南極観測船として広く知られる初代「宗谷」、その名を継ぐ2代目が2018年11月22日、竣工40年を迎えました。海保巡視船の2代目も、実は砕氷船です。

齢40年、2代目「そうや」はいまだ現役

2018年は海上保安庁が創設されて70周年(1948年5月1日創設)の節目の年です。そうしたなか、昨今では尖閣諸島関係や、中国韓国の越境漁船問題、そして北朝鮮の漂流船事案など、海保が対応すべき事案はうなぎ登りに増えています。そこで現在、急ピッチで海保の船艇群の増勢が図られていますが、新造船を増やす一方で、従来の船艇の延命化も図られており、古くなった船も大規模オーバーホールを実施することで寿命を延ばそうとしています。

その古参船のなかでいちばんの古株がヘリ搭載型巡視船の「そうや」なのですが、なんと「そうや」自体、1978(昭和53)年7月3日進水、11月22日竣工と今年が40年の節目の年なのです。

「そうや」という船名でいえば、白とオレンジの船体、そしてテレビや映画でお馴染みの南極観測船「宗谷」が広く知られているでしょう。2018年現在も東京都品川区東八潮(いわゆるお台場)にある船の科学館で保存展示されています。

しかし、この南極観測船「宗谷」が南極観測任務終了の後、巡視船として使われたことはあまり知られていません。ヘリ甲板を有し、砕氷船としても運用可能な「宗谷」は南極観測から退いた後も海保の貴重な「戦力」として、日本近海の警備救難任務に従事し続けたのです。

とはいえ、戦前の1938(昭和13)年に進水就役し、太平洋戦争と南極観測任務というふたつの大事を乗り切った船は当然傷みも激しく、就役から35年を経過すると代替船が必要になりました。

こうして建造されたのが二代目「そうや」だったのです。「宗谷」の経験を踏まえて、ヘリコプターによる広域監視能力や遠隔地への急速進出性が有用と判断され、なおかつ当時200海里漁業専管水域(排他的経済水域)の概念が国家間の重要事項として認識されるようになっていた結果、一時は大型ヘリを2機搭載する6000tクラスの大型巡視船案も検討されましたが、最終的には「宗谷」よりも一回り大きな3000tクラスの大型巡視船として建造されることになったのです。

栄えある「01」の意味

こうして新造のヘリ搭載巡視船として二代目「そうや」は誕生しました。なお先代「宗谷」はひと足早く1978年10月2日に退役しています。

実はこの「そうや」、同型の最初の船(1番船)として就役したことの証である「PLH01」という船番が振られています。「PLH」とは「Patrol vessel Large with Helicopter」の略で、「ヘリコプター付大型巡視船」を意味し、その1番船という意味になります。

初代「宗谷」は南極観測船時代に短期間だけヘリ格納庫を有していたことはありましたが、ヘリの大型化にともなって発着甲板を広くするために撤去、以後ヘリは露天繋留とされ、南極観測任務から降りて巡視船となった後は固有の搭載機はない状態でした。そのため、二代目「そうや」は、ヘリ格納庫も備えた大型巡視船としては海保初の船ということになります。なお、初代の海保巡視船としての船番は「PL107」が振られていました。

2018年11月現在、海保のヘリ搭載巡視船としては1機搭載型が「そうや」含む10隻、2機搭載型が4隻ありますが、1機搭載型は「そうや」とその改良型である9隻の「つがる」型のみです。「つがる」型は、「そうや」をベースに砕氷機能をなくし小改良が加えられただけですので、「そうや」が原型といっても過言ではありません。

またヘリ2機搭載型巡視船含めて、ヘリの船上運用は「そうや」で形作られたものが多く、そうした意味でも「そうや」は海保のヘリ巡視船の源流といえるのです。

「そうや」は竣工当初は海保唯一の砕氷船として、北海道周辺海域における冬季の警備救難任務に重用されました。

また、海保は1954(昭和29)年以降、オホーツク海での流氷による海難を防止するなどの目的で海氷観測を実施しています。そこで砕氷船としての能力を有する「そうや」は、1981(昭和56)年以降、毎年海氷の分布と動向を把握するための海氷観測を行っており、1996(平成8年)からは、海氷観測にあわせて大学の研究者などを乗せてオホーツク海の海氷域の調査研究の支援も行っています。

先代よりも長寿になったワケ

21世紀を現役のまま迎えた「そうや」でしたが、さすがに25年を経過したころから老朽化が目立つようになりました。また、やはり運用するにつれて設計の行き届いていない箇所や、新造船に装備されるようになったデータ転送システムがないなどの性能不足も見受けられるようになりました。

一方で、代替船を建造する予算的余裕は海保にはなかったため、そこで2010(平成22)年に船橋を作り変えるほどの大幅な改良延命工事が行われ、船齢(耐用年数)を15年ほど延ばしました。これにより2025年頃まで第一線で運用される予定です。

なお復帰直後の2011(平成23)年には、3月11日に発生した東日本大震災で津波によって機能を喪失した釜石海上保安部の代わりに、釜石港において現地対策本部として用いられています。

奇しくも今年、2018年は、先代「宗谷」も進水就役から80周年の節目の年です。その就役から40年で解役(厳密には保存船として現在も海保所有)した先代「宗谷」。二代目の現「そうや」は今年、偉大なる初代の船歴を追い抜いたのです。

ちなみに、初代「宗谷」の船名が漢字で、二代目「そうや」がひらがなで表記されるのには、次のような経緯があります。

初代「宗谷」の名前は、海保の巡視船になる前、戦前の1940(昭和15年)2月に、旧日本海軍によって命名されました。ちなみに旧海軍によって買い上げられる前は商船「地領丸」という名でした。そしてこの「宗谷」という名前で大戦を生き抜き、海保編入後も引き継がれます。

一方、海保の巡視船表記はひらがなと規定されているため、最初から巡視船として新造された「そうや」は、このようにひらがな表記が正式です。旧海軍の船名を引き継いだか、竣工当初から海保の命名基準だったかでこのように異なるのです。

【写真】白一色な海保時代の初代「宗谷」

2008年5月の観閲式で東京湾を進む「そうや」(柘植優介撮影)。