23回目の安部晋三首相とロシアのヴラジーミル・プーチン大統領との会談がシンガポールで行われた。
諸報道で周知の通り、日本側が期待するような結果は今回も得られず、逆に「安倍首相が4島返還の旗を降ろした」「2島返還の際には米軍基地は置かないと約束した」とかでメデイアが賑っている。
2016年12月の長州会談で2島返還の確約すら取れなかったことで、それ以来の日本の世論は日ロ領土交渉にすっかり冷めたかのようだった。
それを見据えてか、久々に日露関係がメディアの一面を飾るような、従来から見ればかなり際どい策を首相は採ったことになる。
もしその報道の通りならば、安倍首相をそのように動かした発端はやはり、9月中旬に行われたヴラジヴォストーク東方経済フォーラム会議場で、プーチン大統領が首相に対して平和条約先行論に言及したことにあるのだろう。
この大統領発言の真意を巡っては、様々な解釈が各専門家によってなされてきた。数多あれど、その中では朝日新聞・社説担当氏の見解(https://digital.asahi.com/articles/DA3S13709605.html?rm=150)が真相に一番近いように見える。
あえてこれに加えれば、プーチン大統領が自ら言う「今、ここで思いついた」とは、昔から露側が出していた平和条約(あるいは善隣友好条約)先行論そのものではなく、その場で口に出すということを指したのではないか。
条約が先行し領土問題はその後で解決、という図式を実績とした当の相手の中国から、習近平・中国国家主席が会議に参加してその場に同席していたのだから。
日本にとっては全く受けられない話であることは自明の理。
それを、何もそんなところでわざわざ言わなくたって、である。習主席がこれをどういう思いで聞いていたのかは分からない。
しかし、その彼をもってしても、このプーチン大統領のいささか不躾なマナーでの提案が、2か月後に日本側の対露領土問題での大幅な譲歩(と見える)案に結びつくとは予想できなかったのではあるまいか。
うがち過ぎを承知で言えば、安倍首相に2島(先行?)返還論に踏み込ませたのは、習主席がいる場でプーチン大統領が話を持ち出したからかもしれない。
安倍政権にとって対露譲歩を行う動機は何か、と考えれば、まずは将来にわたる対中関係を睨んだうえでの対露接近ということになる。
そして、その策への了解を取りつけでも、米国を納得させ得る理由づけは恐らく現状で中国包囲網策しか見当たらない。
しかし、米国もさることながら、中国を出汁に仕立てての2島+αで日本国民を納得させることはもっと至難の業だろう。
国民の7~8割が嫌いだと数十年間ほぼ一貫して変わらぬロシアなのだ。
そのロシアに領土で譲歩するとは、である。これから見れば、反対が5割程度に過ぎない憲法改正の方がよほど簡単な話に見えてしまう。
ある論説は、政府が「国民の心に響くような日露関係の将来像」という戦略を持つべききと論じる(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018111700002.html?page=2&paging=all)。
正論ではある。だが、この論者は今の日本でそれが可能だとでも思っているのだろうか。
それはさて措こう。領土交渉のこの先については、これから専門家の予測で百家争鳴となろうから、それを追っていくこととして、本稿ではその予測に少なからず影響を与える露中関係の、少し気になった一断面に触れておきたい。
プーチン大統領は習主席との会談を、上述の平和条約先行論発言の直前にこなしている。
ロシアと枕を並べて対米関係での重荷を背負ってしまった習主席であるから、当然ながら両者の話は、予見不能の極みが看板にすらなった米国に対してどう共同戦線を組むかに収斂したことだろう。
このプーチン・習会談を伝える露紙の中に意外な記事が1つあった。
西シベリアから天然ガスを中国にパイプラインで送る案(Sila Sibiri-2=「シベリアの力-2」)について、習主席がプーチン大統領の目の前で部下に対し、早く纏めろとの指示を出したというのだ。
(https://www.vedomosti.ru/business/articles/2018/09/13/780729-rossiya)
