「女性が自由な恋愛をすることの延長線上で、同性愛をテーマにしたコラムを書いてほしい」

元同僚から依頼がきたとき、「もしかすると、依頼人はLGBTにあまり明るくないのでは……」と一抹の不安を覚えた。というのも、企画書にあるタイトルが「私たちの知らないレズの世界」だったから。私は目を疑った。え~、どうしよう。全然LGBT界隈の現状を知らなさそう……企画を進める前に現状を知ってもらわなくちゃ。そもそもレズビアン当事者じゃない人が「レズ」って呼んだらダメだよ~! 不安だなあ……。

だがしかし! ここはひとまず筆者である豆 林檎(まめ りんご)について少し紹介しよう。1982年東京都某区で生まれた女性。小中高大を女子校に通った生粋の女子校育ち。アメリカの大学を卒業し、さまざまな職場を転々としながらお気楽に生きる、ナチュラルボーン自由人である。現在は無職兼コラムニストとして活動している、ということにしておこう。

私のセクシャリティは、LGBTでいうところのB、つまりバイセクシャル。私はカミングアウトこそ自発的にしないものの、隠しているわけでもないので、聞かれれば正直に答える。ただ、多くの人は、私のことをL、つまりレズビアンと勘ちがいすることが多い。というのも、女性を恋愛対象にした経験が圧倒的に多いからだ。初体験も女性、元恋人もほとんどが女性だ。

私にとって、女性と性的関係を持つことはごく自然なことで、なんの違和感も疑問も持つことがなかった。しかし、社会の「常識」と自分の違和感との狭間で悩むLGBTの人々は少なくない。少なくないどころか、大半が自分のセクシャリティについて苦しんだ経験がある、もしくは現在進行形で苦しんでいると言っても過言ではないだろう。私は恋愛を初めて経験したのがアメリカだったせいもあり、周囲の理解が深く、迫害や差別に晒されることなくのびのびと恋愛ができた幸運な人々のうちのひとりだ。

■セクシャルマイノリティとしての人生

セクシャルマイノリティとは、性的少数派を示す言葉。よく「LGBT」という言葉を聞くと思うが、まずはその意味を簡単に説明したい。

L:レズビアン(女性の同性愛者)
G:ゲイ(男性の同性愛者)
B:バイセクシャル(男女の両性愛者)
T:トランスジェンダー(身体的な性別と心の性別が異なる人)

これを踏まえた上で、杉田水脈氏関連の大炎上した発言を思い出してみてほしい。「LGBTは(子どもを産まないから)生産性がない」。この言葉を目にしたときに「これが、腸が煮えくり返るという感覚か」と思ったのは記憶に新しい。政治家がこのような発言をしても、制裁が下らないこの国は地獄なのではないかと感じた。「え? なくない? は? 現代???」しか口から出てこないくらいには語彙力を失った。怒りというよりも、絶望が強かったかもしれない。

だって、私のお友だちのレズビアンカップルは、出産して2人で子どもを育てているし、何組ものトランスジェンダーのお友だち夫婦も結婚して子どもがいる。そもそも「生産性」で人間の価値を測ること自体がまちがっている。すべての生きとし生ける存在として、こんなクソみたいなことを言われる筋合いは1mmもないのだ。

何度も言うが、私は本当に運がいいほうだ。先述のように社会での差別を目の当たりにすることはあっても、直接的に個人攻撃として、セクシャルマイノリティに対する差別心からくる迫害やいじめを受けたことがないからだ。だが、日本在住の多くの人は、「オカマっぽくて気持ち悪い」「レズなんて受けつけない」「女のくせに男みたいな格好して」「男のくせにすぐ泣く」などと揶揄された経験がある。それも、思春期のころのクラスメイトや、会社の同僚や上司などだけではなく、肉親から言われる人だっている。つい先日も、レズビアンのお友だちが職場で「キスくらいなら女の子としてもいいよね~」とカジュアルに発言したところ、周囲から「マジでありえないしキモすぎる」と大バッシングを受けてショックを受けていた。職場では、絶対にカミングアウトできないと悟った瞬間だったそうだ。

なんでそんなことを言われにゃならんのか、と苦言を呈したいところだが、日本におけるジェンダーステレオタイプが原因だと思う。

そしてこれは、LGBTに限らず、異性愛者(ヘテロセクシャル)の人も晒されることがある、ジェンダーステレオタイプとセクシャリティの押しつけである。いわゆる「男らしさ/女らしさ」を重んじる風潮からくる、同調圧力のようなものだ。たとえば、あなたが男性を好きな女性だったとして「女なんだから女らしくしなよ」「脱毛してないなんて、女としてありえない」「女なんだからメイクするのはエチケット」などと言われたことはないだろうか。逆に、男性に対して「男なんだからリードしてほしい」「男のくせにメソメソしてみっともない」などと思ったことはないだろうか。

これは、セクシャルマイノリティであるかどうかに関わらず、すべての人にとっての“生きづらさ”につながってしまう原因のひとつだ。私が個人的に、クソ喰らえと思っている事案でもあるので、このコラムで詳しく話す機会までに、じっくりコトコト煮込んでおこうとする。

■すぐとなりにいるLGBT

現代の日本国内には、13人にひとりはLGBTと自認している可能性がある(※)。「私のまわりにLGBTはいないな~」はよく耳にするセリフだが、正直に白状するとそれは、あなたがカミングアウトしてもらえなかっただけなのでは? という疑問に繋がってしまう(林檎の個人的な見解です)。13人にひとりLGBTがいるのであれば、それはもう遠い世界のお話ではなく、となりに座っている人がLGBTのどれかに当てはまる人なのかもしれない、ということだからだ。あーた、そこのアンテナ腐ってるんじゃないの? ちったあ勉強しなさい? と言いたくなる。

また、テレビでよく見かけるオネェタレントは、ステレオタイプ化された氷山の一角にすぎない。よく女性が「ゲイの友だちがほしい~!」と言っているが、ファッション的な感覚からくる発言ではないだろうか。結局は、ゲイや女装家を他人事、芸能人として捉えてしまっているような気がする。本当は、オフィスの自分の席、すぐ横にいる人のことかもしれないのに。

>>次回は「そもそもセクシャルマイノリティってなに?」

※ひと昔前までは「日本国内のLGBTは40人にひとり」と言われていた(諸説あり)。しかし、2016年に調査した結果、日本国内のLGBTは人口の約8%存在するという研究結果が出ている(株式会社電通、博報堂DYグループ、日本労働組合総連合会調べ)。

<参考・引用文献>

電通ダイバーシティ・ラボが「LGBT調査2015」を実施

博報堂DYグループの株式会社LGBT総合研究所、6月1日からのサービス開始にあたり LGBTをはじめとするセクシャルマイノリティの意識調査を実施 | 博報堂 HAKUHODO Inc.

LGBT当事者は13人に1人、職場ではどう受け止められているの? | 連合ダイジェスト

(文:豆 林檎、イラスト:土屋まどか

「ゲイの友だちがほしい」と言ってはいけない理由