「寝てた、寝てたでしょ」
「寝てたけど、あなたの言う『寝てた』は睡眠行為のことでしょ。寝てたことが必ずしも睡眠行為とはかぎらない」

男が一人だけの部屋で、そんなことを口にしながらパソコンのキーを打ち続ける。男の名は坂元裕二、脚本家だ。彼を半年にわたって密着取材した昨晩のNHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、そんな場面から始まった。彼が口にしていたのは、脚本に出てくる人物たちのセリフである。

先ごろ刊行された『脚本家 坂元裕二』(ギャンビット)に収録された坂元と宮藤官九郎(坂元の作品「カルテット」の出演者で同業者でもある)の対談では、セリフを《喋りながらじゃないと書けない》という宮藤に対し、坂元も《僕も書いてから、何回か声に出して読み直します。(中略)人には見せられない姿ですね(笑)》と打ち明けていた。番組のカメラはまさにその姿をとらえたことになる。

ドラマは人と人との関係でできている
坂元は今年3月、連続ドラマの執筆休止を発表し、取材を受けたときには秋に上演する初の舞台脚本に取り組んでいた。今回の番組のなかで、彼は新たなジャンルに挑む理由を次のように説明した。

「2002年とか2003年からずっと(連続ドラマを)書いてるから、もう書いてないシーンとか書いてないセリフはないんじゃないかと思うくらい、思ってきちゃって。もう何書いても、これ書いたなと思うんですよね。底を打っちゃったんじゃないかって不安があるから、それが一番つらいですよね。書いたことあるなって思うものをもう一回書くのっていうのは。(だから)テレビじゃない、自分にとって違う容器のところにいけば何か生まれるんじゃないかなって」

舞台脚本の執筆にあたり、坂元はまず、登場人物の人となりを書き出した。前出の『脚本家 坂元裕二』では「履歴書」と呼ばれているものだ。同書には「Mother」(2010年)と「カルテット」(2016年)の執筆に際して書かれた「履歴書」が収録されているが、そこには放送されたドラマには反映されていないような人物の関係性まで緻密に書き込まれていて驚かされる。番組でも以下のように語っていたように、坂元にとってドラマとは、まず人物の関係性ありきなのだ。

「人間って明るい人なのかとか暗い人なのかとか性格とかそういうことでできてるんじゃなくて、関係性みたいな」
「やっぱり人は誰かとの関係のなかにあると思うし、とくにドラマっていうのは人と人との関係のなかでできてるものだから」

密着取材を受けるなか、坂元は「履歴書」からプロットを経て、本格的に脚本に着手したものの、なかなか書き進められずに苦闘する日々が長らく続いた。それも登場人物の関係性を一から見直すことにより打開される。このとき、ペンと紙を取り出すと思いつくままに線を引き、相関図を何枚も描いた末、やっとしっくりくるものにたどり着いたのが印象的だった。

坂元作品の特徴としてはいま一つ、いかに直接的な表現を用いずに人物の個性や感情を伝えるか、何気ない会話やささいなしぐさなど日常を徹底的に書きこんでいくことがあげられる。たとえば、「好き」という感情もそのまま言葉にするのではなく、描写を重ねていくことで表現するのだ。「小さい積み重ねで人間って描かれるものだから」「僕にとっては大きな物語よりも、小さいしぐさで人物をテレビで見るほうが刺激的だなって思うんです」と坂元は語る。

前出の『脚本家 坂元裕二』によれば、坂元の脚本の第1稿はいつも長くなるという。それというのも、店で人が会話する場面なら、店に入って注文するところから、肝心の話が終わって雑談するところまで書いてしまうからだ。第2稿ではそれを半分にまで削るのだが、当人に言わせると《「書いて消したものも、脚本に残ってるはずだ」と思ってるので、捨てたものの量が、残ったものの豊かさにつながるはずって信じてやってるんですけど》ということらしい。

ポリコレでテレビがつまんなくなったんじゃない」
坂元が日常を描くことの重要性に気づいたのは、30代半ばで子供を儲けてからだという。共稼ぎの妻は家を留守にしがちなため、彼が一人で娘の面倒を見る時間が多かったが、自宅で執筆しながらの子育ては想像以上に大変だった。手をあげこそしないものの、怒鳴ってしまうこともあったらしい。こうした子育ての経験から生まれたのが、児童虐待を描いたドラマ「Mother」だった。脚本家・坂元裕二にとって同作は大きな転機となる。

