アメリカのホロコースト研究者デボラ・E・リップシュタットは、ホロコースト否定論者の系譜を研究した『ホロコーストの真実』(恒友出版)でイギリスの歴史家、デイヴィッド・アーヴィングの名誉を棄損したとして訴えられ、4年に及ぶ裁判闘争を余儀なくされた。その顛末を描いた映画『否定と肯定』については前回書いた。

[参考記事]
●映画『否定と肯定』でわかったホロコースト否定論者と戦うことの難しさ

 リップシュタットが歴史家として注目されたのはホロコーストを研究したからではなく(これはユダヤ人を中心に多くの学者がいる)、ホロコースト否認を歴史学のテーマとして取り上げたからだ(こちらは研究者がほとんどいない)。

 1993年4月、アメリカ、ワシントンD.C.ホロコースト記念博物館開館に合わせて行なわれた世論調査で、「ホロコーストが起きなかったという話はあり得るか」との質問に、アメリカの成人の22%、高校生の20%が「イエス」とこたえた。同時期のギャロップ世論調査では、成人の38%、高校生の53%が、ホロコーストの意味をまったく知らないか、あいまいにしか説明できず、成人の22%、高校生の24%が、ドイツナチスが権力の座についたあとに起こったことを知らなかった。

 こうした状況に危機感を抱いたことで、ホロコースト否認の主張を「真面目に扱う」ことを決意したのだとリップシュタットはいう。なぜなら、否認論者の主張は無知を栄養分にして広がっていくのだから。

6年間で600万人が殺されるということがあり得るのか?

 漠然としか知らないことについて、一見筋の通った説明をされると、「そういうこともあるかも」と思ってしまう。とりわけホロコーストのような、人間の想像力超えるような出来事についてはなおさらだ。

 第二次世界大戦前、ヨーロッパ(現在のウクライナベラルーシなどソ連西部を含む)には総計950万人のユダヤ人が住んでいた。それが、戦争が終わると300万人ほどしか生き残っていなかった。アメリカやパレスチナなどに移住した者を除いても、その差はおよそ600万人になる。これは千葉県(620万人)や兵庫県(550万人)に匹敵する数だ。それが1939年ドイツ軍によるポーランド侵攻から45年の終戦までの6年間(実際には1941年のソ連侵攻からわずか4年間)に殺されたなどということがあり得るだろうか。

 アウシュヴィッツと隣接するビルケナウの強制収容所では、120万人を超える収容者(その大半はユダヤ人)が死亡したとされている。これは岩手県125万人)や大分県(115万人)に匹敵する数だ。しかもそのほとんどはガス室で青酸ガス(チクロンB)によって組織的に殺され、遺体は焼却されたとのだという。

「こんな荒唐無稽なことがほんとうに起きたのだろうか」と思っているところに、否定論者はささやく。「そんなわけないよね。じつはこれはぜんぶ陰謀なんだよ」

 このプロパガンダはとりわけ、ホロコーストが起きてほしくなかったひとたちに対して有効だ。これが、第二次世界大戦で「罪人」の立場に立たされているドイツ人や、ドイツ系アメリカ人のあいだで否定論が広がる理由だろうが、それ以外の国にも否定論者はいる。リップシュタットを訴えたアーヴィングはイギリス人で、対独戦に従軍した海軍士官を父にもつが、それにもかかわらずドイツとの戦争に突き進んだチャーチルを批判し、ヒトラーを擁護した。

 こうした否定論者の系譜について述べる前に、しばしば議論になるガス室について、現在ではすでに決着がついていることを確認しておこう。

 ホロコーストの検証が困難だった理由のひとつに、ナチス・ドイツが建設した絶滅収容所が東ヨーロッパにあり、それに関する資料の多くがモスクワに運ばれ、西側の研究者が利用できなかったことがある。冷戦下のソ連では、ドイツ民族主義とはまったく異なる理由から、ホロコーストは否定されていた。

