「今でも事故のことを思い出し恐怖する」と語る宮城セツ子さん=5日、うるま市川崎
 【うるま】1961年、旧具志川村(現うるま市)の川崎地区に、米軍のジェット機が墜落し死者2人、重軽傷者6人を出した事故は7日で57年となる。「12月7日が近づくと恐怖がよみがえる」。墜落の瞬間を川崎小中学校(現川崎小学校)で目撃した宮城セツ子さん(72)=市川崎=が当時を振り返った。

 中学3年生だった宮城さんは、昼休憩の時間を教室で過ごしていた。「ゴーッ」という今までで聞いたことがないほどのごう音を立てて、飛行機が飛んでいることに気付いた。窓の外を見ると、尾翼から黒煙を上げたジェット機が昆布方面へ。その後、方向を変え学校に向かってきた。

 「学校に落ちる」。恐怖で身がすくんだが、再びジェット機は向きを変え集落に突っ込んだ。黒煙が上がり、500メートルほど離れた学校にまで熱風が押し寄せた。教室から様子をうかがっていた宮城さんら生徒は悲鳴を上げ、互いに抱き合って「大丈夫だ」と声を掛け合った。

 宮城さんは「戦争は体験したことないが、これから戦争が来るのかと思った。とても怖かった」と思い返す。事故から数時間後、家に帰る最中にかいだ重油の臭いと集落の数カ所で黒煙が上がるさまを鮮明に記憶している。

 「今も飛行機のごう音や別の飛行機墜落事故の話を聞くだけであの時のことを思い出し怖い」と目に涙を浮かべる。「事故は基地あるがゆえに起きること、川崎で墜落事故が起きた歴史を地域の子どもたちにも知ってほしい。そのために語り継いでいきたい」と話した。
 (宮城美和)