この「シベリアの力-2」については2年以上前にもこのコラムで触れたが(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46883)、西シベリアから中国西部にガスプロムがパイプラインでガスを供給しようという構想である。
しかし、2008年から何度も交渉を行ったにもかかわらず中国側が乗り気にならず、今に至るまで話が纏まっていない。
この露紙記事が出る2週間前に行ったロシアのエネルギー問題専門家たちへの聞き取りでも、1人を除いて本件の近い将来での実現を肯う向きは皆無だった。
2025年辺りまでのガス需要はまだ不確定要素が多く、仮にそれが伸びたとしてもLNG輸入で満たされるから中国側の本件への関心は高まってはいない――。
これが彼らの唱える否定的な見方の主な理由だった。
確かに、中国のガス需要動向とそれに関わる諸政策への彼らの観察は、2016年中葉までの動きを見るならあながち間違っていたともいえない。
リーマンショック後の自国経済とエネルギーミックスがどうなるのか、どうあるべきなのか、で中国の政策当局は模索を続けていた。
そこへ習政権発足に歩調を合わせた2013年からの新常態という、それまでの高度成長にとっての異変が出現する。
従来の将来予測が見事にご破算の憂き目となる中で、深刻化する環境問題の解決や国内エネルギー市場の自由化という課題への取り組みを、変化する世界のガス市場の中でこなさねばならず、である。
どこからどれだけのガスを、の見通しや計画で簡単には結論が出せないのも当然だっただろう。
だが、それまで鈍化していたガス需要の伸びが再び2016年後半からその数年前までの水準に向けて回復し始めた。続く2017年には、全体の需要もさることながら、特にLNGの輸入が急増する。
2015年の遅い時期に国内ガス価格が引き下げられた効果が翌年後半に顕在化し始め、2017年には政府が環境対策で本気であることを地方政府に示した。
それらが引き金となった石炭からガスへの燃料切り替えがこの需要増の背景にある。
これに2017年から2018年に懸けての冬場にトルクメニスタンからの対中ガス供給量が減ってしまうというハプニングも(http://www.globaltimes.cn/content/1083117.shtml、減少の理由は、生産や輸送での問題、トルクメニスタン自身の需要増、など諸説)加わったから、多くが予想していなかったLNGの爆買いが発生した。
だが、この2016年半ば以降の中国のガス需要動向も、ロシアの専門家たちは一時的な現象と捉え、「シベリアの力-2」を前に進めるような根本的な変化とは見ていなかったようだ。
相変わらず、需要の急増が今後そのまま続く傾向となるかは疑問、が彼らの共通認識だった。
恐らくそれは、今の習近平政権が一本調子で今後も進むとは限らない、という政経全般でのより広い対中イメージに裏打ちされていたのだろう。
それゆえにか、件の露紙記事が出ても「これは中国の対米を意識したパフォーマンスに過ぎない」という反応が彼らから返ってくる。
本件に関わる中国の実務レベルが、「主席の指示は、検討せよ、という意味であって、合意せよ、では必ずしもない」と表向きは慎重な姿勢を崩してはいないこともあって、そう見做さざるを得ないのかもしれない。
しかし、2017年の冬の需要急増度合いが一時的なものであったとしても、中国のガス需要が今後増えていくことは恐らく間違いないし、国内生産でそのすべてを賄いきれないことは初めから中国当局自身が認めている。
他方では、対米関係悪化が短期で済むものでもないという認識が中国内外で広まっている。
LNGの輸出増で今後数年は世界のガス市場をリードする米国への依存を中国は簡単に拡大していけるのか、に疑問符がつく。
政治や外交問題のプロではないエネルギーの専門家たちにとって、米中の政治関係といった専門外の難題が絡む予測での答案を書くのは簡単ではなかろう。
だが、中国のガス需要が増加の一途を今後も辿り、LNG輸入で米国を供給先に含めることへのリスクが高まるなら、細かい収益性の問題より対米関係リスクをより重く見て「シベリアの力-2」に出番を回す、という結論が出てもおかしくはあるまい。
