披露した裕木奈江。久々の歌手活動だが、ステージが始まると彼女の持つ独特な世界観が一気に広がり、会場を優しい雰囲気で包み込んだ。そんな彼女にステージを終えた感想と芸能生活30年間の話を聞いた。

【写真】「裕木奈江 30周年記念ONE NIGHT LIVE with 吉川忠英・斎藤ネコ」ステージの様子

 今回のライブには、吉川忠英(ギター)、斎藤ネコ(バイオリン)、井上鑑(ピアノ)とこれ以上ないぐらい贅沢なミュージシャンが参加。さらに客席には松本隆細野晴臣といったレジェンドや関係者が多数集まり、ファンとともに30周年を祝った。アンコール曲「見上げてごらん夜の星を」を歌い終えると、あふれ出る涙をとめることができなかった。「照明がついて明るくなると、昔からのファンの皆さんの笑顔が見えて、あー、すごいうれしいなって」。

 休憩も含め約2時間半。シングル「泣いてないってば」「拗ねてごめん」「この空が味方なら」「冬の東京」「空気みたいに愛してる」ほか、「青空挽歌」、「月夜のドルフィン」など全15曲を披露。目を閉じても、ステージからラブレターのように届く歌声を聞いただけで「裕木奈江だ」とわかる儚げなボーカルは、昔から変わらない。

 88年にスクリーンデビューを果たした裕木は、90年代に入り映画やドラマ、CMなどで大ブレイクあれからはや30年、「よくわからないキャリアになってきたな、と」と笑うが、それだけ果敢にいろいろなことにチャレンジしてきた。

 山田洋次、澤井信一郎、高橋伴明ら名だたる監督たちの映画作品に出演した20代後半は「(観客として)見ていただけの人たちが、『裕木』って名指しでオファーしてくださるわけで全部やりたかった。無我夢中でしたね」と話す。04年に文化庁の新進芸術家海外留学制度で1年間、ギリシャで演劇を学んだことをきっかけに、米・ロサンゼルスを拠点に活動し国際派女優に。昨年はデヴィッド・リンチ監督の海外ドラマツイン・ピークス The Return』にアジア人でただ一人、リンチ監督から直接キャティングされた。

 女優としてのイメージが強いが、デビュー当時は音楽系事務所に所属。「実は最初、歌手にならないかとお誘いを受けたんです。私の声が軽くて面白い声をしているから、ポップな歌を歌ってみたらいいんじゃないかと。私はお芝居にすごく興味があったのですが、両方とも勉強になるからということでボイストレーニングも受けるようになって」と歌手活動のきっかけを明かす。

 90年2月に「硝子のピノキオ」でCDデビュー。以後シングルを全9枚、アルバムはベスト盤含め7枚をリリースしている。「プロデューサーの酒井政利さんに誘われ、いきなり筒美京平さんの曲や、松本隆さん、秋元康さん作詞の曲だったりを歌わせていただいて。そうそうたる方々の楽曲に恵まれ、すごく幸運でした」とその幸せを噛みしめる。

 今回のライブにも多数のレジェンドが駆け付けたが、なぜ彼女はデビュー間もない頃から、普通は仕事を一緒にしたくてもなかなか叶わない超一流の人々に好かれたのだろうか。

「デビューがちょうどバブル期で、私みたいな田舎っぽい子がいなかったんですね。“3M”と呼ばれた牧瀬里穂さんや宮沢りえさん、観月ありささんとか、みんなデビューのときから洗練されていて…」と振り返る。「そんななか私は、地方から出てきて東京に慣れてないけど『がんばってます』っていうイメージで、そのシェアがすごく高かったのだと思います」と自己分析するが、裕木でなければならない圧倒的な理由がいくつもあったはずだ。

 久しぶりのライブを終え、「長く愛してくださっている皆さんの愛が、ありがたいです」と感謝する裕木。30周年の一区切りを「大きな円をひとつ、描き切った感じなんです」と表現しながらも「このあとは気楽にいきたいですね」と楽しそうに語る。より自由に女優としてアーティストとして、彼女が描き始めるだろう次の新しい円が楽しみでならない。(取材・文:志和浩司)

「裕木奈江 30周年記念ONE NIGHT LIVE with 吉川忠英・斎藤ネコ」ステージの様子