引退を前にした「アハライトナー」に同行。
新型「ポルシェ911」を創造したアウグスト・アハライトナー。992型は自身のキャリアのなかで最後の、冠たる作品だ。ツッフェンハウゼンからヴァイザッハに向けてクルマを走らせるアハライトナーのパーソナルな部分にスポットライトを当ててみた。
911に乗るアウグスト・アハライトナーはリラックスしている。911のステアリングを握ってツッフェンハウゼンから、ポルシェ デベロプメント センターがあるヴァイザッハまでの35kmを運転する彼にとって、すべては順調だ。この男と911は調和している。そのハーモニーたるや完璧だ。
これほど熱いエモーションを形にしたドイツ製スポーツカーはほかにない。911は一見すると相容れない要素を、なんの力みもなくひとつにまとめている。純粋性と快適性。高級感と日々の使い勝手。デザインと機能。これらが1台で両立しているクルマなど、世界でも類を見ない。
それに、911を911たらしめている要素がもうひとつある。「より良きものを」という欲求。そう、アハライトナーは今、ただドライブを楽しんでいるのではない。それどころか、彼は欲求の真っ只中にいるのだ。
992は彼にとって3番目の911だ。「718と911モデルラインのヘッド」。彼のジョブ ディスクリプションにはそう記されている。しかしこれでは、この仕事が本質的に持っている魅力を正しく表現できていない。
『聖杯の守護神』。人々は畏敬を込めて彼をそう呼ぶ。ポルシェの象徴のガードマンであり、大きなチームの一員だ。それでいながら彼にはカリスマ的な要素があって、それら諸要素が全体でハーモニーを奏でている。常に出発点と目的地をわきまえた男。
「911はほかのクルマにはないドライブフィールを生み出します」
これが決定的な要素だと彼は言う。
では、レジェンドに責任を負うとはどういう気分なのだろう? 子どもたちの羨望の的である仕事に就き、止むことなく時代の彫像を建てるとはどういう気分なのだろう? 作曲家や作家のなかには、自分の作品という名の岩と激突する者がいる。アハライトナーはそうした衝突を避ける術をいかにして身につけたのだろう?
「クルマを理解するには、その声に耳を傾けることです」
ひとたびアハライトナーが道路に向けてステアリングを切ったら、あとは一心不乱だ。音楽など邪魔なだけ。彼は一途に音を探す。
「クルマを理解するには、その声に耳を傾けることです」と彼は言う。クルマを走らせるときのはっきりした目的意識。それはヴァイザッハでの仕事振りにも当てはまる。
「私はあまりにもエンジニア的な人間なのです」彼はそう言うと、考えをまとめるのにしばらく間を置く。
「しかし徹頭徹尾、合理的な人間ではない。だからエンスージアズムを受け入れる余裕があるのです」
「アハライトナー」と「新型911」。穏やかなる結びつき。
アハライトナーが自分を語り始める。初めてポルシェに乗ったときのことを。1983年の週末にかけてカレラに乗った。当時新型の911カブリオレで、ボディカラーはレッド。そのころ彼はミュンヘンに住んでいた。今でもその日をクリアに覚えている。ケッセルベルク、コッヘル・アム・ゼーと辿り、ガルミッシュ-パルテンキルヘンを経由して帰路に着いた。
「素晴らしい体験でした」
あの日、アハライトナーが経験したマジックを理解するため、彼の出自を辿ることにしよう。アハライトナーは子供のころからハイクオリティなクルマに親しんでいた。彼の父親というのが、BMWの部門長を勤めており、車両コンセプトの責任者だった。そんなわけで、自社や他社のニューモデルに乗って帰宅することがしばしばあった。
幼いアハライトナーにとってそれは強い印象を残した。とりわけポルシェと911が及ぼしたインパクトは強烈だった。
「私が初めて911に乗った当時、3種あったポルシェのなかで911は技術的に一番遅れていました」と言う。彼の目には、911は型にはまった、いささかオールドファッションドなクルマに映った。伝統主義者のクルマだと思った。
同じポルシェなのに、なぜ911だけはほかのモデルが標準装備している機能が付いていないのか、入社当時の彼にとってはそれが疑問だった。しかし彼の直感が理由を教えてくれた。例えば、当時のアンチロックブレーキシステムは「911のスタンダードを満たしていないから」だと。