 ソ連の歴史観では、第二次世界大戦は「善」である共産主義者が「悪」のファシストを打ち倒す物語だった。この枠組みでは、ファシストナチスによって殺されたのは人民=共産主義者であって、犠牲者がユダヤ人ばかりでは都合が悪い。そしてこの物語は、スターリンによる粛清を隠蔽し、“同胞”の東ドイツホロコーストから免責にするのにも都合がよかった。

 だが冷戦が終わると、多くの歴史研究者がモスクワ国立中央特別文書館の関係資料を自由に利用できるようになった。そこにはガス室や焼却施設の作業指示書、補給要請書、就業記録、技術指図書などの報告書が含まれており、シャワー本体が水道管に接続されていない部屋にガス密閉ドアが取り付けられていたり、親衛隊(SS)の監督官や民間労働者などが報告書や日記に「ガス室」と記載していることなど(本来は「死体置場」の隠語が使われた)、決定的な証拠が多く見つかっている。新たに発見された証拠は収容所からの生存者(サバイバー)の証言や従来の研究とも一致しており、もはや異論を差しはさむ余地はない(芝健介『ホロコースト』〈中公新書〉、ティル・バスティアン『アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘〉』〈白水Uブックス〉も参照)。

大きなマーケットがあることに気づいたことで主張が過激化

大きなマーケットがあることに気づいたことで主張が過激化

 リップシュタットによると、最初期の否定論者はポール・ラシニエというフランス人で、早くも1948年に『一線を越えて』という本で、「収容所からのサバイバーの証言は信用できない」と書いた。なぜこのようにいえるかというと、ラシニエ自身が収容所を体験していたからだ。

 16歳共産党員になり、その後離党して社会主義政党に入っていたラシニエは、戦争が始まるとレジスタンス運動に加わり、逮捕されブーヘンヴァルト強制収容所に送られた。解放とともにフランスへ戻り、社会党から立候補して1年だけ議員生活を送ったのち、著作活動に入った。著書の多くはナチス擁護論で、「残虐行為は大きな誇張であり、その罪をナチスに着せるのは不公平」という主旨のものだという。

 この当時は(労働を目的とした)強制収容所と、(抹殺を目的とした)絶滅収容所の区別はついておらず、ラシニエが送られたドイツ国内(ヴァイマール近郊)にあるブーヘンヴァルト強制収容所にガス室はなかった。だがブーヘンヴァルト収容所も環境は劣悪で、総計23万3800人の収容者のうち5万5000人が飢えや病気のために死亡したとされている。そんな体験をしたからこそ、アウシュヴィッツサバイバーの証言が「嘘」としか思えなかったのかもしれない。

 レジスタンスの闘士であり、強制収容所の生還者で、戦後は国会議員にもなったラシニエの主張は徐々に大きな影響力をもつようになり、やがて「ホロコースト否定説の父」と呼ばれるようになる。1960年代にはアメリカのホロコースト否認派と交友をもつようになり、77年に主要著作を1冊にまとめた『ジェノサイド神話をあばく』がアメリカで出版されている(ラシニエ本人は67年没)。

 ラシニエは、「生き残りの証言は誇張」であり、「収容所内で残虐行為をやったのはSSではなく、運営を任せられた収容者」だったと主張した。「数字に関して、目撃者と称する連中は、とうていあり得ぬことを言ったり書いたりしている。殺害手段の道具についても然りである」としてガスによる殺害に疑問を呈し、後年はガス室の存在そのものを完全に否定するようになった。

 ここにはすでにホロコースト否定論の要素が出そろっているが、ラシニエの主張がすべて間違っているというわけではない。当初、「アウシュヴィッツでは400万人のユダヤ人がガス殺された」といわれていたが、これは明らかに過大で、いまでは約120万人に訂正されている。生存者のなかには、ありもしないことを述べたてた者もいただろうし、収容所の極限状況のなかでは同房の者たちが弱い者を搾取して生き延びようとしたことは、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)やプリーモ・レーヴィの『これが人間か』(朝日選書)などにも書かれている。

