石原慎太郎氏は、なぜ中国を「シナ」と呼ぶのか。そして、中国は、なぜ「シナ」と呼ばれることを嫌がるのか。昨日の「石原慎太郎氏の『シナ』発言とナショナリズムの台頭について」という記事では、新聞を参照しながらその2点について考えてみた(「石原氏 シナ発言の危うさ」、東京新聞10月31日付)。

考えてみれば、石原氏は政治家になってから、ほぼ一貫して中国を「シナ」と呼び続けている。だが、彼の「シナ」発言は、時に無視され、時に支持される。では、中国を侮辱するような呼称が、無視されたり支持されたりする原因は、いったい何なのだろう。

■中国を「シナ」と呼ぶ必要がなかった時代

戦後の日本は、敗戦の混乱を乗り越え、1950年代半ばから高度経済成長期に入る。人々は、働くことに必死であった。そして、1970年代半ばまで続いた経済成長により、企業では終身雇用制が定着するなど、それほど不満のない生活を送る人々が増えていった。

1972年には、田中角栄首相により日中共同声明が調印され、途絶えていた中国との国交が正常化されていく。多くの日本企業が、安い労賃を求めて中国に進出。日本では「Made in China」の商品が大量に売られるようになるなど、日本と中国の経済的な関係は右肩上がりで深化していく。

生活にそれほど不満がない。日本と中国の経済的なつながりが深くなる。そんなときに、中国を「シナ」と呼ぶような言説はほとんど支持されない。生活に不満があったり、中国との関係が悪化していれば、不満の受け皿や憂さ晴らしの対象として中国が標的となるのかもしれない。だが、そうした「不満」や「悪化」がなければ、わざわざ中国を「シナ」などと呼ぶ必然性などないわけだ。

■生活への不満が「中国叩き」という受け皿を求める

ところが、1990年前半のバブル崩壊後、日本の経済は下り坂を転げ落ちていく。金融不安が続き、企業の倒産が増える。「失われた10年」の到来である。その後、終身雇用制は崩壊し、日本の経済状況は不況が前提となってしまった。小泉政権の時に多少の景気回復があったものの、2008年の世界金融危機によって日本は再び不況になり、その影響は現在に至っている。

いまの生活は不満だらけ。この憂さを晴らしたい。何かに不満をぶつけたい。不満の受け皿が必要だ。だが、日本社会に向かって不満を言えば、自己責任だとしっぺ返しをくらう。そんな時に、尖閣諸島問題で日本と中国は微妙な関係となった。不満の受け皿が見つかった。どれだけ中国を叩いて憂さを晴らしても、文句を言う日本人はそれほどいない。

フリージャーナリストの安田浩一氏は東京新聞の記事で、排外主義が共感を呼ぶ理由を、「日本はアジアの経済大国として『金持ち、けんかせず』のような部分はあったが、国際的地位の低下や社会の閉塞感で、余裕がなくなった証拠だろう」と述べている。そして、「政治家が領土問題などで、国家の危機を論じると、生活の不満などが消し去られてしまう、不思議な力を持っている」と続ける。

■排外的ナショナリズムが支持される理由

政治家が「国家の危機」を論じることにより、「生活の不満などが消し去られる」ような状況は、ナショナリズムポピュリズムが人々に受け入れられる土壌となる。排外すべき敵が作り出され、言葉は単純化される。こうして石原氏の「シナ」発言を支持する人は増え、日本と中国の関係は悪化していく。

目先にある不満だらけの生活は、どれだけ中国を叩いても変わりはしない。そんなことは分かっているが、日本という安全地帯から中国を叩くのは憂さ晴らしになる。自分の考える「正しさ」を世間に表出できるし、政治家もその「正しさ」や憂さ晴らしを正当化してくれる。排外的なナショナリズムは、なんと気持ちがよく、魅力的なものなのだろう……。

以上で述べたように、排外的なナショナリズムは気分屋である。人々に不満がないときには姿を隠し、不満がたまるとその受け皿として姿を現す。他人や他国を排外しても、いいことなどひとつもない。だが、ナショナリズムの魅力は、そんなきれい事など無視して人々を惹きつけていく。そして、いったん火が付くと、それを消すのは困難な状況になりやすい。

日本が不況から脱出し、いまより豊かな生活を送れる人が増えれば、ナショナリズムという刀は鞘に収まるのではないか。人々は中国叩きに飽き、石原氏の「シナ」発言を支持する人も減っていくような気がする。そうなると、ポイントは日本が不況から脱出できるのかどうかという話になるが、いまの政治状況を見る限り、そんな日が来るとは思えない。

(谷川 茂)