と同時に、彼は911が放つ輝きに魅了された。
「そのユニークなフォルムとコンセプトに魅了されました。リヤエンジンは当時すでに『エキゾチック』だと見なされていたのです」
アハライトナーはまずシャシー開発部に配属された。そこで「コンセプトをキープしながら改良していくチャンスをガッチリと掴みました。911とは結局のところ、ほかに代わりがないクルマなのです」
アハライトナーにとってこのマインドセットは今も変わらない。最新の911のアドバンスト コクピットではフルHDディスプレイに囲まれながら、昔からあるアナログ レブカウンターを残したのもそれが理由だ。
もっともワクワクするポルシェ イヤーは、1991年と1992年
アハライトナーがポルシェ流の仕事のやり方を身につけていた当時、ポルシェは極めて基本的な問題に直面していた。新世代911では、まったく新しい洞察力と計算方法に基づいて、楽にコーナーを旋回できるクルマにする必要があった。アハライトナーと彼のチームは正面から仕事に向き合った。これまでもヴァイザッハのエンジニア陣は、Gモデルから964、さらには最後の空冷モデルと、絶えることなく911を時代に対応させてきた。
「993はそれ以前と比べると、時代に向けて大きな一歩を踏み出したモデルでした」
アハライトナーは当時をそう振り返る。
それでも「ベスト」に到達するのはまだ先のことだった。彼にとって、もっともワクワクするポルシェ イヤーはいつだったかを尋ねると、1991年と1992年だという答えが返ってきた。意外な答えだ。当時のポルシェは危機状態にあったからだ。社内には終末論的な空気が満ちていた。
「当時、911のチームは心理的に揺さぶられていたのです」と言う。プロダクトポリシーの変更は間近に迫っていた。993の後継モデル996の設計ではアハライトナーがリーダーシップを執った。2001年にはモデルラインの全責任者となった。718がラインアップに加わったのは今から2年前、2016年のことだ。
子供のころのアイドルは、ヴァルター・ロール。
子供のころのアハライトナーのアイドルは、5回もGPモーターサイクル チャンピオンになったトニ・マンと、言うまでもなくヴァルター・ロールだ。アハライトナーに言わせると「あの人は異次元の存在」なのだそうだ。そのロールと昵懇の仲になってもう久しい。
「偉大な人物だと思います。言うことが信頼できるし、正直ですから。ときに聞いているこちらがムッとなるほど、あけすけな物言いをする男です。私自身、ロールと似たようなところがあると思います」
アハライトナーとロールの気性には共通する部分が多い。
「共通部分はクルマを大きく超えた領域にも当てはまります。ヴァルターはスポーツ一般、マウンテンバイク、スキーに熱心で、早起きを習慣とし、深夜2時まで外をうろつくタイプではない。私も同じです。明日の方がよほど大切ですから」
ロールが駆るクルマのパッセンジャーシートに座るときには敬意を払う。2度のラリーワールドチャンピオンの落ち着いたステアリングさばきに深く感心する。911マイスターの操縦振りは冷静沈着そのものだ。
この二人が似たもの同士なのはどうやら間違いなさそうだ。考え方だけでなく、「舵の切り方」が似ているのだ。ひとりはクルマの、もうひとりは組織のなかでの舵の切り方だ。アハライトナーは身体のなかから力を引き出す。モノに動じない。だれもが気が動転する場面に遭遇しても、彼だけは落ち着いている。
今でも同じ、新型911が一般公開される舞台でも浮き足だった素振りは見せない。それは718と911モデルラインのヘッドとしてのアウグスト・アハライトナーのグランドフィナーレであった。
TEXT/相原俊樹(Toshiki AIHARA)
【TOPIC】「ミスター911」アウグスト・アハライトナーに訊くポルシェへの想い。(http://clicccar.com/2018/12/07/664037/)
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