 リップシュタットは、ホロコースト否定の背景には反ユダヤ主義があるとしており、たしかにそうかもしれないが、たんなる正義感(私は収容所を体験したが、ユダヤ人の生存者が語っているのはウソばかりだ)からでも、ラシニエの否定説は生まれるのではないか。その後、主張が過激化していったのは、著述家として生きていくことに決めたラシニエが、そこに大きなマーケットがあることに気がついたからだろう。ホロコーストを否定すると、ヨーロッパだけでなくアメリカからも、熱烈なファンが現われるのだから。

 当たり前の話だが、著述業のビジネスは読者がいないと成立しない。本が売れるということは、たんに収入が増えるだけでなく、著者にとっては自己実現でもある。フランス人のラシニエやイギリス人のアーヴィングがホロコースト否定へと過激化していったのは、これで(ある程度)説明できるのではないだろうか。

 読者の期待にこたえようとするなかで、ホロコーストの嘘を暴く作業は、必然的に反ユダヤ主義へと落ち込んでいく。ラシニエはやがて、「ユダヤ人は不誠実であり、彼らが公式、非公式に所属するユダヤ系組織も、いかがわしい。その裏にあるのはユダヤの伝統的な悪であり、金銭欲が支配している」と主張するようになった。

アメリカの「第一次大戦修正主義」とは?

 第二次世界大戦後のフランスホロコースト否定論が元レジスタンスの強制収容所体験から生まれたとすれば、アメリカでは第一次世界大戦の開戦の経緯をめぐるまっとうな歴史論争がホロコースト否定へとつながっていく。

 1919年1月に開会されたパリ講和会議では、第一次世界大戦の戦争責任は敗戦国であるドイツオーストリアハンガリー帝国にあるとして、巨額の賠償や帝国の解体が課せられた。だが早くも1920年に、アメリカの歴史家シドニー・フェイがこれ異を唱え、大戦後に公開された資料を駆使して、アメリカで通説になっていたドイツ主戦論とは反対に、「ドイツに開戦の意志はなかった」と主張した。「大戦前夜、平和のための努力を最後まで放棄しなかったのは、ヨーロッパの指導者のなかではドイツの政治家であり、すべての選択肢がなくなってはじめて、軍の動員を開始した」というのだ。

 これがアメリカの「第一次大戦修正主義」で、その先頭に立ったのが新進気鋭の歴史家ハリーバーンズだった。バーンズらはドイツを免罪しただけでなく、アメリカを戦争に引きずりこむために謀略を使ったとして英仏を断罪したが、これは荒唐無稽な批判ではなかった。

 実際に、イギリス非戦闘員に対するドイツの残虐行為なるものをでっちあげてさかんに宣伝した。ドイツ人が毒ガスを使って非戦闘員を虐殺しているとか、幼児を射撃練習の的にしているとか、ベルギー人女性の手足を切断して遊んでいるというつくり話がアメリカで大きく報じられ、国民感情を煽った(この宣伝があまりに成功したため、アメリカに宣伝産業が生まれたという)。

 20年後、ナチス・ドイツがガスでユダヤ人を殺しているという話がメディアに報じられたとき、アメリカ国民が容易に信じなかった理由のひとつは、第一次大戦中の残虐行為のでっちあげの記憶が残っていたからだとリップシュタットはいう。

 第一次世界大戦歴史修正主義がアメリカで大きな成功を収めたのは、それが史料にもとづくまっとうな歴史論争だったからだが、それ以上に「修正主義者」がウッドロウウィルソン大統領を批判したことが大きかった。ウィルソン民主党出身の大統領だが、当時のアメリカは現在のように保守とリベラルで分断されていたのではなく、孤立派(モンロー主義)と国際派が対立していた。孤立派は、アメリカがヨーロッパの戦争に巻き込まれたのは大失策で、巨額の戦費と多数の死傷者の代償として得るものはなにもなかったと主張した。そんな彼らにとって、第一次世界大戦は英仏の「陰謀」で、それをウィルソンが利用してアメリカ国民をだましたのだという「修正主義」は、自分たちの思いを見事に代弁してくれたのだ。

