(黒井 文太郎:軍事ジャーナリスト)

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 シリアで3年4カ月拘束されて帰国した安田純平さんに対するバッシング現象が起きている。考え方は人それぞれだが、筆者自身は、危険地報道に限らず、記者が取材の手法の是非、あるいは書いた内容などで読者・視聴者から厳しい批判を受けるのは当然だと思っているし、記者という職業についても、とくに特別なものとも思っていない。なので、今回の安田さんの件に関しても、行動の是非が問われても仕方ないとは思う。

 しかし、今の状況は、そうした正当な「批判」を越えた、個人攻撃の域に達している。こうした「誘拐された記者」を個人攻撃でバッシングするというのは、世界でも日本独特の現象だ。諸外国では基本的に「報道とはそういうもの」と認識されており、取材手法への批判はあっても、誘拐被害者をバッシングするという発想そのものが存在しない。そこは日本独特の風潮であり、そんな人々が熱中するパワーワードが「自己責任」である。

 筆者はこの件に関して、何度かテレビで発言する機会があったが、中には、司会者や出演者が問題をよく把握していないまま、感情的に個人攻撃していた番組もあった。彼らには紛争地取材やシリアの状況について知識はなく、安田さん個人についても知らないので、どこかから「安田さんの悪いイメージ」情報を得て、そうした個人バッシングを行ったことになる。それはつまり、彼らを個人攻撃バッシングに走らせた情報環境が、日本にはあるということにほかならない。

 こうした個人攻撃バッシングが日本でだけ起きるというのは、平たく言えば日本独特の「ムラ社会」の問題なのだが、こうしたバッシングが展開される場面を内側からリアルタイムで観察していると、その異常な「流れ」が生まれてくる仕組みが見えてくる。

日本で人質がバッシングされるようになった経緯

 世界中でなぜ日本でだけ、犯罪被害者である記者個人へのバッシングがこれほど吹き荒れるのか? その仕組みは、実は比較的単純なものだ。

 まず日本独特の事情としては、諸外国と違い、「人質をバッシングする」ことが一般化してきた経緯がある。

 実は日本は、もとからこうした批判が活発だったわけではなかった。これは報道の話ではないが、筆者の知るかぎり、人質をバッシングする最初の契機となった事件は、1991年に大学生サークルパキスタンで川下り冒険中に山賊集団「ダコイト」に誘拐された事件だった。有名大学だったこともあり、「無謀」との文脈で非難されたが、不確かな情報からの誤解に基づく非難も多かったようだ。

 報道記者についてみれば、その取材手法に対する批判は常にあったが、海外で記者が人質となったケースでのバッシングはなかった。85年に日本人フリーカメラマンフィリピンイスラムゲリラに1年2カ月にわたって監禁され、身代金を要求されるという事件があったが、バッシングは一切なかった。それどころか、民間の右翼活動家らが救出運動に立ち上がり、実際に救出に成功して拍手喝采を受けている。

 人質案件ではなく、記者の取材手法への批判ということでみれば、強い個人バッシングまで至った例としては、96年から97年にかけての、ペルー日本大使公邸占拠事件での公邸内取材がある。とくに97年1月のテレビ記者による突入取材は大きな批判を呼んだ。しかし、そのバッシング論調の経緯をみると、世論から批判の声が出てきたというよりも、まずはスクープを逃したメディア他社が主導して、批判が喚起される流れだった。この「抜け駆け」したメディアに対してライバル社が猛烈に反発・攻撃するというのも、実は世界でも日本のメディア界特有の現象でもある。

政治的な攻撃材料が「普通の論調」に

 他方、現在のような、一般的な世論の中から、その一部として個人攻撃バッシングが出て来るという流れは、比較的最近の傾向である。

 決定的だったのが、2004年のイラク人質事件だろう。日本人3人を人質にした犯人グループが、日本政府に対し「自衛隊イラクからの撤退」を要求したことで、政治化した。単純な「日本人が犯罪者に拉致された」事案ではなく、政治的な主張をする人々の間で、「政府は同胞を助けろ(つまり自衛隊撤収せよ)」という主張と「捕まったのは自己責任だ(つまり自衛隊は撤収するな)」という主張がぶつかったのである。

 そして、「捕まったのは自己責任だ(つまり自衛隊は撤収するな)」派は、敵対論調と論戦するために、当の人質への激しいバッシングを開始する。人質という犯罪被害者に対する★政治的な★バッシングが、日本ムラ社会で「普通の論調」になったのは、この時だ。これこそが日本の特殊事情である。

