前回、ポルトガルの首都リスボンで25年間にわたって一流シェフとして活躍していた金澤智玲氏(51)が、それまで縁のなかった鹿児島県霧島市に移住して、壮大な地域創生構想を推進している話をご紹介した。

JBpressですべての写真や図表を見る

(前回の記事)「フランス料理シェフが挑む独創的な移住者誘致作戦」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54610

 霧島市は、移住者数において“九州No.1”であるが、同時に、“非常に多様な職業・経歴の人々が移住し、しかも移住後5年以内の短期離脱者がほぼいない”という点でも他の自治体とは一線を画している。

移住者最多&定着率最高レベルの要因は

 しかし、なぜそのような成果を挙げ得るのか?

 その理由を知るべく、筆者は霧島市役所に足を運び、霧島PR課と地域政策課を訪問した。そしてインタビューを通じて、ひとつの「仮説」が見えてきた。

 移住者の数が多く定着率が高い背景には、「移住情報に関して、“現実的な現地生活情報の事前開示”を実施している」ことがあるのではないか。

 得てして、地方自治体が発する情報は“移住メリット”を強調した一面的な内容に傾きやすい。それが移住後のイメージギャップを生み、移住者が短期間で逃げ出すなど、定着率の低さを招いている。

 しかし、霧島市役所では、プラス面もマイナス面も含め、ありのままの姿を見せる。その生活実態(ライフスタイル)をどう受け止め評価するかはその人の価値観次第ということになる。

 市役所として、それを“意図的・意識的”に実施しているわけではないようだが、近年、企業の採用活動において入社前後のイメージギャップによる早期離職を防ぐために行う「Realistic Job Preview(=現実的な仕事情報の事前開示)」の移住バージョンと評してよいと筆者は感じた。

 市の担当者からは、この日、移住の実情を語ってもらうために、1人の移住者と、移住受け入れを進めるある集落の責任者を紹介してもらった。2人のお話をご紹介するので、そこから筆者の「仮説」を検証していただきたい。

京都・祇園の舞妓さんがUターン起業

 小松由佳さんは、霧島市の繁華街でWINE&DINING「nico」を経営している。霧島ロイヤルホテルのシェフを務めていた叔父が厨房を担当し、由佳さんは接客のために日々、店に立つ。

「私は地元の中学校を卒業後、京都・祇園で舞妓修業に入り、京都で6年間を過ごしました」

 しかし、その後、一時、東京で生活していた時に東日本大震災に遭遇し、精神的に強い衝撃を受けたという。「“平和ボケ”していたことを思い知らされました」と笑う。

 来し方行く末に想いを馳せた彼女は、やがて故郷・霧島市に戻りお店を開く決意を固める。

「京都時代からワインやシャンパンが好きだったので、自分でそういうお酒やお料理を提供する店を持とうと思ったのです」(由佳さん)

 しかし、京都と霧島とではずいぶんと勝手が違った。そもそも顧客ニーズが違うのだ。こだわりの逸品を置いているが、シャンパンを注文するお客さんは少ない。“鹿児島県といえば芋焼酎”なので、焼酎類などもメニューに載せている。

「お店の入り口まで来られて、私と目が合った瞬間に“引いてしまい”、そのままお帰りになるお客様もいらっしゃいます」と苦笑する。実際はリーズナブルなのだが、和服姿の由佳さんを見て“敷居が高い”と思ってしまうのかもしれない。

 たびたび軌道修正の必要に迫られるなど故郷での事業は苦労が多い。それでも、霧島市は魅力的な地だと由佳さんは言う。

「高千穂峰への登山とか蕨狩りとか楽しみは多いし、特に温泉は素晴らしいです。自噴する源泉をかけ流しているお風呂で育った私は、京都時代、入浴剤で緑色に染まった銭湯に入ったときには本当にびっくりしました(笑)」

 固定客中心で大人の落ち着いた風情を漂わせるWINE&DINING「nico」。実現したかった理想と地域ニーズの狭間で揺れ動きながら、由佳さんの懸命な挑戦は続く。

“終活”としての地域創生

 霧島市は、移住者数もその定着率も全国屈指とはいえ、2005年に1市6町が合併してできた広大な市であり、市内全域がその恩恵に浴しているわけではない。

 川原地区は、温泉資源や雄大な眺望があるわけでもなく、いわゆる中山間地域の限界集落(=高齢化率が50%を超え、地域のコミュニティ機能維持が難しい地域)である。

 川原地区・自治公民館の中條智治館長は、いきなり衝撃的なことを述べる。

「終活としての地域創生に取り組んでいます。川原地区に住む我々が5年後もここで暮らし続けるにはどうしたらよいか、そして、どうやって人生を終えていくべきか、自分たちで考え、そのための取り組みをしています」

 コミュニティバスは毎週火曜と木曜に各2便あるだけ。マイカーなしの生活は難しい。クルマで15分ほど飛ばせばスーパーやドラッグストアなどのある“里”に下りることができるが、道路はやや急峻でカーブが多い印象であり、高齢者や病人には厳しい。

 若い世代の流出、過疎化・高齢化は年々深刻化し、中学校は“里”の中学校に統合されてしまった。今は創立140周年の小学校(生徒数18人)だけでも維持しようと努力を重ねている。小学校まで廃校になれば、集落はもはや高齢者だけの地区となり滅びてしまうからだ。

「若いファミリーを対象に、子どもが小学校に通う6年間だけ川原地区に住んでもらう“期間限定移住”推進を考えています。空き家リフォームし、できない時は新築してでも住んでもらい、家賃は限りなくゼロに近づけます。夫婦共稼ぎであれば、地域の高齢者たちが子どもの面倒を見ます。生徒数の多い小学校になじめない子どもたちに移ってきてもらい、川遊びや炭作りといった川原地区ならではの経験をさせてあげたいと考えています」

 こうした集落維持の活動を担っているのが「川原塾」。平均年齢67~68歳の地域の人々でほぼ男性からなり、現在12人。活動歴は約30年に及ぶ。

「私たちと同じような悩みをもつ集落は多いと思います。この辺りは川に沿って生活道路があるので川沿いにある集落群で連携し、生活の足となるコミュニティバスを1台保有できればと考えています」

 しかし、その購入・維持・運用には財源が必要だ。そこで公民館を法人化して事業の母体とすることを考えている。

 霧島市は九州縦貫自動車道が通り、市内に鹿児島空港があることもあって、大企業の工場などが立地している。近年、CSRや福利厚生の一環として社員や家族の農業体験は人気がある。そこで、たとえば、集落内の耕作放棄地を提供して彼らに農業をやってもらい、集落は苗の提供や農地管理を請け負って、そこから収益を上げる。

 このような自主財源事業を順次つくっていくことで最低限の集落機能を維持していく。

 “たとえ少数でも若い世代に移り住んでもらい、集落機能維持の一端を担ってほしい”という強い想いが伝わってくる取り組みだ。ただし、子どもが小学校在学中に限定される。中学校は“里”にあり、さすがに毎日送迎するのは厳しいのでやむを得ないだろう。

 果たして、“期間限定移住”に志願するファミリーは、どれくらい現われるのだろうか。川原地区の人々は、きょうも準備に余念がない。

◎「シリーズ『商いの原点』」の記事一覧はこちら
http://jbpress.ismedia.jp/search/author/嶋田 淑之

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  NYからいきなり土佐に移住した日本人学者の挑戦

[関連記事]

日本で最も豊かな農村、よそ者使いさらに進化

舞台は世界!全国の若者が集う佐渡の太鼓芸能集団

鹿児島県霧島市の川原地区