 この構図が第二次世界大戦にも引き継がれたことで、アメリカ型のホロコースト否認が誕生したのだとリップシュタットは分析する。

アメリカのホロコースト否認は、孤立派=反共主義者によるルーズベルト批判と
ドイツ系アメリカ人の民族主義が共鳴してうまれた

 多大の犠牲を出しながらも第二次世界大戦が連合国の勝利に終わったあと、バーンズなどアメリカの「修正主義者」は、これは第一次世界大戦の完全な焼き直しだと考えた。なぜなら、英米仏とドイツが戦争をする構図も、民主党出身のフランクリン・ルーズベルトが孤立派の反対を押し切って参戦したのも、すべて同じ出来事を再現しているだけだから。

 しかしそうなると、開戦責任がナチス・ドイツヒトラーにあるのでは辻褄が合わない。ナチス絶対悪という通説は修正されなくてはならないし、残虐行為にしても、「ドレスデンの空襲で連合国は同じことをやった」と相対化されなくてはならない。これはまさしく、リップシュタットを訴えたアーヴィングの歴史観そのものだ。

 ナチス絶対悪でないならば、ホロコーストもきわめて不都合になる。それは戦時下における不幸な出来事だったとしても、特定の民族を絶滅させようとして何百万人も殺戮する途方もないものであってはならないのだ。こうして「修正主義者」にとって、アウシュヴィッツは日系アメリカ人の強制収容と同じものになる。

 より興味深いのはアメリカが参戦した理由で、修正主義者は、第一次世界大戦では、民主党ウィルソン大統領イギリスの宣伝(でっちあげ)を利用してアメリカ国民を戦争に引きずり込んだと考えた。だとしたら第二次世界大戦でも、同じ民主党ルーズベルト大統領が同じ手を使わないはずはない。

 このようにして、「ルーズベルト真珠湾攻撃を知っていた」という謀略説が登場する。日本にもこうした主張をするひとがたくさんいるが、アメリカでは戦後すぐに『シカゴ・トリビューン』紙が「日本の攻撃を知っていながら放置したことで数千人のアメリカ兵の生命を犠牲にした」とルーズベルトを批判し、ジャーナリスト、平和主義者、孤立派の政治家や評論家などがこれに同調した。――ちなみに近年のアメリカの歴史学では、この「ルーズベルト謀略説」はさまざまな資料から否定されている(クレイグ・ネルソンパール・ハーバー』白水社)。

 アメリカの孤立派は保守主義者でもあり、彼らにとっての最大の敵は共産主義だった。ルーズベルトが許しがたいのは、アメリカを無用な戦争に引きずり込んだだけでなく、第二次世界大戦共産主義者を利することになったからだ。戦前は、中央ヨーロッパ東ヨーロッパは中立地帯だったが、いまやそこはソ連の支配下に収まっている。「アメリカは戦争に勝利し、リベラルデモクラシーを守った」などというのは大嘘で、現実には共産主義に敗北したのだ……。

 リップシュタットによれば、アメリカに特異なホロコースト否認は、孤立派=反共主義者によるルーズベルト批判と、ドイツ系アメリカ人の民族主義が共鳴して生まれたものだ。どちらの側にとっても、「ホロコーストは極端に誇張されており、ガス室はなかった」ほうが都合がよかったのだから。

