同じトラス桁のなかで鉄道と歩道が「同居」していた大阪の「赤川鉄橋」。貨物列車を間近で撮影できる「鉄道名所」としても有名でした。この橋を通る新しい鉄道路線「おおさか東線」の工事が進む現在、「同居」はどうなったのでしょうか。

約90年前に架けられた歴史ある鉄橋

琵琶湖から京都、大阪を抜けて瀬戸内海に流れ出ている淀川。下流の大阪市内では幅が約700~800mにおよび、大阪市の北部と南部を結ぶ長い橋が多数架けられています。

その橋のひとつ「城東貨物線淀川橋りょう」(大阪市東淀川区、旭区)は、とてもユニークな橋として知られていました。路線名からも分かるように、本来は貨物列車が走る橋。ところが、線路のすぐ脇には歩行者のための通路が設けられ、一般に開放されていたのです。

城東貨物線は、東海道本線JR京都線)と関西本線大和路線)とのあいだで貨物輸送を行うために建設された路線。吹田貨物ターミナル駅大阪府吹田市、摂津市)から片町線(学研都市線)の鴫野(しぎの)駅(大阪市城東区)を経由して、関西本線平野駅大阪市平野区)にいたる貨物線です。

この貨物線内にあるのが淀川橋りょうで、左岸(南側)にある地名をとって「赤川鉄橋」とも呼ばれています。18個のトラス桁が連続した全長約600mの鉄橋で、1929(昭和4)年に城東貨物線の建設にあわせて橋が架けられました。今年で89年が経過します。

城東貨物線は建設当初から上下線がある複線での運転を想定して建設され、赤川鉄橋の橋脚やトラス桁も複線分の幅で構築されました。ただ、開業当時は複線が必要になるほどの貨物輸送量がなかったため、トラス桁内の下流側(西側)のみ単線の線路を敷設。上流側(東側)の線路を敷設するスペースには木製の板を敷き、人や自転車が通れるようにしたのです。

鉄道線路のスペースを一般に常時開放するケースは非常に珍しく、貨物列車が走る姿を間近に見られるということもあって、貨物列車撮影の「名所」にもなっていました。

しかし、城東貨物線を使って新しい旅客線を整備する構想が1950年代に浮上。新大阪駅から城東貨物線に合流する新線を建設し、合流地点から関西本線の久宝寺駅(大阪府八尾市)までは城東貨物線を電化(電気を列車に供給する架線を設置)、複線化することになりました。

複線化で歩行者や自転車はどこへ?

こうして1999(平成11)年6月から工事が始まり、まず南側の放出(はなてん)~久宝寺間で2008(平成20)年3月、「おおさか東線」という路線名で旅客列車の運行が始まりました。北側の新大阪~放出間も2019年春に開業する予定です。

北側の新大阪~放出間の開業を間近に控え、赤川鉄橋はどうなったのでしょうか。2018年9月に現地を訪ねてみたところ、上流側の木板が撤去され新しい線路が敷かれており、人や自転車が通ることはできなくなっていました。もちろん、橋のなかから貨物列車を撮影することもできません。

上流側のスペース2013(平成25)年10月31日限りで閉鎖され、それから数年かけて複線化により新しい線路が敷かれました。このため、人や自転車は赤川鉄橋から上流へ約1km先にある道路橋の菅原城北大橋(すがわらしろきたおおはし)に迂回(うかい)することになりましたが、大阪市は迂回距離が少しでも短くなるよう、堤防上の道路と菅原城北大橋の歩道スペースをつなぐスロープを整備しました。

2018年9月1日には、鉄橋の北側にあった堤防上の道路との踏切(亀岡街道踏切)も廃止。警報機や遮断機が撤去されました。このため線路の下をくぐる迂回道路が新たに整備されています。

貨物列車は現在、上流側の新しい線路を走っていますが、従来からある下流側の線路は使われておらず、いまも単線運行のまま。まず上流側の新しい線路に貨物列車を移し、それに続いて下流側の線路の再整備を進めているという段階でした。おおさか東線の開業時には下流側の線路の使用も始まります。

おおさか東線が全線開業すれば、貨物列車だけでなく旅客列車も赤川鉄橋を多数走るようになります。歩行者自転車の流れだけでなく、大阪北部と東部の人の流れも大きく変わることになりそうです。

【写真】鉄道と歩道が並んでいたころの赤川鉄橋

淀川橋りょう(赤川鉄橋)を走る城東貨物線の貨物列車(2018年9月、伊藤真悟撮影)。