「濡れ衣だ!私はやっていない!」

……とまぁこんな具合に、無実の罪を着せられることを「濡れ衣(ぬれぎぬ)」と言います。

確かに、グショグショに濡れた衣服は着ていて不快ですし、そんなものを無理矢理着せられた時のストレスと言ったら、無実の罪に匹敵するかも知れません。

「だから『濡れ衣』って言うんだよ」

以前にそんな話をされていた方がいたので、少し補足させていただいたことがあります。衣はなぜ濡れているのでしょうか?同じく不快そうな泥とかじゃダメなのでしょうか?

今回は、その理由について諸説の一つを紹介します。

三途の川と六文銭

濡れ衣はなぜ濡れるのか……それを説明するには、三途の川(さんずのかわ)を渡らなくてはなりません。

三途の川には渡し舟を営業?する鬼がいて、料金(渡し賃)を支払うことで乗せてくれます。その金額は、俗に六文(ろくもん)と言われ、かけ蕎麦が一杯十六文の相場として、現代だと320円くらいとすれば、一文は約20円。

つまり、三途の川の渡し舟に乗るためにはだいたい120円くらい支払えばいいことになりますが、ここから先が少しややこしい。

人間、死ぬ時に銭コ(じぇんこ)はビタ一文持っていけません。

荼毘に付されて(≒火葬されて)すべて灰……じゃあ誰も渡し舟に乗れないじゃないか!と心配されるかも知れませんが、大丈夫です。

三途の川の渡し賃は、皆さんが生きている間に支払うシステム?となっているそうです。

それは「誰かの役に立つようお金を使うこと」。

この世とあの世の為替レートは存じませんが、自分の欲ではなく、真に誰かの幸せを願い、見返りを求めずお金を使うことで、ポイントが貯まって……的なイメージでしょうか。

太山寺蔵「地獄極楽図」より、三途の川

いずれにせよ、生きている間にしっかりと渡し賃を支払っておけば、三途の川も悠々と渡ることができます。

※「六文銭」の考え方には諸説あります。

では、渡し賃を支払っていない方はと申しますと……残念ながらこちら(此岸)に留まることは許されず、鬼に追い立てられながら自力で三途の川を渡っていただくことになります。

ちなみに、三途の川は生前の罪深さによって渡る時の深さが変わり、裾をはしょれば歩いて渡れる程度の深さから、濁流にもみくちゃにされるほどの深さまで、実に色々だそうです。

どうか、お疲れの出ませんように。

奪衣婆と懸衣翁

……さて、三途の川は無事に渡れましたか?

冥途の遠路、誠にお疲れ様です。

さっそくですが、ここで「奪衣婆(だつえば)」のご登場です。

「地獄草紙」より、奪衣婆が亡者の衣を引っぺぐ様子。12世紀。

この婆さま、三途の川を渡って来た皆さんの着ている一張羅……要は死に装束を引っぺぐ(奪う)のがお仕事。

だから「奪衣婆」であって、決して「脱衣婆」ではありません(たまに間違える方がいらっしゃいますので、念のため)。

これより先は褌(ふんどし)一丁、女性の方はお襦袢(じゅばん。肌着)での道中と相成ります。

さて、衣などどうするのか、と言いますと……彼女にはすぐ隣に亭主がおりまして、これなるは「懸衣翁(けんえのう)」と申します。

青森県むつ市・恐山にて、懸衣翁の石像。これから衣を木の枝に懸けるところ。

奪衣婆の引っぺいだ皆さんの衣を受け取ると、せっせと木の枝に懸(か)けるのがお仕事。

衣の懸けられた木の枝は、衣の重さによって当然ながら垂れ下がります。

この衣の重さこそ罪の重さであり、閻魔様より下される刑罰にも大いに影響します。

ここまでくると、察しのよい方もいらっしゃるかと思います。

そうです。「衣が濡れていると、それだけ罪が重くなる」……だから濡れ衣を着せられると、潔白な者でも無実の罪で罰せられてしまうのです。

これが「濡れ衣」の語源となります。

おわりに

河鍋暁斎「地獄極楽図」より、亡者の罪を裁かれる閻魔大王。明治期

近ごろ、報道など世相を見るにつけ、とても人とは思えぬ所業の数々にうんざりさせられますが、これもまた人間が「畏(おそ)れ」を忘れたためではないでしょうか。

他人に濡れ衣を着せて、自分はいけしゃあしゃあとすまし顔……そんな振舞いには、必ず報いが来る。

先人たちの教えを、言葉の一つ一つから学びたいものです。

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