 安田さんは不運にもちょうどその攻防戦の最中に数日間、現地取材中に地元自警団に身元確認のために拘束されることがあった。そのため、この対立の構図に図らずも身を置くことになってしまった。つまり、「捕まったのは自己責任だ(つまり自衛隊は撤収するな)」派の政治運動の側から、一方的に「敵」に認定されたのである。

バッシング論調に偏向しているテレビ番組

 安田さん本人は政治的な主張を声高に叫ぶタイプの記者ではなく、あくまで自分が現地で取材した人々の声を伝えるというオーソドックスな手法にこだわる新聞記者出身らしいスタンスの記者である。だが、いったん彼を敵認定した側は、その後もネット上を主舞台に、フェイク情報をちりばめたネガティブ印象操作を続けた。

 今回、安田さん本人を知らず、紛争報道やシリア事情も知らない人々の一部に、安田さん個人に悪いイメージがあるとすれば、もとはこのネット上での誘導情報だろう。

 むろんネットにはさまざまな情報が飛び交っている。安田さんに関しても、攻撃する論調もあれば、擁護する論調、評価する論調もある。しかしネットのユーザーは概して、多様な見方を得るよりも、一部の見方に偏向する。バッシング論調をネット上で目にする人は、どこまでもバッシング論調を目にし、バッシング論調が当たり前と感じるようになる。今回の件で筆者もスタジオ出演した某番組で、司会者がバッシング論調を「こちらのほうが国民の声だ」と断言したが、それはつまり、この人がバッシング論調だけに偏向して接していることを表している。

 問題は、こうした人々が接しているバッシング論調を誘導するネット情報に、前述したようにフェイク情報をちりばめたネガティブ印象操作が多く存在することだ。

 例えば、「彼は何度も人質になっているダメ記者だ」という話がネット上に拡散している。かなり広範囲に流れているのは「過去に4回も拉致されていて、今回は5回目だ」という偽情報だ。これは悪質なデマで、取材中に現地の軍や警察の尋問を受けたことも意図的にカウントしている。紛争地の取材であれば通常のことで、筆者も他の記者も戦地取材経験者ならほぼ全員、それこそ数えきれないほど経験している。通常の取材活動の一経緯であり、拉致などというものではない。

 彼が武装勢力に拘束されたのは、前述した2004年の1回だけだ。それも前述したように、危険をともなう拘束ではない。テロ応酬の状況下にあった地元の自警団が、彼ら自身のセキュリティのために、見知らぬ外国人である安田さんたちの身元確認で拘束しただけである。人質などというものではなく、自警団の側も身元確認後に解放している。

意図的に拡散されている悪意あるフェイク情報

 ネット上には、安田さんについてこうした意図的に誤解を誘導する情報が拡散している。他にも、「彼は能力の低い単なる自称ジャーナリストだ」との情報も拡散している。そこから「功名心で無謀な行動をしたのだろう」との憶測を語る声に繋げられている。

 しかし、これは同業者として彼の仕事を知る立場からすると、悪質なデマ以外の何物でもない。彼はイラク駐留米軍に長期密着した優れたルポを著しているし、シリアでも反体制派ゲリラ部隊に従軍し、それこそ世界レベルのドキュメンタリーを作っている。日本の中東報道ジャーナリストではトップクラスの実績と言っていい。

 では、なぜそうしたことが知られずに、誤解を生む「実績のない“自称”ジャーナリスト」説がネット上に拡散しているのか? それは、意図的な悪意の拡散があるからだ。

 また、安田さんの悪印象を最も広めたのは、彼の過去のツイートだが、それもその投稿がなされたタイミングの背景を故意に無視し、攻撃的な文言だけが拡散されている。

 たしかに彼の文言は、ツイッターということで挑発的な文章になっているが、内容自体はきわめて妥当なものだ。たとえば「チキン国家」という言葉も、その前段には、とある町がIS(イスラム国)から奪還され、そこは危険度がかなり低下して世界中のメディアや民間のボランティアまでが集結する状況なのに、単純にシリアというだけで日本政府が日本人記者の取材を妨害していることを指摘している。その指摘はまさにその通りであり、シリア情勢を把握している者ならおそらくほとんどが、その日本政府の対応を疑問視するだろう。あとは書き方の問題だけだ(ただし筆者は、日本政府が取材を妨害するのは、そうしないと自分たちが批判されるからで、日本政府の担当者自身が率先して動いたわけでもあるまいと見ているが)。