中国がこの件で従来の姿勢を変えたように思わせる習主席の一声も、それだけ米中関係の激変が中国に与えた衝撃が大きかったことを物語っているともいえる。
さて、この話が実現に向かって進むなら、規模(年間300億m3のガス供給)が大きいだけに露中関係の緊密化に寄与することは疑いない。
ガスプロムにとっても長年それを望んできているのだから、同社にとっても意味合いは甚だ大きいものがある。
しかし、である。詳細に目を凝らしていくと、ロシア側のやる気にもかかわらず、中国が「シベリアの力-2」の検討に慎重となる要因は収益性だけではない。
より根深い問題を新たに当のロシアが作ってしまっているという矛盾にも行き当る。
ガスプロムの好調な欧州向けガスの輸出と、急激ともいえるロシアのLNG生産に向かった前のめり感がそれである。
欧米からの経済制裁が解除されないままに、ロシアの対欧関係は安定したものとはおよそ言えない。
しかし、その中にあっても、2017年、2018年と、(トルコを含む)欧州へのガスプロムの輸出量は史上最高記録を塗り替え続けている。
欧州域内のガス生産が減少し、ガスプロムのパイプライン・ガス価格が原油価格下落や輸出先との契約手直しで競争力を増していることが大きい。
この欧州向けのガスは西シベリアで産出され、「シベリアの力-2」で中国に向けたガスも同じ西シベリアからと想定されている。欧州と中国への双方に同じガス生産地帯から、がガスプロムの目標なのだ。
だが、中国から見ると欧州に大寒波到来などで大量需要が発生した際に、中国向けが割を食う恐れはないのか、との懸念が拭い切れない。
それだけ中国には、「しょせんロシアは欧州と結びついた国なのではないか」との思いが強い。
供給の確実性を高めるために中国側は西シベリアのガス田への権益を要求したが、ガスプロムはこれを断っている。中国のこの分野での露内進出を同社が必要以上に恐れたからだろう。
一方のLNGでの動きである。
プーチン大統領は、LNG生産・輸出を事実上国策に格上げする諸命令を関係官庁に下した。極北のヤマール半島でのLNG生産(ヤマールLNG)が開始された1年弱前のことである。
この生産は国営系ガスプロムとは別のノヴァテック社によるものだ。
今年の春にロシアのエネルギー専門家と会った際には、彼らは一様に、第1期だけとはいえ過酷な自然環境の下で予定通りに工事を完了させ生産に漕ぎつけたノヴァテックの「偉業」を讃えていた。
西側の対露制裁と言う重苦しい雰囲気の中で、多少でもそれを忘れさせてくれるようなロシア企業による快挙だったのだ。
プーチン大統領の命を受けてロシアのエネルギー省はLNG戦略策定を行っており、その一端によれば、2035年で米国や豪州、カタールと肩を並べる年産8000万トン以上のLNG一大生産国になるとの皮算用が弾かれている。
その多くを北極圏で年間5000万トン以上の生産をこれから目指すノヴァテックが担うことになる。
同社は当然ながら、今後日本を追い抜いて世界最大のLNG輸入国になる可能性を秘める中国への販売も視野に入れている。
それは、既に生産開始となった北極圏のLNGプロジェクトで中国がその必要資金の過半の出し手となったことや、中国がそのプロジェクトで初めてロシア内のガス生産権益を手にしたことでも明白であろう。
ロシアは中国に対して、パイプライン・ガスとLNGの双方を売り込もうとしている。ここに、中国にとっての選択の余地を生ませてしまう要因が存在することになる。
ロシア内での生産参入を認めないガスプロムと認めるノヴァテックを目の前に並べられたなら、中国が前者との案件を優先させるという図式は必ずしも、ということになりかねない。
「シベリアの力-2」は、国際政治の中で大局的に見るなら実現してもおかしくはないプロジェクトではある。しかし、実務レベルの目で見れば、判断を迫られる問題がまだいくつか々あるということにもなる。
従って、もしこの案件が前に進むなら、阻害要因での妥協に至らせる相応の政治判断が加わった結果とも解されよう。
その意味で露中関係の今後の緊密度を測る一つの重要な物差しになり得るのではなかろうか。
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