すしや刺身を食べる際に使う日本原産のスパイスわさび」。今や海外などでも多くの人に使われるようになりつつあるが、実はまだまだ謎の多い食品である。

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 日本人とわさびの付き合いは古い。飛鳥京遺跡で出土した木簡には「委佐俾三升(わさびさんしょう)」の記載があり、飛鳥時代から使われていたことが分かる。また、日本最古の薬草辞典である「本草和名」にも「山葵」の記載があり、どうやら薬草として使われていたようだ。

 このわさびが、世界的に注目を集めつつある。2018年3月には国連食料農業機関(FAO)が、静岡県の伝統的なわさび栽培を世界農業遺産に認定した。それを受け、8月3日には安倍晋三首相がわさび丼を食べて「夏バテをこれで乗り切る」と話したことがニュースになった。

解明されつつあるわさびの効果

 わさびが大衆に愛されるようになったのは江戸時代の文化・文政年間(1804年~1830年)のころと言われている。このとき、わさびを付けたにぎり寿司が考案され、江戸でブームになった。魚の生臭さを消すためにわさびを使い出したようだ。このあたりから、わさびといえば、寿司やそばの薬味として食用のイメージが強くなり、一方で、その機能性への着目は減っていってしまった。

 日本で本格的なわさびの研究がはじまったのは1970年代から。研究が進むにつれて、わさびに多く含まれるイソチオシアネート類の機能性に注目が集まるようになった。わさびにはイソチオシアネート類が少なくとも21種類確認され、発がん抑制や抗酸化作用(活性酸素から体を守る作用)、抗炎症作用などの機能が報告されている。最近では脳機能の改善作用も新たに報告された。

 加工わさびメーカー「金印」(本社・名古屋市)によると、わさびの効果は徐々に解明されつつあるという。同社は最新の研究成果をサプリメントや化粧品などの新商品に活用している。

 同社でわさびの研究を進める奥西勲課長は、わさびの抗酸化作用の特徴を次のように説明する。「ポリフェノールなどの抗酸化作用は、発生した活性酸素を消去する『消去型』です。一方、わさびの場合は発生をもとから抑える『抑制型』で、活性酸素からダメージを効果的に防いでくれます」。

加工わさびメーカーのパイオニア

 金印は原料開発から生産までを一貫して行う業務用加工わさびメーカーの雄である。創業は1929年1937年に「わさび乾燥機」を開発し、初めて「粉わさび」の量産に成功している。

「粉わさび」や「練りわさび」といった加工わさびは、日本の本わさびだけで作られているわけではない。実は西洋わさびも用いている。日本の本わさびは香りも辛味も数分で消えてしまう。本わさびと西洋わさびの辛味成分は同じで、辛味だけを比べると、日本の本わさびよりも強い。そこで、現在はこの2つを組み合わせることで加工わさびをつくっているのだ。

 日本加工わさび協会によると、加工わさびの生産量は1万7290トン(2013年度)。同年度の本わさびの2380トン(農水省)の約7倍に達する。

 金印は創業以来さまざまなチャレンジによって、加工わさび市場を切り開いてきた。

 1971年には業界で初めて「練りわさび」を発売し、トレーパックの刺身に添付する小袋入りわさびという新しい市場を生み出した。この添付わさびにより、同社は国内で急成長を遂げた。

 だが、一方で悩ましい出来事が発生した。長く続いた景気低迷に加え、複数社が参入することで価格競争となり、単価が下がってしまったのだ。「例えば以前20円だったものが5円とかになってしまう。販売シェアはあっても、売り上げが4分の1になってしまうわけです。しかし、価格競争があっても、金印としては品質を落とすわけにはいきませんでした」と話すのは、同社専務取締役の山岸信夫氏だ。

 金印が直面した苦難はこれだけではない。同社は加工わさびを製造するにあたり、1982年に網走研究所を設立している。主原料である西洋わさびの品質改善(加工わさびに適した味への改善)と、契約栽培農家の支援(栽培しやすい品質への改善)が研究所設立の大きな目的だった。