 その後、アメリカのホロコースト否認派はIHR(The Institute for Historical Review/歴史見直し協会)を中心に極右団体を集結させ、過激な反ユダヤ主義を唱えるようになる。第一次世界大戦歴史修正主義者で、攻撃的なホロコースト否認論者に転身した歴史学者のハリーバーンズをはじめとして、イギリス人のデイヴィッド・アーヴィング(歴史家)、フランス人のロベール・フォーリンソン(リヨン大学元文学部教授)、ドイツ人のエルンスト・ツンデル(出版業者)、アウシュヴィツのガス室を「検証」したフレッド・ロイヒター(アメリカの刑務所に処刑施設を販売する業者だが、化学の専門教育はまったく受けていなかった)など著名なホロコースト否認論者はすべてIHRと関係している。もちろん、これが商業主義(確実なマーケット)と結びついていることはいうまでもない。

 否認派のより詳しい系譜はリップシュタットの『ホロコーストの真実』を読んでほしいが、私の感想は、「西欧における反ユダヤ主義には数千年の歴史があり、私たち日本人にはうまく想像できない」というものだ。もっとも、外国人には同じように、日本の書店になぜこれほど「嫌韓」「反中」本が溢れるのかも理解しがたいかもしれないが。

日本でも一世を風靡したポストモダンが拍車をかけた

日本でも一世を風靡したポストモダンが拍車をかけた

 リップシュタットは、ホロコースト否認の背景に「1960年代後半に出現した風潮」があるという。「その頃、さまざまな学者が、原典(テキスト)は固定した意味を持たない、と主張しはじめた。つまり、著者の意図ではなく、読む人の解釈が意味を決めるという」

 ここからわかるようにリップシュタットは、日本でも文系アカデミズムで一世を風靡したポストモダンについて述べている。「すべての概念システムはほかと同じ傾向を有する」なら、「ホロコーストは起きた」という概念と同様に、「ホロコーストはなかった」という概念にも耳を傾けるべきなにものかがあることになる。もちろん、だからといってポストモダンの方法論をすべてを否定すべきだとはならないが、「歴史修正主義」とは歴史の「脱構築」でもある。こうしてパンドラの箱が開けられたのではないだろか。

「非構造主義(註:ポストモダン哲学)は、経験は相対的なものであり、確固たる不同なものは何もないと論じるがゆえに、歴史事象の意味を疑問視することに対し、これを寛大に見る雰囲気をつくりだし、この懐疑的アプローチに“枠”があると主張するのは、難しくなった」というリップシュタットの告発は、日本の文系アカデミズムにも向けられている。

 アメリカでは、文化相対主義のもと、学問分野における白人の優越を批判し、「ヨーロッパ文明の形成に果たしたアフリカの役割があまりに無視されてきた」と主張する一派がいる。これはもちろんそのとおりなのだが、あるアフロ・アメリカ学教授は「黒人は太陽の民、白人は氷の民」とする説を唱え、「暖かく共同的で、希望にみちあふれた事柄はすべて前者に由来し、抑圧的で冷たく硬直したものは後者からくる」とする。こうしたアメリカの大学(知的コミュニティ)の雰囲気をリップシュタットは、「学者たちは、この種の風変わりな見方を、かつては一笑に付したであろうが、今では何だか信頼性のある説として扱わざるを得ない気持ちに襲われている」と慨嘆している。

 最後にもう一点。リップシュタットは「ホロコースト否認=反ユダヤ主義」としているが、これですべてが説明できるわけではない。なぜなら、代表的な「ホロコースト否認論者」としてノーム・チョムスキーを挙げているものの、生成文法で知られるこの著名な言語学者はユダヤ人だからだ。「極左」であるチョムスキーがフォーリソンなどホロコースト否定論者の「表現の自由」を擁護する背景にはパレスチナ問題があり、リップシュタットは(おそらく)意図的にこのことに言及していない。だがこのさらにやっかいな問題については、別の機会にあらためて論じてみたい。 

橘 玲たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論-あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)など。最新刊は、『朝日ぎらいよりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書) 。

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アウシュヴィッツ(ビルケナウ)強制収容所 (Photo:ⒸAlt Invest Com)