番組では、坂元がこの12年間、妻と交替しつつ娘のために毎朝、弁当をつくり続けていることも紹介されていた。その様子は、ドラマ「カルテット」で高橋一生松田龍平が、一緒に楽団を組んだ女性たち(松たか子と満島ひかり)と共同生活を送るなか、ごく自然に料理をつくっていた姿とも重なった。ちなみに、男性二人が食事をつくるシーンは意識的に出したものだと、彼は『脚本家 坂元裕二』のインタビューで語っている。それは社会の風潮に対する挑戦でもあった。

《ベテランの芸能人の方たちが、「最近はコンプライアンスとか苦情が多くて、面白いものがつくれない」ってよくおっしゃるじゃないですか。「女性をブスって言ってもいいじゃないか。セクハラもコミュニケーションだ。差別も言論の自由だ」っていうのを、僕は疑問に思ってたから、それを全部クリアしても面白いものがつくれると思いますけどね、ということをやってみたかったんです。すべての人格に配慮して、旧来の土壌を廃した上で、面白いものをつくってみせたいって。だから、料理を女性がつくるという固定概念を外したのも、全部意図しています。「ポリコレでテレビがつまんなくなったんじゃないよ」ってことは言ってみたかったし、むしろそれを守ったことで新しい場所に行けるという気がしたから、「できるんじゃない?」って思いましたね》

今回の舞台脚本の執筆もそうだが、坂元は常に新しいことに挑戦を続けている。過去のストックから引き出せば、執筆ももっとスムーズに進んだはずだが、彼はそれを良しとしない。番組中の「集大成とか言われたらもうダメなんだ。それは自分の未知なる泉が枯れちゃってるから、汲んだ水でつくっているから集大成って言われちゃう」という言葉からは、数々の名作を生み出し、50歳をすぎてもなお、キャリアや地位に安住しない姿勢が伝わってきた。

ドラマが終わったあとも登場人物たちは生き続ける
舞台脚本に苦闘するなかで、彼はまた「嘘をつかないこと」を自分に課していた。ディテールへのこだわりもそこにつながっている。番組での「どんな面白いストーリーより、本当にその人たちが生きているように見えることが一番好きだし、自分でもそういうのをつくりたいから」との言葉は、『脚本家 坂元裕二』のインタビューで、自らの信念を問われて語った次の発言とも通じる。

《連ドラは、観てない時間も、次の週を待ってる時間も含めて、ドラマを観ている時間だと思っているんです。次の回を待つ間に、登場人物たちが自分の生活のなかに入ってくるんですね。(中略)ドラマが終わったあとも「あの人たち、今もどこかで生きてるんじゃないだろうか」って思えるようなドラマをつくること。それが僕にとって一番大事にしていることで、それが連ドラのお客さんと交わしている約束なんだと思ってる。あの人たちはまだまだこの先も生きていくし、わたしはあの人たちの「ある3ヵ月」をちょっと覗いていただけなんだ、という思いになれるのが理想なんですね》

登場人物たちがいかにも実在しているかのように描こうとするからこそ、坂元は現実の生活もおろそかにしないのだろう。舞台「またここか」の公演を無事に迎えたあと、番組の終わりに彼が口にした「才能とかそんなのはあまりあてにならない」「その人が普段暮しているなかで出てくる美意識とか、自分がちゃんと世界と触れ合ってないと(作品は)生まれない」という言葉が心に響いた。

※坂元裕二をとりあげた「プロフェッショナル 仕事の流儀」はNHKオンデマンドの「見逃し番組」で配信予定。11月18(日)午後1時5分より再放送予定(一部地域をのぞく)。

今回の記事で参照した『脚本家 坂元裕二』は、本人へのインタビューを「ヒストリー編」「パーソナル編」に分けて収録するほか、満島ひかり有村架純・瑛太・宮藤官九郎ら坂元作品の出演経験者との対談、そのほか出演者やディレクター、プロデューサーへのインタビュー、全ドラマについての本人解説、ドラマ「カルテット」で主題歌を担当した椎名林檎との往復書簡、さらには、坂元が脚本を手がける前に必ず書くという登場人物の「履歴書」、19歳で書いたデビュー作である「GIRL-LONG-SKIRT〜嫌いになってもいいですか?〜」(第1回フジテレビヤングシナリオ大賞受賞、1987年)の再録など、盛りだくさんの内容となっている。よしもとドラマ部の村上健志(フルーツポンチ)・福田恵悟(LLR)・宮地謙典(ニブンノゴ!)が選ぶ名キャラ集も、イラスト付きで楽しい。

(近藤正高)

今回の「プロフェッショナル 仕事の流儀」の放送を前に、10月には坂元裕二のこれまでの仕事を振り返った『脚本家 坂元裕二』が刊行された