ビジネス、今日のひとネタ

すっかり忘年会新年会の季節になりましたね。忙しい時期だけに、飲みと仕事の調整が大変だという人も多いかもしれません。

さて、飲み会で居酒屋に行くと、たいていのお店で最初に出される「お通し」。日本の居酒屋に根付いている独特の文化といえますが、その必要性や料金の設定などを巡って、たびたび議論を呼んでいます。

最近では、東京の繁華街の飲食店で、「お通し700円、席料500円、(12月に入ったばかりなのに)年末料金500円、サービス料15%」といった値段設定で、会計の時になって「これ何ですか? 聞いてませんよ。おかしくないですか?」「いや、ちゃんとメニューに書いてあるんで払ってください」と押し問答になるようなトラブルが何件かあり、SNS上でも注意喚起がなされたりしています。

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お通し肯定派の意見

これは極端な例としても、SNS上ではお通しについて、さまざまな意見が見られます。一例を取り上げてみましょう。

まず、肯定的な意見としては、

お通しくらいでウダウダ言うな」
お通しは席代だろ」
「テーブルチャージにおまけがついてると思えばいい」
お通しのクオリティは店のバロメーターにもなる」
「嫌ならお通しのない店に行きゃいい」

など、利用者側にもある程度コンセンサスのあるものとした上で、「席代」の一種として捉えている人が多いようです。

否定派が引っかかっているのはどこ?

一方で、お通しに対して否定的な意見としては、

「いらないのに金取られて気分悪くなる」
「値段に見合わないと思うのにお金を取られるのは嫌」
​「まずいお通し出されると帰りたくなる」
「100円、200円ならいいが、拒否できないのに300円以上とかありえない」
「メニュー表などに値段を明示してほしい」
「料理を選べるならいいけど……」

など、スタンスはさまざまですが、「利用者側に選択の余地がない」「頼んでもないのに強制的にお金を徴収される」という感覚が受け入れがたいようです。納得性が低いものにお金を払うのはイヤだというのは確かによくわかります。

「拒否」はできるのか?

ところで、納得がいかなければ、お通しは拒否できるのでしょうか?

民法による「契約」の考え方に則れば、事前に告知・説明がなければ、お通しの提供を拒否することも支払いも拒むこともできるようですが、一度でも箸をつければ支払う義務が発生するようです(もちろん、メニューなどに明示しているかどうか、明示していてもどう説明しているかや、提供の状況などによっても、この解釈は変わってきます)。

また、外国人観光客が増え続けている現在、居酒屋と訪日した外国人の間で、お通しを巡るトラブルも増加しているようです。訪日外国人がよく訪れるお店を中心に、対策として「お通しチップ」だと事前に説明する店や、メニューに金額を明記する店も増えています。

また、そもそも外国人観光客とは関係なく、近年ではチェーン店を中心に、お通しを断ることができる店や、お通しそのものがない店も増えてきているようです。

店側の「お通し」を出す理屈

なお、お通しを出す店側の理屈として、一般的に言われているのは、

「店側の心遣いとしての酒の肴」
「酒を出してから料理が出来上がるまでのつなぎ」

といった気遣いの話から、

「客単価を上げる」
「食材の有効活用」
「新商品のテスト」

といった、より経営的な視点から活用しているものまで、さまざまです。

外食など客商売では、ただでさえ「人手不足で人が採用できない」「人件費や材料費が高騰している」といった事情もあるので、より経営上の効率化を図るために店舗がお通しを活用するのもある程度はやむを得ない部分もあるかもしれません。一方で、記事の冒頭に挙げたように、お客の注文品以外の部分でお金を取るためにお通しを悪用するようなタチの悪い店もあります。

今後、どうなるのか?

ともあれ、ネット上の議論を見る限り、「お通しの存在自体が完全に悪だ」というような強硬な意見は比較的少なく、どちらかといえば「明記していないのに、拒否できないのに、お金を取られるようなシステムはおかしい」という意見が大半なようです。

国内でそれなりに浸透している「居酒屋文化」の一つという認識はされているため、お通しのシステムは急激に変わることはないかもしれませんが、こうした議論を踏まえて、今後、どのように変化していくのでしょうか。あなたはどう考えますか?