■ 祈!2025年大阪万博誘致のトークライブ開催

【画像】ハルカス300で開催されたファッションショーの模様を披露する白井館長

11月11日、大阪・枚方市のHIRAKATA T-SITE 蔦屋書店 4F カフェスペースで、「大阪万博 1970〜2025」展記念トークライブ2連発!!が開催された。

これは「大阪万博1970~2025」展の最終日に行われたもので、11月23日(祝)に決定する2025万博の開催地が大阪になるようにとの願いが込められている。万博に熱い思いと念を抱いた人たちが集まった、濃くてディープなトークライブである。

第一部は1970年万博を知っている人たちのトーク。登場するのは太陽の塔のフィギュアや万博のパビリオンなどを食玩にしたタイムスリップグリコおまけ、さらには先ごろ公開された太陽の塔の地底の太陽の原形を作ったことでも知られる海洋堂の「センム」こと宮脇修一社長(以下宮脇センム)、私財を投じて万博グッズを蒐集し、万博ミュージアムまで作ってしまった白井達郎館長(以下白井館長)。

そして大阪府日本博覧会記念公園運営審議会の委員で、太陽の塔ウォーカーの編集にも携わった万博の申し子、株式会社KADOKAWAの玉置泰紀エグゼクティブ・プロデューサー(以下玉置EP)がファシリテーターを務める。

1970年大阪万博が開催されたころ宮脇センムは中学生。自宅の門真から万博会場まで自転車で通い、33回も万博を訪れた。高校生だった白井館長は池田の自宅から、こちらも自転車で30回通い、夏休みには会場でアルバイトもしたという。

この2人に勝てる人はいないだろうと予想していたが、会場にはなんと90回も万博を訪れたという猛者が。登壇者も、聴衆もディープな人たちが集まったトークライブだ。

宮脇センムが「ひたすらありとあらゆる形で太陽の塔を作った。自分でほしいからとタイムスリップグリコも作った。いまはガチャの企画をリアルに考えているところ」というと、白井館長が万博当時のホステス(いまでいうコンパニオン)のユニフォームのファッションショーの写真を披露。

これは10月にあべのハルカスハルカス300で行われた「天空のプレイバック1970~あの時、懐かし博覧会~」の一環として実施されたもので、すべて万博当時に使われていたユニフォームだ。「ホステスのユニフォームは40着ぐらい集めたけど、最近はあまり集まっていない。もう48年も経過して劣化し、サントリー館のユニフォームは白いエナメルが割れてきたりしている」という。

白井館長が所有する万博グッズは1万点以上。倉庫を2つ借りているそうで「減らしたいけど、それ以上に増えていく」のだという。「白井さんの方が常軌を逸している」と玉置EP。

■ 「いちばんお気に入りはどこのホステスさん?」

「白井さんのいちばんお気に入りはどこのホステスさん?」と、宮脇センムのちょっと誤解をまねきそうな発言には会場も笑いに包まれた。もちろん、これはどこのユニフォームが気に入っているかという質問だ。「サントリー館ですね」と白井館長。現在もコーポレートカラーに使われているブルーがさわやかな色合だ。ユニフォームについているタグはほとんどが三越や近鉄などの百貨店。DCブランドが一般的になる以前、そうしたユニフォーム百貨店が作るのが普通だった。

海洋堂は、先ごろ公開された太陽の塔の「地底の太陽」を制作した造形集団だ。「これを作ったのはうちの木下隆志という、ウルトラマンを作るのが一番うまい男です。岡本太郎記念館の平野暁臣さんが絶大な信頼を置いていて、品のある造形を作ります。彼がフィギュアから地底の太陽を作りました。シンゴジラは仏像などの造形に定評のある竹谷隆之が作りました。フィギュアのリアリティ、模型の力でシンゴジラや地底の太陽が作られた。これは我々の大勝利です」と宮脇センムは誇らしげ。

それにしても気になるのは、もともと太陽の塔にあった「地底の太陽」の行方であるが、これは兵庫県に譲渡された後、王子公園の隣にあり、5代目の管理者まではその存在が確認されている。しかしそれ以降、その行方は杳(よう)として知れない。白井館長によると「建物を壊す時に一緒に取り壊されたのでは。ちょうど、同じ時期にポートアイランドの埋め立て工事が行われていたので、ここを掘ったら破片でも出てくるかも」とのことだ。

ここからは18年3月に公開された太陽の塔が話題になる。白井館長が「いまの太陽の塔でいいのは腕。なかの構造が見えて色もきれい」。そこで宮脇センムが「グッズは何が欲しい?グッズを作るなら、思い出になるものを作りたい」とグッズに言及すると、玉置EPが「実はスクープがある」と、白井館長に話を振った。

■ スクープ!太陽の塔の顔が大量に

「30年以上無人だったお屋敷があったんですが、壁が崩れまして、その屋敷に太陽の塔の顔がかなりの数残っていたので、全部買い取ってきました。今日はそれを販売しています」との声に、会場もざわざわ。きれいな状態の信楽焼の太陽の塔の顔が大量に発見された。実は、この信楽焼は実物の太陽の塔の背面の「黒い顔」に使われている信楽焼のタイルを作った会社が焼いたもの。宮脇センムもこの大発見に「よくできている。こみ上げてくるものがある」と感無量の面持ちだ。

■ 「2025年万博を大阪へ!」みんなで念を送ろう

そして話題は2025年万博に。11月23日に首尾よく決定すれば3回目の一般博覧会となる。今回のライバルはロシアのエカテリンブルグと、アゼルバイジャンのバクー。ミラノをはじめ各国の万国博覧会を訪れている白井館長は「ロシアは5年ごとに立候補している。厳しい戦いになりそう。でも、あかんかったらまた2030年に立候補すればいいんですよ」。

