■ジェンダーを大きく分けると2つ

ジェンダーには、男女の区別だけではなく「心の性と身体の性が一致しているか否か」を指す言葉が存在する。前回解説したトランスジェンダー、そしてその逆の「シスジェンダー」がある。シスジェンダーとは、端的に言えばトランスジェンダーの逆。つまり、心の性と身体の性が一致している状態にある人を指す。

これらの組み合わせで「シスジェンダーでありレズビアンである」、「トランスジェンダーでゲイである」、「トランスジェンダーヘテロセクシャル(異性愛者)である」といった具合に、セクシャリティはバラエティに富んでいる。

ここでひとつ、第一回で触れた「見えない差別」について再度考えてみたい。以前私は、トランスジェンダー男性(元女性)の知人に「ボーイッシュレズビアンって、男になりたいんでしょ?」と言われてキレ散らかしたことがある。本来ならキレるほどのことでもないのだが、私はそのセリフがトランスジェンダーから発されたことにひどく憤慨した。なぜなら「“女性を恋愛対象とする人々”は男性であるべきだ」という、その人の中にある先入観からその発言が導き出されたからだ。

彼は、男性に「なりたい」と、男性「である」のちがいを考えたことがなさそうだった。社会の中で自分がどう扱われたいのかを考えたときに、「自分は男だから社会に男性として扱ってほしい」というのと、「普段は性別のことなどあまり考えていないし、自分には男性服が似合うからそれを着ている」のちがいを考えたことがないのか? トランスジェンダー当事者なのに?

自分がLGBT当事者であるにも関わらず、そうした「無知と考えなしからくる差別発言」をしてのけるケースは多々ある。当時の私は身体中の血管を1万本ほど切りながらも、いかにセックスとジェンダーと性的指向を別々のものにとらえるかが、より的確にセクシャリティを理解するために必要であることを説明した。レズビアンであることと、女性であること、そしてファッションは別の事柄であるから、ボーイッシュレズビアン=男に「なりたい」の公式は成り立たない。しかし残念ながら、説明を受けた彼はプログラミングをまちがえたPepperくんのように、まるで要領を得ないという感じで「じゃあなんで男みたいな格好してるの?」と同じような質問を繰り返した。何も通じそうになかったので、私は、「水を飲んでいるのか?」という速度で白ワインを飲み干したのだった。

というように、いくら説明してもわからない人はサンドウィッチマンの富澤たけしさんのように「ちょっと何言ってるかわかんない」となるし、これは別にLGBT関係なく、人は聞きたいことだけ聞こえるようにできているのだ。そして往々にしてこの手の人は「結局林檎さんは何者(何物)なの?」としつこく聞いてくるので、こういうときは私の尊敬してやまないカレー沢薫先生返しで「さぁ~? なんでしょうね??」と生返事を繰り返すオウムになりきるのだ。

ジェンダー・バイアス

ジェンダー・バイアス」という言葉をご存知だろうか。「ジェンダー」とは社会的、文化的な性のこと。「バイアス」とは端的に訳すと「偏見」。2つ合わせた「ジェンダー・バイアス」とは「社会的・文化的性差別、あるいは性的偏見」となる。

ジェンダーステレオタイプにも同じことが言える。例えば「男性はスカートを履かない」「女性はメイクをするもの」「男性は女性を好きになる」「女性が家事を担う」なんかも、ジェンダー・バイアスからくる先入観だ。男性がメイクをしたっていいし、女性がメンズ服を着てもいいし、誰がどんな性別の相手を好きになってもいいし、好きにならなくてもいい。家事はできる人がやればいいし、男性だって育休を取る権利がある。

このような価値観は、知らない間に「見えない差別」を具現化してしまう。例えばよく知らない男性と恋バナをして「彼女いるの?」と聞くとしよう。当然のように「恋愛は異性とするもの」という先入観がある発言だ。人は、外見と心の性別が一致しているはず。だから男性または女性はこのような服装をし、このような振る舞いをすべきだ。こういった価値観を前提とした発言が、ときにLGBT当事者たちの首を真綿で絞める結果に繋がる。

あなたは想像したことがあるだろうか。好きになった人が同性だったとき、自分はおかしいのでは? 病気なのではないか? 「異性を好きになるのが普通」なら、自分は普通じゃない? 女ではなくて男として生まれるべきだったのか? そんな言いようもない不安に襲われるかもしれないということを。

■「らしさ」の鎖

シスジェンダーの世界で「男らしさ/女らしさ病」がはびこるように、LGBTにも同じ病を患う人がいる。ゲイだから、マツコ・デラックスさんのように毒舌で世を切って人を救うような発言を求められる。レズビアンだから、女子校の王子様のような振る舞いを求められる。

女性であること、男性であること、そのどちらでもないこと。セクシャリティのこと、既婚であること、独身であること、子どもがいる・いないこと……それらはすべて、ただの符号でしかない。しかし、誰しもが内在化している「らしさ」は、価値観となって言動に表れる。日本の、特に女性はこの「らしさ」に縛られることが多いように思う。そして抑圧されている人ほど、周囲にも同調することを強要している気がする。

さらに言えば、自分らしさ、なんていうのも単なる符号にすぎない。結局は、すべての「らしさ」なんてものは、他人がイージーに理解しやすくするためのラベルでしかない。それらのラベルから解放されたとき、初めて自分をより深く知るきっかけになるのではないだろうか。

おまけ

10月21日トランプ政権がアメリカ中間選挙の直前に「生まれ持った性器によって決まる生物学上の性別は変更できない」とし、「性別の定義」を統一する方針であるとニューヨークタイムズによって報じられた。つまり、トランスジェンダーを排除するために、出生児の性別を変更できないようにするという方針だ。Twitter上では「#WontBeErased(私たちは消されない)」というハッシュタグが拡散され、当事者や差別に反対する人たちが声を上げている。

現在トランスジェンダーとして生きる人々はどうなってしまうのか? これは決して対岸の火事ではない。トランプ氏の方針が、杉田水脈議員のような人たちをエスカレートさせるような影響を日本に与え、LGBTへの差別が助長される可能性がある。それは、LGBT当事者だけの問題では収まらない。少数派への差別は「自分は多数派だから安心」とはいかないのだ。なぜなら、自分がいつ、どのような少数派になるかは、誰にもわからないからだ。

ぜひ、自分ごと化して考えてみてほしい。

<参考・引用文献>
ジェンダーバイアスとは | ひまわり第二東京弁護士会

カレー沢先生、セクハラと思っていないセクハラ発言へのベストアンサーを教えてください! | 女って何だ? カレー沢薫

トランスジェンダー排除の方針に『#私たちは消されない』広がる。当事者の思いは「何があっても、黙らない」 | HUFFPOST JP edition

(文:豆林檎、イラスト:土屋まどか

男性に「彼女いるの?」と聞くことが誰かを苦しめる理由