 同社はなぜ網走の栽培農家を支援しようとしたのか。発端は1964年にさかのぼる。

1964年の収穫期は西洋わさびが不作で、奪い合いになったのです。当時は長野が主たる調達先でしたが、北海道の農家を訪ね歩き、網走地方からわずかながら西洋わさびを調達することができました。その際、網走方面で西洋わさびを生産し、加工することを考えたのです。工場は1968年に完成しました。そして、研究所ができた1982年には、原料の調達シェアは網走が最も高くなりました。お客様に安定的に商品を提供していくために原料から着手したわけですが、当時は無謀といわれたものです」と小林一光会長が当時を振り返る。

 現在、加工わさびの原料となる西洋わさびの国内生産量は約2000トン(農水省)。その9割は金印の契約栽培によるものだという。他社が輸入原料に頼るなかでのこだわりだ。

わさびの美味しさは3~5分でピークに

 同社の独自技術に1973年に開発された「超低温すりおろし」という製法がある。原料をマイナス196℃の超低温下ですりおろし、揮発性の香りと辛味を閉じ込めるというもの。

 一般的に、わさびの香りと辛味はすりおろすと同時に減少していく。そもそも日本のわさびは、そのままかじっても辛くはない。このことを知っている人は案外少ないのではないだろうか? 鮫皮などのおろし器でおろしてはじめてツーンとしたさわやかな香りと鮮烈な辛味が生まれるのだ。これは、わさびの香りと辛味が酵素反応で生じるためである。ただ、香りも辛味も揮発性が高く、時間とともにどんどん失われていく。本わさびはすりおろした後、約3~5分で香りと辛味のピークを迎え、30分ほどで香りと辛味は半減してしまう。

 超低温すりおろし製法だと香りと辛味が減少していかないので、わさび本来の風味を損なわないという。筆者も食べ比べてみたが、香りも辛味も圧倒的な違いが感じられた。

「現在、わさびのスタンダードが常温保存のチューブになっていることは悔しいですね。これだと本来の香りがない。わさびの本来の風味を維持するには、冷凍するのが良いのです。そこには清々しい香りとツーンという辛味があります。これを多くの人に知っていただきたい」(橋本網樹・名古屋工場長

 わさびの美味しい食べ方について付け加えると、わさびの風味はアミノ酸で分解されるため、醤油などと混ぜるのはもってのほかだ。また、醤油自体の風味を損なってしまう。刺身であれば、わさびを刺身にのせ醤油をつける。お寿司でネタとシャリの間にわさびを塗っているのも、実はこのためだ。

海外展開は「まだまだ伸び代がある」

 金印は加工わさび業界の雄として、世界に販路を広げている。現在、金印のわさび関連商品は業務用を中心に世界67カ国以上に流通している。同社の売上は今のところまだ国内が圧倒的だが、海外の売上も順調に伸びている。海外の売上比率を30%にするのが当面の目標だという。

 世界で求められるわさびは多様だ。橋本工場長は、「例えば日本では天然の色合いが求められますが、一部の海外ではびっくりするくらい緑がかっているわさびが求められたりします。商品開発部が持ってくるそんな商品をどう工場で再現していくのかが、私の最大の仕事です」と話す。

 海外展開について、山岸専務は「まだまだ伸び代がある」と見ている。「シェアを奪い合うのではなく、ニーズを拡大させることが金印の役割だと考えています。さらに、将来的には世界のスパイスを活用した総合スパイスメーカーになることを目指します」と言う。小林会長も「これから3年の間に、スパイスメーカーに変化する」と話す。「日本の本わさびの加工で手に入れた抽出技術は、他の素材に十分に転用できます。今後は、わさびで培ってきたノウハウを他の素材でも活用していきます」(小林会長)。

 世界的に注目を集めているわさびわさびの扱いは繊細で非常に難しいが、その扱いに慣れた日本人や日本企業が、スパイスメーカーとして海外で知られるようになる日も近いのかもしれない。

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わさびの機能、効果について研究が進んでいる(写真はイメージ)