玉置EPの「どんな万博になってほしいですか」という問いかけには「どのように見せるのか、見せ方にワクワク感が欲しいですね。地球の裏側でも25万博をリアルタイムで見ることができるとか新しい技術を駆使したもので」と白井館長。宮脇センムは「我々オタクは40年ぐらいさげすまれてきました。でも、浮世絵とか、日本の工芸とかはパリ万博で初めて歴史を飾りました。頭のおかしい(いい意味で)、一線を越えたとんでもないものをしてほしいですね。日本の強みを推した、日本的なるものですね」と、熱弁をふるう。「あと2年で大阪万博50周年。その時には何か大きなイベントをしたい」と白井館長。玉置EPは「その時には2025年万博が大阪に決まってくれていれば。ぜひ、念を送りたい」と11月23日への期待をにじませ、第1部を締めくくった。

■ 70年万博を知らないクリエイター達が考える、2025年万博

第二部は70年万博を知らない、若いクリエイター達が主役。大阪のクリエイティブ集団、株式会社人間の山根シボルさん、花岡洋一さん、BYTHREE inc.の吉田貴紀さん、栗原里菜さんが登壇し、第1部同様、玉置EPがファシリテーターとしてトークを展開した。

BYTHREEE inc.は広告やグラフィックデザイン、企業のCIやVI,WEB制作、編集企画など幅広く手掛ける。最近では関西の鉄道事業者20社局による共同マナーキャンペーンのポスターを制作。迷惑なリュックサックの持ち方について、プロレス技になぞらえ、ユーモアたっぷりに啓発している。株式会社人間は鼻毛通知代理サービス チョロリをはじめ「面白くて 変なことを 考えている」をモットーにキャンペーンやグラフィック、企業広告、ブランディングなど幅広く手掛ける。この2社が手を携え2025年の万博がわかるフリーペーパー「はじめて万博」最終号を創刊した。創刊したのに、最終号というのは奇異だが「創刊したはいいものの、ぎりぎりまでぼーっとしていたせいで『最終号』になってしまいました」そうだ。A3版で全24ページという超豪華なフリーペーパーは、広告一切なし。編集、デザイン、写真まですべて大阪の有志のクリエイターが協力して作り上げた。大阪万博と05年愛・地球博について、当時を知る人へのインタビュー集や、小学生が素朴な疑問を2025年異本万国博覧会誘致委員会事務局の事務総長にぶつけるページ、勝手に作ったシンボルマーク、妄想おみやげ特集などA3の紙面が狭く見えるほど盛りだくさんな内容。

■ 会社が1台買えるぐらいのフリーペーパー。全部自腹だ

この力作を見た玉置EPは「いったいどれぐらいかかったの?」と率直な質問。驚くのはBYTHREEE inc.の吉田さんの回答だ。「そこそこの外車が1台買えるぐらい。その意気込みを感じてほしい」。人間の山根さんも「自腹という所に意気込みを感じてほしい。気合を入れて作った」という。実は、カメラマンもメイクもノーギャラで仕事をしたそう。「これで大阪のクリエイティブを知ってほしい。未来のために、今後も楽しくやっていけたら」と吉田さん。

玉置EPからの「1964年東京オリンピックも、70年の大阪万博も反対する人がいた。今回はどうだったのか」という質問に山根さんは「反対も賛成もなく、無関心が多かった。反対派がないのも怖い」と本音をにじませ、「このフリーペーパーを作るにあたって万博をおもしろくしたい」という。「当たり障りのない万博であってはならない。それぐらいインパクトを残すものを発信したい。無関心な人を極力なくしたいという思いがある」と吉田さん。人間の花岡さんは「いまの誘致活動の伝え方もよくない。このままだと無関心のひとはそのままになってしまう。誘致できたら巻き込んで行きたい」と意気込む。

■ 賛成でも反対でもいい。無関心だけはNGだ

玉置EPが「64年の東京オリンピック新幹線高速道路などのインフラが整備された。70年万博ではそこからアンアンなどの雑誌ビジネスや広告が広がり、国鉄のディスカバージャパンキャンペーンが展開された。これはインフラが整備されたから行われたこと。なんとかオリンピックとともにこれをとっかかりにして、べらぼうなものをやりたい」と水を向けると「太陽の塔見たいにとんがったもので、長い時間かけて愛されるものもできる。こういう活動をしていたら、そういう人も寄ってくるのではないか」と吉田さん。「こういう時に大事なのは玉置さんみたいに地位をもった異端児」と山根さん。玉置EPは「反対でも賛成でもいいけど、無関心だけはだめ。『はじめて万博』が関心を持ってもらうためのツールになれば」と締めくくった。

なお、11月21日(水)~30日(金)には「はじめて万博展」がSTARRY WORKS Inc.の1階ギャラリーで開催される。関西のクリエイター11組による「期待する万博」をテーマにした作品や「はじめて万博メイキング」などを展示する。なお、万博の開催地が他国に決定した場合は、11月25日(日)までの開催となる。この展示が30日まで開かれるよう、残された期間、我々も関心を持って万博誘致活動に注目しよう。

■はじめて万博展

日程:11月21日(水)~30日(金)、開催地が他国に決定した場合は、11月25日(日)まで、時間:11:00~19:00、会場: STARRY WORKS Inc. 1階ギャラリー、住所: 大阪市谷町4-3-7、料金:無料(関西ウォーカー・鳴川和代)

第1部で、登壇者を紹介する玉置泰紀エグゼクティブ・プロデューサー(左)と、登壇者の白井達郎万博ミュージアム館長(中)、宮脇修一海洋堂社長(右)は70年万博を知っている世代