最近高級食パンブームが世間を賑わせていますね。自分へのご褒美やちょっとした贅沢品としてニーズが高まっているようです。筆者も1斤1000円以上の食パンを求め並んだことも。
そんなとき、ふと思いました。なんで食パンは食パンと呼ぶのでしょうか。ただのパンと呼ばれない理由とは?
なぜ「食パン」?
調べると諸説ありました。
本食パン説
第二次世界大戦より前は、日本のパン職人はイギリス系の白パン(山型食パン)のことを、西洋料理の主食となる食べ物という意味で「本食」と呼んでいたそうです。その「本食パン」が略され「食パン」になった説。
主食パン説
日本にイギリス風山形の「パン」を販売したのは、1861年にイギリス人のロバート・クラークが横浜に開いた『ヨコハマベーカリー』ですが、1874年に木村安兵衛が売り出した「あんパン」、1901年に中村屋が開発した「クリームパン」など「菓子パン」の方が有名になったため、いつしか前者を主食用のパンという意味で「食パン」と呼ぶようになった説。
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消しパンと区別する説
絵画のデッサンの際に、パンを丸めて消しゴムとして使っていたため、食用と区別する呼称として「食パン」となった説。
酵母菌が食べる説
膨らんだパンの断面が虫食いのように小さな穴があることから、酵母菌に食べられた(と昔は思われていた)パンという意味の「食パン」という説。
うーん、個人的にはやはり西洋人が主食として食していたことから、食パンになったという説が自然の流れのように思われます。
日本にパンがやってきたのはいつ?
1543年に種子島に漂着したポルトガル人によって伝えられたのが最初だと言われています。その後来日したフランシスコ・ザビエルのキリスト教布教活動とともに、日本各地で知られるようになりましたが、徳川幕府による禁教令により外国人が排斥されたため、普及されることはありませんでした。
時代は下がり、1842(天保13)年。清国でアヘン戦争が起き、外国勢が日本にも攻めてくるかもしれないと考えた伊豆の代官・江川太郎左衛門が、パンが兵糧に向いているのではと考え、長崎出島で働いていた料理人に作らせたのが、日本人による最初のパン製造と言われています。
第二次世界大戦の後は、アメリカがもたらした大量生産型の四角いパンが一気に普及。8枚切りは、サンドイッチを好む米軍駐留兵士の要望から生まれたそうです。その後日本人の好みにあわせて、6枚切りや4枚切りが広まりました。
食パン1斤の大きさと重さは?
ちなみにパンの重さにも触れておきましょう。「斤」とは尺貫法における重さの単位の1つで、約600gです。しかしパンの単位で使われている1斤は、イギリスのポンドをもとにした約450g。パンの一山を「英斤」と呼んでいたのが、いつしか数え方の単位として定着したんですね。
パンは毎回同じ重さに焼き上げるのは大変なので、現在パンの重さは誤差として半斤を170g~、1斤を340g~510gと定められています。(日本パン公正取引協議会より)
斤は重さの単位なので、大きさについては特に定めてはいません。いくらふんわり大きくても、340g未満であれば半斤なんですね。
世界には様々な形のパンがあります。フランスではパン・ドゥ・ミといっていわゆるフランスパンが主流ですし、筆者がドイツに行ったときはプレッツェンという丸いパンが多く見られました。
イギリス人がもたらした、トースト文化がすっかり定着した日本。今後、惣菜パンや菓子パンが多様化しても、日本から食パンが消えることはなさそうです。
参考サイト:タイムスリップ横浜
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