東京地検特捜部の取り調べを受けているカルロス・ゴーン容疑者が「年間20億の報酬は自分が貰って良い額だ」と供述しているとの報道がありました。
こちらは広く日本社会で取りざたされていますが、もう一つ、一部大学関係者以外にはあまり知られていない最近のできごとを記してみたいと思います。
ブルームバーグの創業者マイケル・ブルームバーグが、母校であるジョンズ・ホプキンス大学に18億ドルを寄付しました。
そして、同大学が未来永劫にわたり大学入学者選抜試験にあたって、学生の経済状況を考慮することなく、優秀な人材を合格・育成できるようにするというのです。
ブルームバーグ氏とカルロス・ゴーン氏、新自由主義の風が吹くなか、典型的な「富の偏在」で風上に位置した2人のケースを見比べながら「未来への責任」といったことを考えてみたいと思います。
実に容易な「V字回復」
これはすでに久しく指摘されていることだと思いますが、いわゆる「V字回復」的な経営というのは、別段難しいものではありません。
私のかつての学生たちの中にも、危機に陥った大きな企業の帳簿にメスをざっくり入れて、短期間に経営成績を良くしたケースがいくつもあります。
それに成功した段階で、それなりの報酬を受け取って企業を去ってしまうという場合が少なくありません。
ガンを取り除くことに成功した言いながら、その人が生きていくのに必要な臓器の多くも取り除いてしまえば、その先の余命まで取り去られてしまいます。
かなり前になりますが、テレビで親しまれた人で、そのような経緯で命を失われたと報じられたケースがあったように記憶します。
ある企業の経営が悪化したとき、その会社の本質的なコア・コンピタンス=基幹競争力を棄損してしまっては、上記のケースと変わりがないことになってしまいます。
あるいは、企業がよって立つ地域共同体全体の経済に深刻なダメージを与えたり、複数企業の連携の中で、単独では成立しにくい経営構造に追い込まれてしまったり、新たな製品を市場に問うイノベーティブな能力を奪い去ってしまう・・・。
こういったことは、実体経済の支え手としての企業を直視するなら本来あってはなりません。
資本家の利益を最大化すると言えば、非の打ち所がない手腕のように聞こえます。
しかし、生きた被雇用者や下請け・孫請け、その家族や子供たちなどを含む経済の実体を疎かにすれば、中長期的にみて決してその企業、いやその地域社会、国にとっても国民にとっても、幸せをもたらしません。
ゴーン容疑者は、次のような主旨のことを言っているようです。
「国際的な相場から見て自分の取り分はこの程度が妥当と思った。だが、その数字を公に記すと、従業員など日本側の意気を削いだり反発を招く恐れがあると思った」
つまりこれは「国際的な俸給相場」というその企業の経営実態と無関係な数字をもとに、公に記せば現場が完全にやる気を失うような営利を、日本を外から見る観点で主張していた、ということになるでしょう。
古代ギリシャのポリス、スパルタには「ペリオイコイ」という身分がありました。
「ペリ」は「周辺」の意、「オイコイ」は家計で、家計の統治すなわち「オイコ+ノモス」が今日で言う「エコノミー」の語源になっていることから、その意が何となく察せられると思います。
スパルタのポリスを構成する市民=貴族の周辺にいて、通常の経済活動が認められながら、市民権はなく徴税で搾り取られる存在だった「ペリオイコイ」を家作奴隷などと訳する場合があるようです。
カルロス・ゴーン氏の発言として伝えられる「国際的な視点」からの供述を見ていて、自然と「ペリオイコイ」の語が頭に浮かんできました。
ブルームバーグの未来像
マイケル・ブルームバーグ氏がジョンズ・ホプキンス大学に寄付した資産は18億ドル、本稿執筆時点でのレート 約113.5円/ドルで計算すると、約2040億円ほどということになります。
いま「億円」を外して考えると、ブルームバーグ氏がジョンズ・ホプキンス大に寄付した資産は「2000円」、カルロス・ゴーン氏が自分にはふさわしいと主張した年俸が「20円」。実際に取っていたのは「10円」で、結構な違いがあると分かります。
多くの日本人の生涯賃金は1円の単位(億に手が届けばやっと1円)から外れませんから、比較にもならないのはよく分かります。
私がここで言いたいのは、ブルームバーグ氏と比較すれば、ゴーン氏は十分小物だから・・・といった話ではありません。
額の多寡ではなく、新自由主義の追い風のもと、偏在した富をどのような使途に用いるかという違い、そこに見える倫理、言ってみれば未来への責任感といったことを考えています。
9.11後のニューヨークで市長も長らく務めたブルームバーグ氏は、ニューヨーク・タイムズに掲載した論説の中で、この寄付によってジョンズ・ホプキンス大学が未来永劫「ニードブラインド(need-blind)」の体制と取れるように考えたと述べています。
ニードブラインドというのは、大学入試で学生の経済状況のいかんによらず、学力面だけのテストで合格したすべての学生に、必要に応じて授業料の免除や生活費の支援なども大学が行い、未来を支える人材を育てていくというシステムを指します。
せっかく高い能力があっても、例えば入試で高得点の成績を収めても、納付すべき入学金が払えずに進学を諦めたというケースを私は身近に知っていますが、このようなことは社会にとって大きな損失だとブルームバーグ氏は言います。
1942年にボストンで生まれた同氏の両親はポーランド系ユダヤ移民、ナチス・ドイツの迫害との関係はよく分かりませんが、代々続く富豪の家に生まれたような出自ではありません。
ジョンズ・ホプキンス大学の電気工学科で学んだ後、ハーバード・ビジネススクールで学んでソロモン・ブラザーズに入社、頭角を現したのち40代に入ってブルームバーグを設立。
2018年時点での彼の資産は508億ドルで世界11位にランキングされているとのことで、確かに雇われ社長業で稼ぐカルロス・ゴーン氏とは、やや資産の桁が違っているのは事実でしょう。
508億ドルの中から18億ドルをジョンズ・ホプキンス大に寄付しても残りは490億ドル、彼にとっては大した出費ではありません。
しかし、それで半永久的に、経済的に恵まれない豊かな才能と資質を持った学生が、ジョンズ・ホプキンス大での就学と自由な勉学の自由を得られるのであれば、どれだけ未来に資することでしょう。
5万円持っている財布の中から2000円を恵まれない子供たちのためにちょっと奮発、というのが、今回の彼の寄付のリアルスケールです。
私たち日本人の家計はここで1円に手がなかなか届かないレベルにあります。さて、翻って・・・。
グローバルな俸給相場から言って、自分はこの程度のギャラはもらって当然だと、国内の実情に照らせばあり得ない高額を抜いていこうとする根性とは、ちょっと別種の精神、言ってみれば未来への責任感の「有無」を、感じざるを得ません。
ポーランドから流れてきたユダヤ移民の子であるブルームバーグは言います。
「アメリカという国は、その人の預貯金通帳の残高がいくらかではなく、その人の仕事の品質に応じて報いられるとき、最も繁栄する国なのだ(“America is at its best when we reward people based on the quality of their work, not the size of their pocketbook,”)」
1942年生まれのブルームバーグ氏は76歳、彼があと何年、どのように活躍するかは神のみぞ知るところでしょう。
しかし、人生で勝ち得たものを未来に投資するという今回の彼の行動は、「新自由主義以降」の財貨の在り方を考えるうえで大きな示唆に富むように思います。
少なくとも、いま日本で取りざたされる市場や企業への破壊的影響とは同列で論じるべきものでないのは確かだと言えるでしょう。
(つづく)
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