「私たちの愛は……永遠だよね」

「君を愛し続けよう……永遠(とわ)に」

最近、これら「永遠」という時間の単位は、全人類で平均すると大体「一週間くらい」というジョークを耳にしましたが、その一方では生涯添い遂げるばかりか「たとえ死んでも、生まれ変わっても一緒にいたい」という奇特な方々も、少なからずいらっしゃるそうです。

さて、大切な人(主君など)を亡くしてしまった喪失感をいかんともしがたく、後を追って自殺する行為を「殉死(じゅんし)」と言います。

一部には故人の遺徳や、故人との深いつながりを示すものとして評価する方もいますが、後を追う当人の自発的な意志ならともかく、それを強要されてはたまりません。

今回はそんな「殉死」について、備前国(びぜんのくに。現:岡山県南東部)を治めた戦国大名宇喜多直家うきた なおいえ)のエピソードを紹介したいと思います。

戦国の謀将・宇喜多直家の生涯を振り返る

宇喜多直家像。Wikipediaより。

時は戦国・天正九1581年。

幼くして祖父・能家(よしいえ)を殺され、砥石城を追われた流浪生活の中で父・興家(おきいえ)を亡くしながら、挫けることなく元服後は備前の戦国大名浦上宗景(うらがみ むねかげ)に仕官。

その後、謀略の限りを尽くして祖父の仇討ちをはじめ、数々の政敵を暗殺。ついには主君である宗景に謀叛を起こし、一度は屈するも二度目で下剋上を果たし、備前国は元より、備中・美作の両国にもまたがる戦国大名へとのし上がった謀将・宇喜多直家

織田や毛利という大大名を東西に抱えながら、懸命にわたり合ってきた山陽の梟雄にも、いよいよ死期が訪れていたのでした。

死にゆく孤独と、老臣の諫言(かんげん)

さんざん人を殺してきた直家ですが、いざ自分の番となると、やっぱり心細くなるのが人情。病床に家臣たちを集めて、こんな事を言いました。

「わしが死んだら、誰か後を追ってくれるかのう……」
【原文】我死セバ誰カ殉死セン。

当然のごとく、家臣たちはリアクションに困ります。だってそうでしょう。誰だって死にたくないけど、それを言ったら忠誠心を疑われて、後からどんな面倒ごとになるかわかりません。

まして「武士に二言なし」、一度口にした以上、本当に追腹(おいばら。亡くなった主君の後追いで切腹すること)を切らされかねないし、死ななきゃ死なないで「口先野郎」として名誉を損なうばかりか、次世代の人事査定にも影響する……。

そんな訳で、普段はおべっかやゴマすりに余念がない連中も、今回ばかりは流石にだんまり……かくして現場に重たい空気が流れます。

(あぁ、何とかごまかしたい。できれば逃げたい。あるいは誰か、嘘でもいいから名乗り出て、御屋形様のご機嫌をとってくれ。自分以外なら誰でもいい……)

まぁ、そんな不埒なことを考えていた備州武士は流石にいなかったでしょうが、そこに救世主が現れます。

「畏れながら……」

口を開いたのは、剛毅の士として知られる歴戦の老臣・花房(はなぶさ)氏でした。

※原典には名前の明記がないものの、年齢や人物言行より越後守正幸(えちごのかみ まさよし)と推定されます。

死ぬ忠義より、活かす忠義を

花房氏は言いました。

「生者と死者は、それぞれ進む道が違います。そもそも死んでしまえば誰もが独り、どうして家臣たちを道連れにできるでしょうか。その上、御屋形様にお仕えしておる者はみな優秀ですから、御屋形様の死後に家督を継がれる若君のお役に立てるべきであり、そんな彼らを捨ててしまうようなことができるものですか」

花房氏の諫言に安堵する宇喜多家臣団(イメージ)。

【原文】
「人鬼(じん・き)途(みち)ヲ異(ことに)ス。冥漠(めいぼう)ノ中(うち)安(いづくん)ゾ臣僕(しんぼく)ヲ随(したが)ヘルヲ得(えん)ヤ。且(そのうえ)君ノ左右ノ臣良士ニ非(あらざる)ハナシ。如(もし)君萬歳(ばんぜい)ノ後ハコトヾク(ことごとく)是(これ)嗣君(しくん)の股肱耳目(ここうじぼく)タリ。豈(あに)之(これ)ヲ無用ノ地ニ棄(すて)ン乎(や)……」

つまり「ここにいる優秀な家臣たちは、あなたが死んだ後を継ぐ若君を補佐すべきであり、これから死んでいくあなたにつき合わせる訳には参りません!」という宣言に他なりません。

事実、他家でも優秀な人材が失われることを懸念して殉死を禁じていることが多々あり、花房氏の言い分は至極もっとも、と言えるでしょう。

「どうしても殉死させたいなら、坊主どもを……」武辺者の皮肉と矜持

しかし、理屈では解っていても、やっぱり寂しい死出の旅路。

そんな直家の胸中を察してか、花房氏は言葉を続けます。

「聞くところによれば、僧侶は死者を極楽浄土へ導いて下さるそうで……もし御屋形様が、どうしても『独りは寂しい!誰かあの世について来てくれなきゃヤダヤダ!』と仰るのであれば、備前の国じゅうから名立たる高僧を狩り集め、片っ端からブッ殺して冥途のお供をさせましょう

冥途の御供なら、徳の高いお坊様が一番。

【原文】
「……臣聞ク沙門(しゃもん)ハ能(よ)ク死者ヲ導キ善處ニ赴(おもむか)シムト。若(も)シ必ズ君(きみ)從者(じゅうしゃ)有ランコトヲ要セバ。臣當(まさ)ニ老高僧ヲ國中ニ擇(えら)ビ殺シ以テ葬(そう)ニ殉ズベシ……」

僧侶はふだん戦場に出て血を流すことも、死を覚悟することもなく、それでいて武士より優遇されている者も少なくない。

常に戦場で生命を賭けて奉公する武士は、忠義ごっこのパフォーマンスで死んでいる暇などないんだよ。

だからこういう時くらい、あなたが日ごろ信心し、優遇している坊主どもを「役に立てて」やったらどうだ……そんな老勇者の皮肉と武士としての矜持が、これでもかと盛り込まれた台詞です。

ここまで言われてしまうと流石の直家も返す言葉がなく、殉死については何も言わないまま、その年の内に亡くなったそうです。

参考文献藤井懶斎『閑際筆記』江戸時代

終わりに・受け継がれるべき武士の魂

直家の嫡男・宇喜多秀家肖像。Wikipediaより。

その後も花房氏は宇喜多家を支え、直家の嫡男・宇喜多秀家うきた ひでいえ)が関ヶ原で敗れ、八丈島に流された後も、嫡男の志摩守正成(しまのかみ まさなりともども援助を惜しまなかったそうです。

そして元和九1623年2月8日、正成はその死に際して「花房の家名が続く限り、宇喜多家を主君と心得て援助すべし(要約)」と遺言したそうです。

古来「人は一代、(家)名は末代」と言いますが、死んでそれっきりの自己満足(パフォーマンス)より、命懸けで生き抜いて、代々忠節を尽くす矜持こそ、永遠に受け継がれるべき武士の魂と言えるでしょう。

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