第一次世界大戦の名機とうたわれるフォッカーD.VII戦闘機ですが、性能だけ見れば、これを上回る機もあったといいます。それらを押しのけ、なぜ「名機」といわれるほどの評価を得られたのでしょうか。

機体技術も戦術も急速に進展したWW1期の戦闘機

2018年11月11日(日)、第一次世界大戦が事実上終結した休戦協定の締結(1918〈大正7〉年11月11日)から100周年を迎えました。

当時「グレートウォー(大戦争)」と呼ばれたこの戦争は、戦闘機や戦車といった新兵器が初めて実用化されるなど、現代的な戦いが形成されるきっかけとなりました。

数ある新兵器のなかにあって戦闘機は、「高い速度」「追いかけて撃つ」「先制攻撃が最重要」といった空戦の根本部分が第一次世界大戦においてほぼ完全に確立されています。戦争前には存在しなかった戦闘機という兵器が、技術的にも運用法においても極めて短い期間のうちに完成されてゆくその様は、フィクションの世界でたとえるならば、『機動戦士ガンダム』の世界における「一年戦争」並みであったとさえいえます。

実際のところ実用戦闘機と呼べる最初の機種が誕生したのは、1914(大正3)年夏の開戦から1年が経過した1915(大正4)年夏頃です。それから休戦を迎え事実上戦争が終結するまで3年と少しを要しましたが、開発されたばかりの新鋭戦闘機が性能面で優位に立てるのはわずか数か月程度であり、戦闘機は恐ろしい勢いで進歩していきました。

この3年という短い期間においては、「突然変異」的な革新的設計を持った機種も多数存在します。数ある名機のなかでも、敗戦国だったドイツ陸軍の主力機として戦争最後の半年間に活躍した複葉単座機「フォッカーD.VII(D7)」は、第一次世界大戦中最も偉大な戦闘機として歴史にその名を残しています。

なぜフォッカーD.VIIが歴史的に最も偉大であったと言えるのか。その根拠は100年前に締結された休戦協定にあります。

フォッカーD.VIIが英仏機より優れていたポイントは?

英仏を中心とした連合国軍は敵国のフォッカーD.VIIを極めて高く評価していました。休戦協定ではドイツ軍が配備する諸兵器の引き渡しが求められましたが、その大部分は「野戦砲5000門」のように単に種類と数だけしか指定されていませんでした。ところがフォッカーD.VIIだけが「航空機1700機、すべてのD.VIIを優先する」と唯一名指しで明記され、本当にその名が歴史に登場したのです。

実のところ英仏軍には、フォッカーD.VIIよりも1割から2割強力なエンジンを搭載し、速度性能などの数値においてフォッカーD.VIIを上回る機種はたくさんありました。レーダーやミサイルなどが実用化される以前の時代は「エンジンパワー=戦闘機の性能」であったにも関わらず、フォッカーD.VIIは英仏軍のハイパワー戦闘機を相手に負けませんでした。

フォッカーD.VIIの強さの背景には、「敵も味方もパイロットは全員素人同然」という事実がありました。第一次世界大戦前には戦闘機という機種は存在しませんでしたが、戦中は数千、数万機が生産されるに至ります。しかし、機体はすぐに造ることができても、人がすぐに空を飛べるようにはなりませんでした。これまで空を飛ぶ乗りものすら見たことがなかった若者たちは、わずか数週間の訓練を経てすぐに戦闘機パイロットとして実戦投入されました。

飛ぶこともやっとの技量しかない彼らに待ち受ける運命は過酷でした。ほぼ全員が初陣から1か月以内に戦死するか事故死し、どこの国も戦争が終結するまで慢性的なパイロット不足の状態にありました。

こうした事情のなかにあってフォッカーD.VIIは、多少荒い操作を行っても失速や操縦不能な状態に陥りにくく、「操縦しやすい」という特徴を持っていました。つまりフォッカーD.VIIは素人でも機の墜落を(比較的)気にすることなく機体の性能を最大限に引き出すことが可能だったのです。

現在に通じるその「翼」

フォッカーD.VIIは薄い主翼が主流だった当時の常識とは反し、「分厚い主翼」を持っていました。この分厚い主翼が、失速や操縦不能になりにくい理由でした。さらに大きな揚力を発生させ、機敏な旋回性能や上昇力をも得られ、しかもむき出しの鋼線を使わず内部構造だけで主翼を支えられたため、空気抵抗も小さいという大きなメリットをもたらしました。その効果の程度は、現代の飛行機のほぼすべてがフォッカーD.VIIのような分厚い主翼を持つに至っていることが証明しているといえるでしょう。

第一次世界大戦における急激な進化の終着点ともいえるフォッカーD.VIIですが、その後驚くべきことに、ほとんど真似されませんでした。休戦協定において全機引き渡しを要求した英仏でさえ、フォッカーD.VIIの強さの根源を忘れてしまいました。薄い翼の戦闘機1930年代に入ってもなお製造され続け、なかには第二次世界大戦においても実戦投入されたものさえありました。

フォッカーD.VII第一次世界大戦における「最強の戦闘機」であったと言えるのかどうかはわかりません。しかし多くのパイロットらに愛され、同時に恐れられ、そして100年と少しばかり戦闘機の歴史において実に10年もの長期間にわたり最先端の地位あり続けたのですから、フォッカーD.VIIを名機中の名機としてどのような賛辞を贈っても、その輝きに対して過剰となることは決して無いでしょう。

【写真】戦闘機の「始祖鳥」、フォッカーE.III

第一次世界大戦の屈指の名機となったフォッカーD.VII。最大速度性能200km/hは平凡だったものの、「操縦しやすさ」から多大な戦果をあげた(関 賢太郎撮影)。