 他にも何本か、日本政府の対応を批判するツイートがあるが、それも、彼の知人が旅券返納命令を受けたことへの抗議である。当時、それについては彼の他にも、多くの記者が抗議の意を表しており、書き方が挑発的か否かの違いはあるものの、内容としてはよくある抗議にすぎない。しかし、その攻撃的な文言の書き込みだけを抜き出せば、いかにも態度の悪い人格像が印象づけられることになる。

 こうしたツイートについても、ネットでのネガティブ攻撃論調はその言動への批判に留まらず、前述したような彼本人の人格への攻撃にまで繋げている。

 ちなみに、今回の安田さんの行動への評価および責任のあり方については、彼の知人の間でもさまざまな意見があるが、人格面でバッシングするような人は筆者の知るところ1人もいない。人格面で個人攻撃している人は例外なく、彼を直接知らない人たちだ。

 いずれにせよ、こうしたネガティブなイメージのネット上の情報拡散が意図的に行われた結果、直接は本人を知らず、紛争地取材やシリアの状況もまったく知らない一部の人々の間では、安田さんの人間性に対する悪印象が強烈に刷り込まれる。そこにバッシング現象を批判する論調への反感などが、ドライブをかけるという循環が生まれる。そうした流れで、冷静な批判を飛び越えた、感情的なバッシングの群集心理が作られていく。その過程で「カタールが3億円の身代金を支払った」「テロリストの資金になる」「日本の外交が歪められる」などという専門的視点からは根拠なき怪情報でしかない話も、積極的に拡散されてバッシングを下支えする。

日本における「メディア」の特殊性

 このようにネット上で世論誘導を意図し、偏向した情報を拡散する行為を「トロール」と呼ぶが、トロールの影響力の拡大は世界的な傾向で、日本だけの問題ではない。アメリカ大統領選ではロシアが組織的に仕掛けて、トランプ政権誕生を後押しするなど、大きな政治問題化していることは周知のとおりだ。こうして誘導されたネット世論は、もはや現実社会に大きな影響を与えており、特に社会を対立構造で分断させる多大な効果が実証されている。

 しかし、日本が他の国とは違うもう1つの特殊事情は、こうしたネット発で伝播する論調の影響を受ける人々の中の一部の人が、マスメディア内で大きな発言力を持っていることだ。

 テレビ番組でニュースを扱う芸能人が典型例だが、他にも日本のドメスティックな分野を専門とする政治家や言論人、報道人も含まれる。中には国際政治の専門家もいたようだが、そうした人を含め、紛争報道やシリア事情ではみんな「素人さん」だ。これは何も彼らが劣っているということではなく、紛争報道やシリア事情という分野が日本ではきわめてレアな特殊分野であり、ほとんどのメディア言論人にとって馴染みのない分野だということである。

 かくして発言力のある人がネット情報を元に「素人の感想」としてメディア内でバッシング発言を行い、そうした言説がネットのトロールと相乗効果を発揮して、バッシングが拡大していく。それが今回、起きている異常なバッシング騒動の基本的な構図である。

 こうした流れで、マスメディアにおいてさえも日本は諸外国と大きく様相を異にしており、議論の軸が、安田さん個人を批判するか擁護するかの2択になってしまっている。むろん今回の安田さんの行動の検証は必要だと思うが、危険地報道のあり方、意義など、冷静に議論すべきことはある。

 筆者としては、今回の件の舞台となったシリアについて、特に現在進行形の独裁政権による凄まじい大虐殺の現状について、もっと関心を持っていただきたいと切に願っている。そうした議論を、ネットのトロールが震源となっているムード先行のバッシングが、阻害してしまっているのは残念なことだ。

(筆者からのお知らせ) 今回の安田純平さんの「事件」について、11月12日BS11の「インサイドOUT 安田純平さん単独取材 拘束・解放の裏側」(キャスターは岩田公雄氏)という番組に高橋和夫氏(国際政治学者/放送大学名誉教授)とともに出演して議論した。バッシング騒動の捉え方、紛争地報道について、さらには今のシリア情勢について、ネットのトロールとは対極の、専門的な視点からの有意義な議論ができたと感じている。同局で11月21日まで無料アーカイブ配信されているので、興味のある方はぜひご覧になっていただきたい。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  安田純平氏のシリア取材計画はどこが失敗だったのか

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